第42話 天の金輪
「なぁ、天体観測をしようじゃないか!」
「はぁ?」
こちらは全く浮かばない音とにらめっこをしているというのに、今日も今日とてやってきた統は、見慣れないものを抱えてやってきた。
「ずっと家の中にいちゃ、思いつくものも思いつかないよ。よい物は家の中にしかないものじゃないんだよ」
「それは分かるんだけど、なんで天体観測? 天体観測ってなんだ?」
天体、という言葉自体思いつかないのに、それを観測とはいったいどういう意味だろうか。
「あぁ、そこからか。これは由々しき問題だね。天体を知る物がまじない師や易学者だけだなんて、これは大々的に知らしめるべきだね」
「は、はぁ……」
あの策の事を大親友というのだから、この青年もまた規格外の人間なのは容易に想像できる。けれど、こうやって敵対している家に当然のように忍び込んでは羽にちょっかいをかけに来るとはどういう神経をしているのだろう。
「ちょうどいい望遠鏡ができたから、その性能を確かめるのと同時に、君に見てほしいものがあったんだよ」
「望遠鏡?」
「これのこと。見てごらん」
そう言って頭が見せてきたのは、ほら貝によく似ていた。とはいえ、それは金属でできており、息を吹き込む穴もない。あるとすれば透明な丸い板がはめ込まれた筒だ。先に向かって広がっていき、一番大きい板の大きさは一寸ほどあるだろうか。一方で細い方の板は羽の指の先に乗るくらい小さい。
「なにをするんだ?」
「星を見るのさ」
「?」
羽は首をかしげた。自信満々に言うものだから、何のことかと思えば。星なんてちょっと窓から顔を出せば見えるじゃないか。
「不可解、って顔に書いてあるよ」
「当然だ。そんなもの無くても星は見えるだろ」
「やれやれ、どうもこの国の人間は星に興味が無いと見える。異国ではすでに多くの学者が手をつけているというのに」
「星に興味が無いわけじゃないだろう。さっき言っていた易学者たちは星の動きを見て吉凶を占っているじゃないか」
統は首を振る。
「違うよ。占いじゃなくて、もっと進んだ……。とにかく!」
羽の腕を引っ張り、統は羽を庭へと引き込んだ。春の気配が漂う庭には、かすかに花のにおいがする。庭の開けたところに羽を連れ込むと、統は羽に筒を押し付ける。
「ほら、この小さい方からのぞき込んで、月を見てごらんよ」
手渡された筒を手に持ち、羽は半信半疑で月のある方角を見た。
(月なんて見て、兎がいるか確かめろってか?)
そんなの、作り話なのは分かっている。兎が空にぷかぷか浮けるわけがない。筒に目を当てて、目を見開く統は息をのんだ。
「な!?」
月の表面には黒いもやがかかっているのは満月になればわかる。今日はちょっと欠けている日だったので、完全な丸ではなかったけれど、それでも今までもやだと思っていたそれは、大きなくぼみだった。
「丸いくぼみがいっぱいある……。なんだか、表面もざらざらしてそう」
「そうだろそうだろ。みんなびっくりするんだよな。兎や蟹や蛙がいないことは気づいていても、その模様が何なのか知ろうともしないんだから」
くすくすと統が笑っている。ぽかんとしている表情が面白いようだった。生まれて初めて見る月の表面に羽は、なんだか見てはいけないものを見たような気がして、足がすくんだ。
「それが月の正体。おもしろいだろ。どこにも白い城なんてなかっただろう?」
「…………」
知識の無い羽でも分かる。くぼみばかりで草木もない世界では、どんなものも生きていくことはできない、と。作り話だと笑い飛ばしていたけれど、実際に目の当たりにすると、こうも驚いてしまうのかと思った。
それは、心のどこかで作り話が本当であればいいな、と思っていたことの証拠だ。
(けれど、どこか人を惹きつける何かがあるな)
遥か昔から、人を惹きつけていた月が羽の目の前にある。手を延ばせば触れそうなほどにその輝きがある。
羽が混乱しているのを尻目に、統は懐から紙を取り出し、宙に掲げ持つ。
「面白いのはこれだけじゃないんだ。えっと、この位置からだと、今日の日付と昨日の星図から……こっち!」
「うわぁ!?」
月の正体を知って驚いている羽を無理やり真逆に向かせた。混乱しているのをいいことに、腕の位置などを持って固定する。
「今度は何を……?」
羽の目の前に現れたのは、月とは違いぼんやりとした星だった。けれど、その星の形は羽が想像していた丸ではなかった。
「なんだ、これ」
「面白いだろ、それが鎮星(土星)だよ」
「鎮星、これが?」
鎮星といえば、農業と深い関係があり、この星の運行でその年の実りが分かるといわれているほど重要な星だったはずだ。星、というからには羽は目で見えるように丸く、ちかちかと光っているものだとばかり思っていた。
けれど、望遠鏡を介してみたそれは光ってはいなかった。その代わり、その星を囲うように輪がついている。まるで、舞で使う領巾のように星の周りに丸く輪ができている。黒い空の真ん中で、それは静かに回っている。
「な、星だから丸いとは限らないだろう?」
「あ、あぁ。こんなの、初めて見た」
「そうだろう。でも、これで一つ思いついたことがあるんじゃないかな?」
「…………」
「なにか掴めたかな?」
つかめた、かどうかは分からない。けれど、こうして統と話していると、いかに自分が狭い中にいたかが思い知らされる。
「なぁ、あんたは一体何者なんだ?」
一介の職人にしては怪しい点が多い。王家というのはこういう人たちの集まりなのか、それとも策の友人だからか。
「……ただの職人だよ。ただあるべきものを、あるべき形にするだけの、どこにでもいる職人さ」
「そう、なのか?」
「ちょっと、世間話を聞いてくれるかい?」
「あぁ」
「僕は王家の人間なのだけれど、父上からは長い事見放されてたんだよ」
「なぜ? ほかにきょうだいがいた、とか?」
「そうそう、兄たちがいたから僕なんて跡目を継げることはない、と異国に住まわされた。王家の人間だと知らされることなく、僕は諸国をめぐり、職人の技術だけ学んでいたのさ」
「よくある話だな。でも、その兄たちが全員、その……」
「うん、みんな疫病にかかって死んじゃった。だから、消去法で僕が跡目を継ぐことになったんだ。本当は、細工物を作って、ただの職人として生きていたかったのに」
「俺とは、違うんだな」
「後悔はしていないよ。だって、職務の間にこうして作品はつくれるからさ」
どこか寂しげな声に、羽はそれ以上問えなかった。部屋に戻ってくると、羽は白い楽譜を見つめた。統はついて来るかと思ったけれど、今日はもう帰ってしまったようだ。
「あるべきものを、あるべき形にする、か」
千天節のあるべき形、と考えるとそれは国の安泰を祈るものだ。これから先、民が平穏で過ごせるようにと、代々の皇帝が霊廟に祈るのだ。本来なら、作らなくてもいいものだ。その考えが違っているのだとしたら?
「新しい、願いがある、のか?」
これまでとは違う、新しい願いがあるのだろうか。それはどのような願いなのだろう。羽は思考の迷路に迷い込んでいた。
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