第4話 できることならやけ酒したい

 ナナレン警備隊隊員、クリストファー=クロス。彼には、他の隊員には決して言えない秘密があった。

 いや、より正確に事実を伝えるなら、こう記した方がいいだろう。


 ナナレン警備隊隊員、クリスティーナ=クロス。彼女には、他の隊員には決して言えない秘密があった。


 要は、性別が女であるにも関わらず、男と偽って警備隊に入っていたのだ。

 いったいなぜそんなことになったのか。それを説明するためには、少し時間を遡ることになる。






「旦那様のバカーっ!」


 その日クリスは、ナナレンの近くの町にあるとある酒場で、何度になるわからない叫び声を上げていた。かと思うと、次はおいおいと泣きながらテーブルにうつ伏せる。

 ちなみに今と違って、この時はしっかり女の格好だ。


 よほど目立っていたのだろう。他の客が何事かといった様子で目を向ける。だが泣いているのが若い女性だとわかったとたん、一人の酔った男が近づいてきた。


「よう姉ちゃん。何か嫌なことでもあったなら、俺が話を聞くぜ。男にでも捨てられたか?」


 もし本当に男に捨てられたのだとしたら、こんな奴に話したくはないだろう。

 実際男の方も、まともに話を聞く気なんてなく、少しちょっかいをかける程度にしか思っていなかった。

 そしてそんな男の態度は、今のクリスを苛立たせるのには十分だった。


「すみません、ほっといてください!」

「そうつれないこと言うなって」


 クリスの苛立ちも意に介さず、男は馴れ馴れしくその肩に手をかける。


 さすがにそれを見かねたのだろう。一部始終を見ていた店主がやってきて、男をなだめようと声をかける。


「お客さん。少し飲み過ぎてるんじゃないですか。うちではそういう声かけは遠慮してくれませんか」


だが次の瞬間、突如男が叫び声をあげた。


「痛ててててててっ! なっ、何するんだ!」


 店主は、最初何が起きているのかわからなかった。少しの間をおいてようやく、男がクリスに腕を捻りあげられているのだと理解する。


「は、離せ。このっ!」


 男はクリスに掴まれた手を振りほどこうとするが一向にそれは叶わず、それどころか腕はますますおかしな方向へと引っ張られていく。


「私のことはほっといてください。でないと、あなたのこと、どうするかわかりませんよ」

「は……はい!」


 クリスが手を離し、男はようやく自由になるが、その顔は真っ青だ。

 少しまでの威勢はどこへやら。一言すみませんと謝ると、瞬く間に店を後にする。


 しかし残されたクリスはと言うと、男を撃退した高揚感などまるでない。むしろよけいに沈んだ様子で、テーブルに置いてあったつまみを乱暴に口に運びジョッキの中身を一気に飲み干す。

 そして、またもやしくしくと泣きはじめる。


「うぅ……ぐすっ」


 一方、それをすぐ近くで見ていた店主は迷っていた。


(さて、どうしたものかな)


 さっきみたいにトラブルに繋がりそうなら止めにも入るが、そうでなければこういう客には深く関わらないのが一番だ。下手をすると、今度は自分がトラブルに巻き込まれかねない。今のを見た後ではなおさらだ。


 しかし、このまま我関せずを貫くには、彼女はあまりにも悲壮感が漂っていた。


「お、お嬢ちゃん、いくらやけ酒でも、飲み過ぎは体に悪いよ」


 結局、迷ったあげく、声をかけることにする。さっきの男の二の舞にならないように、極めて慎重にだ。


「えっぐ……お酒なんて、一滴も飲んでませんよ」

「えっ、そんなはずは……本当だ」


 クリスはやけ酒をあおっていたわけではなかった。ただつまみを食べ、水を飲みながら泣いているだけだった。

 最初は本当にやけ酒をしようかと思っていたのだが、飲める年齢になるまでは、数ヵ月足りなかった。そして何より、酒の値段が思ったより高く、あえなく断念したのだ。


 ただ、酒場という雰囲気と自身の境遇には、この上なく酔っていたのかもしれない。


「私だって飲みたいです! 飲んで全てを忘れたいんです! だけどお酒は高いんです! おいそれとお金を使うわけにはいかないんです! わかります!?」

「あ、ああ、わかるとも。けど、いったい何があったんだい。よかったら、話を聞かせてくれないか?」


 店主も、今まで何人もの酔っぱらいの相手をしてきたプロだ。さすがにシラフでこんなになってる者は初めてだが、それでも今まで培ってきた接客術で、なんとかなだめていく。するとクリスも多少は落ち着いたのか、少しずつ事情を話し始めた。


「私、半年前に、この町の商家に住み込みで働きに出てきたんです。故郷の村からはだいぶ遠くて、簡単に帰れないのは寂しかったですけど、とってもお給料がよかったんですよ。実家にはまだ小さい弟達がいるんですが、私が仕送りすることで、少しでもいい暮らしをさせてあげることができる。そう思って、これまで働いてきました。なのに、なのに──!」


 クリスはそこまで言ったところで、一度黙りこむ。そしてワナワナと肩を震わせると、力任せにテーブルに拳を叩きつけた。


「先日、旦那様から従業員一堂に、慰安旅行に行っておいでと言われたんです。毎日お店のために働いてくれている君達に、ほんの感謝の気持ちだって言ってました。でも、その慰安旅行から帰ってきたら、お店の中がもぬけの殻になっていたんです。旦那様とその家族、夜逃げしていたんですよ!」

「ああ。君、あの店の従業員だったんだね」


 その話なら、店主も今日来た他の客から聞いていた。住み込みの従業員を旅行に行かせている間に、店にある金目のものを全て持っての逃亡。当然、従業員は誰一人としてそのことを知らず、帰ってきた時には職を失っていたというわけだ。


「そりゃ、お店の経営が苦しいって話は私も噂で聞いてましたよ。そんな時期に旅行になんて行って大丈夫かなとも思いました。けど、だからってこんなのあんまりじゃないですかーっ!」

「うん、そうだね。君の言う通りだ」


 他人が聞いてもひどい話だ。

 おまけに、彼女達はあと少しで給料日だというのに、それももらえないという。さらに、昨日まで職場であり住み家であった建物は、いつの間にやら売りに出されていて、立ち退かなければならないそうだ。


「じゃあ、お嬢ちゃんはもしかして宿無しかい?」

「うぅ……一応、建物を買い取った人が哀れに思ったのか、立ち退くのは一週間だけ待ってくれるそうです。まあ、行く当てなんてないので、一週間後には宿無しになってしまいますけどね」

「それは、災難だったね……」


 実際、哀れと言う他ないと、人のいい店主は思った。思いはしたが、だからといって自分にはどうすることもできない。せいぜいこうして愚痴を聞いてやるくらいが関の山。あとはできることと言ったら、これくらいだろうか。


「そうなると、すぐにでも次の仕事を探さなくてはいけないな。ちょっと待ってなさい」


 店主はそう言うと、一度店の奥へと引っ込んでいき、それからいくつかの紙の束を手にして戻ってきた。


「これ、全部求人募集のチラシだよ」

「ぐす……求人募集?」

「こういう商売をやっていると、時々、店にこういうチラシを貼ってくれって頼まれることがあってね。とりあえず、この中から探して見るってのはどうだい?」

「うぅ……そうですね。ありがとうございます!」


 いつの間にか、涙でぐちゃぐちゃになった顔でクリスはお礼を言う。

 ほんの少し前にひどい裏切りにあった彼女にとって、こうしてちゃんと話を聞いてくれる人がいるというだけでありがたかった。


「私、絶対次の仕事先を見つけます」


 こうして、再就職先を探すことを決意したクリス。しかしやる気を出したのはいいが、それだけで全てがうまくいくほど世の中甘くはなかった。


 なにしろ、一週間後には職どころか住む家まで失ってしまうのだ。当然、次の仕事も以前と同じように住み込みか、でなければ近くに家を借りて生活できるだけの給金があるところが望ましい。

 しかしその条件に合い、なおかつクリスが就職できるところとなると、簡単に見つけることなどできなかった。

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