第41話 砂漠の音色
統という青年は王家の傍系に属する者のようで、聞けば地方を行脚してはその土地の材木で細工物を作ることを生業としているようだ。
「一番得意なのは、指物……つまり、箱とか箪笥とか、物を入れる商品が得意なんだ」
そう言うと、統は羽に小さな箱を手渡した。貴重なものを入れるための箱のようで、前面には頑丈そうな鍵がついている。箱の大きさは羽の両手で覆える程度で、首飾りなどが入りそうだ。
側面には菖蒲の絵が彫られており、鮮やかな彩色がなされている。得意というのが分かるほど、丁寧なつくりで、値段をつけて売れるほどだ。
「すごいなぁ、明英が喜びそうだ」
「気に入ってくれたなら、あげようか。どうせそれ、返品されたものだもの」
「え!? こんなに綺麗なのに! どこかに傷か痛みが……?」
ひっくり返し、箱を眺めてみるけれどそんなものは何もない。返品するなんて、なんてもったいないことをするのだろう。
「それ、何か気づかない?」
「え?」
そう言われ、羽は箱の隅々まで見てみた。どこもおかしいところは――。
「これ、二重蓋、とかないよな?」
「ご明察。よく分かったね」
「蓋の厚さが普通の物より厚いような気がするから。あとは、この辺りに何か線があるような気がして」
よくよく見ないと分からないが、蓋の側面にほんの少し線があるように見えた。蓋が二つあるという事は、この蓋の内側に物を入れる空間があるという事だ。この仕掛けは書物の中でしか見たことが無い。遠い異国で発明されたそれは、四角や三画、丸といった図形を用い、見た目では物を入れるものだとは分からないと記されていた。
「開けてみて」
そう言われ、羽は箱の継ぎ目に爪を立ててみる。けれど、それはびくともしない。その継ぎ目すら飾りなのではないかと思ってしまう。時間ばかりが過ぎていき、統は近くの椅子に腰かけ、にやにやと笑っている。いたずらを思いついた子どものような、無邪気な笑い顔なので、文句を言う気が削がれてしまう。
「な、むずかしいだろ?」
「あ、あぁ。どうやって開けるんだ?」
「模様に気を配るんだよ。ほら、貸してごらん」
統に箱を渡すと、箱の表面に円形に描かれた菖蒲の絵をぐるりと回す。次に、側面をずらすとかこん、と何かが外れたような音がした。
「ほら、開いたよ」
そう言われ箱を返された。恐る恐る継ぎ目に手をかけるとするりと箱がずれて中にあった空間が現れた。
「す、すごい」
「ね、すごいでしょう。これは異国の書物にあった手順書を元に僕が考えたんだ。面白いでしょう。僕、こういう細工のあるものを作るのが大好きなんだ」
確かに、物珍しさは価値になる。それも、この国ではまだ出回っていない細工物なら、特に。
「これはね、とある貴族のお嬢様に求婚のつもりで送ったのだけれど、突き返されちゃったんだよね。価値が分からない子じゃないんだ。ちゃんとその細工にも気づいてくれたし」
「は、はぁ。この箱を作れるなら、それこそ簪やら指輪でも作れたでしょう。なんで、そちらを作らなかったんだ?」
「つまらないからさ。あと、そんなもの、彼女は山ほど持っている。溢れたものは価値がない。それにさ、彼女、好いている男がいたみたいでさ。その箱の細工の中に”お前の妻になる気はない”って書状を入れて突き返してきたんだよなぁ」
「ずいぶんと勝気なお嬢様なんだな。うちのと変わらないや」
「そうだろうね。ない……家令がそれを見つけちゃって、うちは上へ下への大騒ぎになったんだよね。断られるなんて何事か、って親族から責められたんだよ」
「…………」
よその家の事なんてどうでもいいと常々思っている羽でも、さすがにかわいそうに見えた。見たところ既婚者ではなさそうだ。この齢でまだ未婚だというのは、ずいぶんと珍しい。あの策でさえ結婚しているのだから。
「まぁ、僕は元々結婚するつもりなんてこれっぽっちもなかったんだぜ。僕にはずっと好いている女人がいるからね」
「へぇ」
面倒くさいやつだな、とは言わないでおくことにした。
「彼女にとって僕はただの客の一人だろうけれど、僕にとっては無二の同志だったんだ」
「同志?」
「彼女もまた僕みたいに物を作る職人でね。幼い頃からずっと肺を病んでいたけれど、彼女の作る物はそれはそれは美しかったよ。儚げで身も心も洗われる花鳥図はこの世の物とは思えなかったな」
遠い昔を懐かしむように言う統の言葉で、その女人がもうこの世のものではないことは容易に想像できた。
「彼女の父上は彼女の代わりに姉君を僕にくれるって言ったけれど、断ったよ。大親友と喧嘩したくなかったしね。あいつ、普段はすべてにどうでもいいと思ってるくせに、奥方に関してだけは意固地だから」
「よくある話だな。大親友っていうのは……」
「ん? あれ、策の奴よく君の話をしてくれるから、てっきり話しているかと思ってたけど。あいつ、黙ってたな」
「おっさんの親友かぁ……」
類は友を呼ぶ、とはよくいった物だ。王家に友人がいて、楽譜を巡って父と仲たがいしたのなら、追い出されてしかるべきだ。それと同時に、策の顔の広さに感心する自分がいる。
「おいおい、あんなんでも陛下から臥龍大聖の号を拝命した楽人だよ」
「それなんだけれど、なんで臥龍なんだろうな。伏龍じゃないんだ、って思った」
臥龍と伏龍。臥という文字には寝るという意味がある。だから、ちょっと残念な感じが出る。策らしいといえばそうだけれど。
「あぁ。それね、あいつがよく寝てたからさ。どんな宴でも、自分の出番になるまで寝てたんだよ。子どもの頃から、学問所で後ろの方で眠りこけててさ。そのくせ先生の質問には流ちょうに答えるもんだから、臥龍って呼ばれたんだよ」
寝てばかりいるのに、難問をすらすらと解き、それらしい稽古もしていないのに宴であの腕前を披露する。
(やっぱりおっさんはすごい人なんだな)
それと同時に、激しい怒りも覚えたのだが。子どもの頃から見ていたら、父もいらだって正解だろう。よく、15年も我慢したなぁ、と思わなくもない。
「で、だ。本題に戻ろう」
「本題……あっ!」
「忘れないでくれよ。勅命なんだから」
「それが、全然思いつかなくて。時間はあるけれど、でも、それに甘えてたら何も出てこなくて」
「あぁ、あるある。納期が1年あると、だらけちゃうよね。僕の事は置いておいて、千天節の曲なんだから、変なものは作れないよね」
「そう、だな。でも、本当に俺でいいのか、と思ってる」
「ふぅん。でも、陛下が君を指名したのは、何かお考えがあっての事だ。君にしかできないと思ったから、楽長殿でも、君の父上でも、臥龍大聖でもなく、君に勅が下ったんだよ」
それは、痛いほどわかる。実力や肩書から鑑みれば、統が挙げた三人に命じられるのが当然だ。なのに、どうして自分なのだろう。
「それは、分かっているんだ。だから、俺はつくらないといけないんだ」
「そんな君にいいものを持ってきたんだよ」
「いいもの?」
なんだろうか。王家に伝わる千天節の資料か何かだろうか。統は背負っていた行李を開けるとがさがさと漁り始めた。しばらくして、統は柿色の布でくるまれた物を取り出して、机に置いた。布をとるとそこから現れたのは琵琶によく似た楽器だった。
「手に取っていいよ」
「琵琶……じゃないな。弦が多すぎる。何本あるんだ? 太いのが3本で……この細すぎる弦は? これは、爪だよな。爪を使うのか? そもそも胴が月みたいに折れ曲がってるな、中は……空洞だな」
書物でも見たことのない楽器だ。そもそも琵琶とも二胡ともつかない。弓ではなく爪をつける所は琴に似ているけれど、形は二胡の方に近い。
「それはね、
「異国の……」
ここにきて異国の楽器と来た。いや、それくらいの物が無いと作れないかもしれない。この際だ、使えそうなものは何でも使わないと。
「弾き方は琴に似てるから、君ならすぐに分かるだろう。その太い弦が奏でるためのもの。横の細い弦は……弾いたら分かるよ。あ、調律は済んでいるからそのまま弾いていいよ」
そう言われても、いきなり弾ける程羽の頭は柔らかくない。とはいえ、統は弾けそうになさそうだ。
「笑わないよな?」
「おやおや、僕はそこまで人でなしではないよ。誰だって初めはあるだろう」
弾き方は琴に似ているが、この大きさだと二胡のように膝に乗せるのだろう。構え方は琵琶でいいだろうか。
かん、かん、と音が鳴りだした。
(あ)
たった二音、けれど初めて聞こえた音だった。
(重なっている……この細い弦が振動しているのか?)
弾いた音の周りを取り囲むように音が重なる。月に寄り添う叢雲のようなその音は、羽に異国の地を思わせた。
「ね、面白い音でしょう」
「あ、あぁ。妙な感じだな。自分で出したのとは違う音が聞こえるってのは」
「さすがだね、もうそこまで気づいたか。僕の目に狂いはなかったね」
「へ?」
「いやいや、こっちの話。君の参考になればと思って持ってきたから、僕も何か弾こうかな。ここは周家、楽がすべての家なんだろう」
羽の返事を待たずに統は羽の部屋を眺めまわした。何か弾けそうなものを探しているのだろう。ならば、そこにある異国の楽器を弾いてもらいたいところだが、彼の眼中にはなさそうだ。
「琵琶、でいいか」
と、統は琵琶を掴んで戻ってくる。息をつく間もなく、統がばちをとり音を出す。
げげん、と場が引き締まるような音が出た。ふわふわとした言動の癖に音は地に足ついていると感じた。華やかさはないが、基本に忠実でしっかりとした音だ。
統が奏でたのは、周家では練習曲と位置付けられている曲で、あいさつ代わりのつもりだろうか。
と、統が奏でている時にバタバタと遠くから騒がしいほどの足音が聞こえてきた。
「羽!」
「ち、父上!?」
息まいて駆け込んでくるとは珍しい。目を丸くして父の存在を認めた羽は、ひやりとした。
「あのですね! 父上!」
自分が練習していたのだ、と言わなければ。こんなところに、王家の人間がいると知られれば何を言うか。
「だれもいない、か」
「え?」
羽がきょろきょろと見渡しても、統の姿はどこにもない。あの大きな荷物も消えている。
「いや、そんなわけはないか。あの音は……」
「父上、どうされたのです?」
「お前には関わりの無い事だ」
「は、はい」
父に言われてしまえば、そこまでだ。父が去っていくと、羽は机に置かれたままの雷貝琴に手を伸ばした。夢の中の出来事のようだったが、楽器の存在だけが本当の事だったと知らせてくれる。
「この楽器は、砂漠の音がしたな」
恐る恐る音を出してみると書物でしか見たことない景色が広がった。草木が枯れ果て、生命の息吹を感じられないが、白い砂は月の光を受け輝いている。波打つ砂はさらさらと流れ、旅行く人々の跡をなぞっていく。ひっそりと歩んでいく人々の姿が羽の脳裏に広がっていた。
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