旅人と木組みの街と小さな店主
①
こくり、と船をこいだ次の瞬間、ゴン! と鈍い音がした。
「うっ」
今の衝撃で、眠気がすっかり吹き飛んでしまった。
窓ガラスにしたたかに頭をぶつけた旅人は、涙目になって、ぶつけたところを擦った。
痛みが引いてきたころ、旅人はそっと窓の外を見る。
昨日の夜に乗り込んだ列車は、今は、のどかな田園地帯を走っている。
少し体勢を変えて視線を動かせば、電車の行く先には、ひとまずの目的地である街が、小さく見え始めていた。
「……そろそろ、着く頃かな」
そう呟いて、旅人は、ベルベット調の布が張られた座席から、ゆっくりと立ち上がった。
「よし」
気合いを入れるように呟いた次の瞬間、乗っている列車が、長い長い汽笛を鳴らす。
列車は、緩やかに速度を落としながら、街中にある駅へと滑り込んでいった。
駅舎の外に出て、初めて訪れる街の空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
見上げたプラタナスの葉が、陽の光を透かして眩しく輝く。
ふわりとどこからか漂ってくるコーヒーの香りに鼻をひくつかせながら、旅人は歩き出した。
木組みと石畳の街――アルベリトス。
旅人が立ち寄ったのは、木組みの建物と石畳で舗装された道々が美しい、それなりに大きな街だった。
辺りを見渡せば、屋根も壁も様々な色に彩られた木組みの建物が並んでいる。
駅からほど近い市場には、新鮮な野菜や果物や焼き立てのパン、色とりどりの伝統工芸品などが並び、見るものすべてが旅人の心を躍らせる。
人々はやわらかな日差しの中で語らい、笑い合いながら、昼下がりの時間を、穏やかに過ごしていた。
そんな中を、旅人は、自分の背丈よりも大きな棺を、背中に担いで歩いていく。
薄汚れた帽子に大きなコート、履き潰した革靴にいたるまで真っ黒な上、街では悪目立ちするだけの棺を担いだ旅人は、街中の人たちの好奇の視線に曝されていた。
「何だ、あいつは」
「何だって、全身黒ずくめなんだ?」
「あの人が背負っているのって、棺? 何で?」
「もしかして、悪魔か吸血鬼か何かかしら?」
そんなふうに、ひそひそと話す声が、あちこちから聞こえてくる。
だが、旅人は、それらのどれをも意に介することなく、ずんずんと街中を歩いていった。
こんなことは、旅を始めてからというもの、慣れっこだったから。
「……ふむ」
旅人は、一度立ち止まって、周りを見ながら考える。
今夜の宿を確保するのが先か、それとも昼食をとるのが先か。
どちらが先でも問題はないし、どちらも昼のうちに済ませなければいけないことに変わりはない――が。
ぐきゅるるるう。
唐突に、旅人の腹の虫が、空腹を声高に主張した。どうやら周りには聞こえていなかったようだが、恥ずかしいことこの上ない。
「(まずは食事か)」
旅人はそう決めると、自分自身に言い聞かせるように呟く。
そして、この街を訪れた時からずっと感じていたコーヒーの香りを頼りに、再び街を歩きだすのだった。
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