社交界は波乱の予感
第18話 いざ、アスター本家へ!
カーバニアの街と言えば、領内で最も栄えた街の一つ。
そして、ヒューゴの祖父であり領主でもある、ランス=アスターが居を構える地でもあった。
もっとも、クリスにとっては、何の縁もゆかりもない場所。ましてや領主の館など、近づくことすらないと思っていた。
そこにまさか、こんな形で訪れることになるとは。
今日クリスは、アスター家本家で開かれる夜会に、ヒューゴの恋人として出席する。
「とうとう、この日が来ましたか」
「ああ、そうだな。で、お前はいったい何度そのセリフを繰り返すつもりだ。いい加減腹を括れ」
ナナレンから馬車に揺られ、カーバニアに到着したのが、今から数時間前。それから領主館に入り、夜会が始まるまでこの部屋で待つようにと言われたのだが、それから今まで、何度この言葉を呟いただろう。
それも全ては、不安と緊張の現れだ。
「だって、仕方ないじゃないですか。そりゃ、この一ヶ月。ダンスにマナーに言葉づかい、みっちり淑女になるための教育は受けてきました。だけどやっぱり不安はあるんですよ。それにこのドレスだって、本当に似合っていますか?」
今のクリスは、それはそれは美しいドレスに身を包んでいた。
ドレスなら、以前ヒューゴの屋敷に行った際に買い与えられたものもあるのだが、今回のような場では、より良いものが必要ということで、ヒューゴがわざわざ仕立て屋を呼んで作らせたのだ。
クリスのために作られただけあって、その着心地は抜群。そう言いたいところだが、今の彼女にとって、豪華なドレスというのはプレッシャーにしかならない。
せめて嘘でもいいので、似合っているの一言が欲しい。しかし、それを求めるには相手が悪かった。
「前にも言っただろ。俺には女の服の良し悪しなどわからんと」
「それなら、お世辞って言葉はわかりますか!」
ヒューゴがこういう人だというのは知っていたが、こんな時くらい優しい言葉をかけてくれてもいいのではないだろうか。仮とはいえ、これから恋人として人前に出るならなおさらだ。
だがヒューゴは、ドレスを誉めるかわりにこう言った。
「だいたい、いくら着飾ろうが、中身が伴わなければなんの意味もない。そして中身を磨くための努力は、この一ヶ月の間、精一杯やってきただろ。俺の中身のない言葉よりも、自分が今までやってきたことを信じろ」
やはりそれは、恋人にかけるにしては、あまりにずれた言葉。どちらかと言うと上司が部下に激励を送っているかのようであった。
実際、警備隊にいたころ、こんな風に声かけをしていた場面を、何度か見たことがある。
しかしクリスにとっては、ドレスを誉められるよりもマシな言葉だったかもしれない。
「そうですよね。あれだけ頑張ったんです。練習通りにやれば、きっと大丈夫なはず」
「ああ、その意気だ」
これまでの努力の日々を思い出す。決して順調というわけではなかったが、苦労した分の成果はあるはずだと、自分に言い聞かせる。
もっとも、その後ヒューゴは、聞こえない程度の小さな声で密かに呟く。
(まあ、あの出来では、うまくいくかは良くて五分五分といったところだがな。今はそれは言うまい)
ヒューゴもヒューゴで、その内心には不安を抱えていたのだ。
とはいえ、この期に及んで焦ってもどうしようもない。後は覚悟を決めて、時が来るまで待つだけだ。
そうして、どのくらい待っただろう。部屋の戸をノックされ、先ほど自分達を案内した使用人が顔を出す。
いよいよ、夜会の準備が整ったようだ。
「行くぞ、クリス」
「はい、ヒューゴ様」
ヒューゴが声をかけると、クリスはとたんに笑顔を浮かべ、それに応える。
どれだけ緊張していても、人前では常に笑顔を作れるようにしておく。これも、この一ヶ月特訓を続けた成果のひとつだ。
向かった先は、大広間。
天井からは豪華なシャンデリアが吊るされ、中央を避けて配置された長テーブルには、クリスが見たこともないような料理が並べられている。そして壁際では、この日のために呼ばれた楽団が待機している。
そんな、まるで別世界のように思える空間に一歩足を踏み入れたとたん、既にやって来ていた招待客のほとんどが、一斉にこちらに目を向ける。
おそらく、ヒューゴが恋人を連れてきたという噂をどこかで聞いていたのだろう。
「心配するな。練習通りにやれば、何の問題もない」
「はい」
ヒューゴに囁かれたクリスは、一歩前に出ると、皆に向かって軽く一礼し、微笑みかける。
するとそれが合図になったように、二人の元に何人もの出席者が歩み寄ってきた。
「ヒューゴ殿、聞きましたよ。ついに身を固める決意をしたそうですな。皆、その話で持ちきりですぞ」
「そちらの方が、噂の恋人殿ですな。挨拶をしてもよろしいでしょうか?」
その口ぶりからして、ヒューゴより下の立場の者らしいが、クリスにとっては、貴族の夜会に出られるという時点で、十分に大物だ。おそらく、この中で例外と言えるのは、自分だけだろう。
しかし、ヒューゴの恋人としてここに来ている以上、それらしく振る舞わなくてはならないという使命がある。
「はじめまして。クリスティーナ=クロスと申します。以後、お見知りおきを」
淑女教育で教わった通りの挨拶をすませると、一歩下がってヒューゴの後ろに立つ。これは、男性であるヒューゴを立てると言うより、彼が前に出ることで、少しでも会話の機会を減らし、ボロが出るのを防ぐというのが目的だ。
その後も、二人の元には何人も挨拶にやって来て、その中にはレノンの姿もあった。
だがクリスのすることといえば、ほとんどが簡単なやり取りだけ。たまに、踏み込んで話をしようとする者もいたのだが、それらは皆、ヒューゴが巧みに話を反らし、やり過ごしていた。
それでいて、クリスがいかに素晴らしい女性であり、自分が彼女を愛しているかを言葉の節々に挟み込んでいるのだから恐れ入る。この光景を見て、二人が偽りの恋人だと気づく者はまずいないだろう。
挨拶に来た者の中には、この前会ったレノンの姿もあったが、面白くなさそうに鼻を鳴らすだけだった。
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