第2話 警備隊総隊長 ヒューゴ=アスター

 リドル王国の東側一帯を領地とし、国境を守りし豪傑としてその名が知られている、アスター辺境伯。

 その領地の中でも、最重要拠点の一つと言えるのが、国境の街ナナレンだ。そこに辺境伯の孫であるヒューゴ=アスターが警備隊総隊長として就任したのは、今から数年前のことだった。


 最初はその若さから、彼の就任を疑問視する声もあった。

 何しろ国境というのは、言わば国防の最前線。大きな争いこそ遠のいて久しいが、異民族の侵入による小競り合いは、相変わらず尽きることはなく、この辺りを根城にしている盗賊団やならず者は数えきれない。

 いかに武勇に優れし家系とはいえ、若造に務まるわけがない。街の住人達はもちろん、従うべき隊員達ですら、内心そう思っている者も少なくなかった。


 だが彼の就任以来、街の治安は急速に改善され、今となってはそんな当時の評価はもはや笑い話となっていた。

 今回の盗賊団のアジトの特定、襲撃の成功も、そんなヒューゴの手腕によるものが大きかった。


 盗賊団との戦いも終わり、警備隊の面々は、ナナレンにある駐屯所へと戻っていた。先程まで激しい戦いに身を投じていた隊員達だが、既に緊張は抜けきり、勝利に浮かれている者すらいる。


「極悪非道な盗賊団を捕らえたことを祝して、飲みに行こうじゃないか。クリス、お前もたまにはつき合えよ。もう酒も飲める歳だろ」


 クリストファー=クロス。主にクリスの愛称で呼ばれる彼に向かってそう言ってきたのは、先輩隊員のキーロンだ。

 警備隊の中でも、かなりの古株の年長者。反対にクリスは、最近ようやく成人を迎えたばかり。下手をすると親子と間違われるくらいの歳の差ではあるのだが、基本的には気楽な態度で接してくる。


「でも僕、お酒はあまり得意じゃないですよ」

「ならその分食えばいい。たくさん食って、その細い体にもう少し肉をつけろ」

「ひゃん!」


 キーロンに尻を叩かれ、思わず声をあげるクリス。

 するとそんな二人のやり取りを見て、一人の男が近づいてきた。総隊長、ヒューゴだ。


「お前達。飲みに行くのはけっこうだが、あまり羽目を外しすぎるなよ」

「あっ、これは総隊長。嫌ですよ、自分の限界くらいちゃんとわきまえてますって」

「どの口がそれを言うんだ」


 ベテラン隊員であるキーロンの経験と判断力は、総隊長たるヒューゴも大いに信頼している。だがその一方で、この男がだらしないところもあるというのもよく知っていた。飲みに行った翌日、二日酔いになることもしょっちゅうだ。


「なら、隊長も一緒に飲みに行って見張ります? 部下との親睦をはかるのも、上司の立派な務めですよ」

「そうしたいのも山々だが、あいにく俺には事後処理がたっぷり残っている。手伝ってくれるなら、少しは早く終わるかもしれんぞ」

「いえ。自分は肉体労働が専門なんで、遠慮させていただきます」


 キーロンの軽口は、相手が上司であるヒューゴであっても変わらない。と言うより、ヒューゴがその辺りのことをあまり気にしないのだ。


 組織内の階級に限った話ではない。ほとんどが平民で構成されているこの警備隊において、ヒューゴは数少ない貴族の出なのだが、本人はむしろそれを理由に特別視されることを、煩わしく思っている節すらあった。


 ヒューゴはそこまで話したところで、視線をキーロンからクリスに向ける。


「クリス。さっきの戦い、お前がいなければやられてたかもしれない。ありがとな」


 言われてクリスは、最初何のことを言われているのかわからなかったが、すぐに思い出す。物陰に隠れていた男がヒューゴに不意打ちを仕掛けてきたあの一件だ。


「そんな。それを言うなら、その後は僕の方こそ隊長に助けてもらいましたよ。早々に剣を落としてしまいましたし、あのまま戦うのはきつかったです」


 不意打ちを仕掛けてきた男に剣を弾かれ、なんとか素手で倒したところまではよかったものの、丸腰になったところを他の敵は放ってはくれなかった。

 剣を拾う間もないまま抵抗を続けていたが、途中でヒューゴが助けに入ってこなければ、どうなっていたかわからない。


「武器を持たずにあれだけ戦えるというのもたいしたものだがな。確か、東方の武術を習っていたんだよな?」

「はい。故郷の村に道場があって、小さい頃から兄弟と一緒に通っていました。ここに来てから一度も帰ってないけど、村に残した弟達、今頃どうしてるかな」


 そう言うとクリスは、少し懐かしそうな顔をする。

 彼の故郷は、ここから離れた場所にある。仕事を求めてナナレンにやって来て、警備隊の門を叩いたのが、今から半年前の話だ。


(元気だといいな。仕送りのお金、うまくやりくりできてるかな。そうだ、今度手紙を書こう)


 話の途中だというのに、離れて暮らす家族のことを思い出したとたん、ついそんなことを考えてしまう。

 しかし、そんな思考は思わぬ形で破られることになる。


 全く別の声が、その場に割って入ってきたのだ。


「あっ……あのっ!」


 声のした方を向くと、いつの間に来たのか、そこには若い女が二人立っていた。

 先ほどの盗賊達に拐われていた、二人の女だ。


「急に訪ねてきて申し訳ありません。先ほど私達を助けてくれた総隊長様はいらっしゃいますか?」


 本来なら、彼女達はしばらく安静にした後詳しく事情を聞くことになるのだが、少しくらいなら大丈夫と判断されたようだ。

 思わぬ人物の登場に一部の隊員達がざわめいたのは、二人がいずれも美人であるのも理由だろう。


 しかし残念ながら、彼女達の視線は、そんな色めき立った隊員達には向けられない。

 彼女らが探していたのは、総隊長ヒューゴ=アスターただ一人。その姿を見つけたとたん、一目散に駆け寄ってくる。


「あの。先ほどは、助けていただき本当にありがとうございます。か弱い女の身、あなたがいなければ、今ごろどうなっていたかわかりません!」

「あなたが颯爽と助けてくれた時、まるで後光が差しているかのように見えました! このお礼、ぜひともさせてください!」


 鼻息荒く、凄い勢いで感謝の言葉を捲し立てる二人。

 この子達、ほんの少し前まで盗賊に捕まっていたはずだよな。思わずそう言いたくなるくらいに元気だ。しかし彼女達がそうなるのも、隊員達にとってはある程度想定の範囲内の出来事だったりする。


「あーあ、また隊長が女を惚れさせたよ」

「まったく、罪な人だね」


 どこからともなく、ヒソヒソとそんな声が漏れた。

 事件に巻き込まれた女性をヒューゴが助けたところ、その見目麗しさから、あるいは勇猛さから、うっかり彼に惚れてしまう。こんな光景を、隊員達はもう何度も見てきた。

 今回はさすがに怖くてそれどころじゃないだろうと思っていたが、どうやらこの女性達、見た目よりもずっと強いメンタルを持っていたようだ。


 いつの間にか言葉だけでは収まらず、ヒューゴの手まで握ったりしている。


 しかし美女二人に言い寄られながら、ヒューゴには一切浮かれる様子はなかった。


「二人とも無事でなにより。だが、私はただやるべき務めを果たしただけ。感謝など不要です。それにお礼もけっこう。規則により、そのようなものは一切受け取れません」


 口調こそ大人しいが、明らかに彼女達からは一線を引いた言葉。さらにヒューゴはこう続ける。


「怖い思いをされ、お疲れでしょう。私のことなど気になさらず、どうか今は休んでください。誰か、二人を連れていってやれ」


 ヒューゴの態度に、女達もここでこれ以上言い寄っても成果は得られないと判断したのだろう。少しだけ残念そうな顔をしたが、結局はやって来た隊員に連れられ、大人しくその場を後にした。


「あの人達、怖い思いをしたのは本当だし、もう少し優しくしてあげてもいいのにな」


 その様子を見て、クリスは思わずそんな言葉を口にする。なんとなく女性陣の肩を持ちそうになるのは、自分の抱えている事情故だろうか?


 だが隣でそれを聞いていたキーロンは、ため息をつきながら首をふる。


「あの隊長にそれを期待するのは無理ってもんだろ。むしろ今回は、手を握られた状態で頑張った方だ」


 すると次の瞬間、突如ヒューゴの足が崩れ落ち、ガックリと地面に膝をついた。

 それから、震える手で口元を押さえるが、そうしている間にも、彼の顔色はみるみるうちに悪くなっていった。

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