第16話 ダンスの道は厳しく険しい
一ヶ月後の夜会に出席するまでに、立派な淑女になれ。そうヒューゴから言い渡されて、半月が経った。つまり、期限となっている日付までの半分が過ぎていた。
その間、クリスは自らの住まいを警備隊の宿舎から新たに借りた長屋へと移し、そこから毎日、ヒューゴの屋敷へと通っていた。
その目的は、一人前の淑女となるため。屋敷には、ヒューゴによって何人ものマナー講師が集められ、日々厳しい指導が行われていた。
しかし順調にその成果が出てきているかというと、とてもそうとは言えない。中でも特に問題なのがダンスだ。
「ぐぎゃっ!」
「ご、ごめんなさい!」
謝るクリスの前で、一人の男が足を押さえながら悶絶している。
彼は、クリスのために集められた講師のうちの一人で、ダンス担当。貴族同士の社交の場でダンスは必須技能であり、特に力を入れて覚えるようにとヒューゴからも言われている。
しかし今のところ、結果は惨敗。まともに踊りきるよりも、今のように講師の足を踏みつけることの方が多いという有り様だった。
男のふりをして警備隊に入っていたこともあり、クリスも体を動かすことには自信がある。だが、どうしようもなくリズムがとれないのだ。その結果がこれだ。
しかも無駄に勢いがいいので、足を踏む際の攻撃力が高いのだ。
しかしこんなことでへこたれてはいられない。うまくいかないのなら、なおさらもっと練習しなければ。
「もう一度お願いします!」
しかし、やる気十分に続けようとするクリスを講師が止めた。
「いや、ちょっと待ってください。申し訳ないが、しばらくはパートナー抜きで、曲に合わせて動く練習だけをしてもらえませんか。このままでは、私が二度とダンスを踊れなくなってしまいます」
「うぅ……すみません」
今や講師は、明らかにクリスの踏みつけに怯えてしまっていた。もう数えきれないくらい踏みつけられているのだから、無理のない話だ。
というわけで、それからはクリス一人での練習が始まった。講師からの指示はあるものの、パートナー役を務める者はおらず、一人で定められた動きを覚えていく。
日が落ち、講師達が帰ってからも、クリスは一人黙々と練習をつづけていた。
「今日もまた苦戦しているようだな」
不意に声がして、後ろを振り向く。するとそこには、いつの間にいたのか、ヒューゴが立っていた。
「ヒューゴ総隊長。帰ってらしたのですか」
クリスが淑女修行を続けている間も、ヒューゴの警備隊総隊長としての仕事は健在だ。そのため、彼が屋敷に帰ってくるのはいつも遅い時間になるのだが、気づかないうちに、いつの間にかずいぶんと時間が経っていたようだ。
「報告を聞く限りではあまりうまくいってないようだが、そんなザマでは、叔母上は嬉々としてお前を責め立てるだろう。あの人はそういう人だ」
「うぇ~っ!」
その場面を想像してしまい、今から気が滅入ってくる。
しかしこのまま社交会に行こうものなら、一番困るのはヒューゴだろう。
「でも、最初の方と比べるとマシになっているんですよ。ただ最近は、講師の先生がパートナーをやってくれなくて、いまひとつ伸び悩んでいますけど」
「それは仕方あるまい。教えるのが仕事とはいえ、ああも足を踏まれ続けては、二度と踊れなくなってしまう。お前が足を踏まない程度に上達するまで、相手役は遠慮したいそうだ」
「二度と踊れなくなるって、いくらなんでも、そこまで踏んだりはありませんよ。…………多分」
なけなしのプライドを持って反論するが、今大事なのはそこではない。
本格的に、相手役を拒否されたことだ。
「どうしよう。ただでさえ覚えが悪いのに、しばらくは相手なしで練習しなきゃいけないなんて。このままじゃ、当日までに間に合わないかも」
当たり前の話だが、ダンスというのは、二人の息があって初めて成立する。今みたいに一人でも練習はできるが、そうやって地道にやっていくには、残された時間はあまりにも少ない。
すると、そこでヒューゴは言った。
「それなら、俺がお前の相手を務めよう」
「えっ。それって、総隊長が私と踊るってことですか?」
「そうだ。俺なら、多少足を踏まれたくらいでどうにかなるような鍛え方はしていない。どのみち本番では、俺と一緒に踊ることになるんだ。なら、今のうちに合わせておいてもいいだろう」
確かに。本来の予定では、クリスの基礎がもっと出来上がってから合わせるつもりだったが、それが早まったと思えばいい。
だがそうなると、ひとつ気になることがあった。
「でも、総隊長は警備隊の仕事があるんじゃないですか」
「ああ。だから、練習するのは毎日俺が帰ってきてからの限られた時間になるな。それまでは、今まで通り一人で練習だ」
「いや、そうじゃなくて、それだと総隊長の体が持たないんじゃないですか?」
ただでさえヒューゴは常に働き詰めで、警備隊の誰よりも多く仕事をこなしている。それに加えて、今から毎日練習に付き合うなんてことになったら、いくらなんでも体が心配になってくる。
「そう思うなら、少しでも早く覚えて楽をさせろ」
「でも……」
頭の中で、過労で倒れるヒューゴの姿を思い浮かべる。仮にも良き恋人を目指して頑張っているというのに、そんなことになってしまっては、あの親戚でなくても認めてくれないだろう。
だが、ヒューゴの意思は固かった。
「元々この一件は、俺の都合で始めたことだ。そのせいでお前に努力を強いているのだから、俺もそれに見合うだけのことはする」
「総隊長……」
まったくこの人は。
警備隊にいた頃から感じていたが、ヒューゴが人に厳しする時は、自らに対してはもっと厳しくしている。そんな変な律儀さかそが、多くの隊員達から慕われる理由の一つであり、クリスもまた、彼のそんな人柄を好ましく思っていた。
「わかりました。私、絶対に上達しますから!」
こうなると、ヒューゴは自らの意思を変えたりはしないだろう。それなら、少しでも早く覚えて、その負担を軽くしたい。
「ああ、そうしてくれないと困る。あと、なるべくなら足は踏むなよ」
こうして、ヒューゴをパートナーとしながら、ダンスの訓練は続く。
クリスの心に、より熱くて強い意思を灯しながら。
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