KAREのタバコを観ていた
小学生の図工の時間に絵の具を使ったことあるだろう?僕はあのとき見とれてたんだ。いろんな色が混ざって濁っていく水に。最終的に黒?と言い切ることもできない絶妙な色に変っていって、そして捨てる。透き通る聖水、まあ水道水だが・・・こいつに入れ替わったときのエクスタシーといったらもう・・・計り知れない。
いま僕が見上げている武蔵野の空もそんな感じだ。この曇りもいずれ晴れ、透き通る。
ここへは変化のために来た。他人からすれば「自分探し」ともとられかねない動機で、何とも言えない恥ずかしさがあるが。
僕は小学2年の夏から転校を繰り返している。自分の意志で転校を繰り返してきた。現状を停滞させることが何よりも我慢ならず、毎日違う服を着て、毎日違うものを食べ、毎日違う女性と寝る。新聞のように目まぐるしく変っていく僕の記事には、節操はなくただ「変わる」という事象だけが「変わらない」まま存在する。
「この街にも何日で飽きるやら」
そうボヤいて日雇いのバイトへ向かった。
新居のマンションにバイトから帰ると、朝とは違う臭いがした。「違う」とはまさに僕好みな響きで景気がいい。午後8時でもう暗くなった階段を上っていくと、その臭いの元はどうやら僕が住む階にあるようだ。部屋の扉の前の通路でタバコを吸っている男性がいた。彼は中肉中背で、上下黒のジャージを着ていた。額の大きな黒縁メガネをかけ、茶髪。歳は30前後といったところだ。
「あ、こんばんは」
彼はそう言いながら煙を吐いた。
「こんばんは」
彼はそれからまたそっぽを向いてタバコタイムを再開した。たしかにここは夜風が気持ちいい。僕はタバコを吸わないが、吸うとしたらここは最高のタバコスポットなのだろう。
僕は一瞬だけそんなことを考えながら自分の部屋へ入った。今日の夕食はコオロギとしめじのバター炒めだ。
朝食に鼠肉のサンドイッチを食べながら支度を済ます。今日は清掃員のバイトだっけ・・・?
「いってきます」
無人の部屋にそう告げて僕は外に出て鍵を閉めた。
「あ、おはようございます」
昨晩のあの人の声がした。同じ階なのだからいて当然、しかしなぜか違和感を感じた。なんだろう・・・あ、臭いか。「違う」んだ。昨晩と。
ちらっと目をやると確かに缶コーヒーを飲んでる。僕は挨拶を無視して階段を降りた。昨日いっかい挨拶しちゃったし、もう話さなくていいか。僕にとって不変は毒だ。友達も恋人も、一日限り。これほど純度の高い一期一会もないだろう。
オフィスビルの清掃をしているとスーツを着た皆さんをよく見る。僕は明日になればここには二度とこないので知ったことではないが、皆さんは今日も明日も、きっと昨日だって変わらず同じ会社に行くんでしょう?
そんなことをして正気を保っていられる皆さんを尊敬します。賛美します!すごいです!本当に素晴らしい!僕は気がふれそうだ!何度も何度もなんどもナンドモなんども何度もんさんさもなんんんん・・・。
一度落ち着くためにトイレ休憩しよう。
「げえええええ!おえっおおおおっ!」
朝食がここにきて効いてくるとは・・・。毎日違うものを食べるというのを何年も続けているとレパートリーもだんだんと減ってくる。あんなものでも食べなければ・・・変化が消え、僕は狂ってしまう。
吐きながら聞こえてきた隣の個室での会話。
「ええ、その件でしたら今日中に報告できるかと。はい・・・ははっ娘さんがそんなことを?早いですねー、以前お会いしたときはまだ小学生だったというのに・・・変わりましたねー」
「変わった」という響きで少し落ち着きを取り戻した僕は、ふと今朝の出来事を思い出していた。コーヒーを飲んでいる名も知らない彼。革ジャンを着て、赤い髪の青年、オデコに入れ墨が入ってて・・・あれ?「違う」?のか。というかなぜこんなことを今さら思い出しているんだろう?
「それではそういうことで、はいはい、はい。わかりました。失礼します」
この声だ!これは彼の声だ!彼がなぜこんなところに?!
急いで個室を出たところで、彼もほぼ同じタイミングで個室を出た。勢いよく飛び出した僕を怪訝な目で見つつ、ハッとして口を開いた。
「あ、これは偶然ですね。最近引っ越されてきた方だ。私、ここで働いてましてね。あなたは清掃ですか。いつもありがとうございます。おかげで清潔な空間で仕事ができます。おや?気分が優れないようですが大丈夫ですか?」
僕は何も言わずトイレから逃げた。後ろから「ちょっと・・・」と彼が呼び止める声が聞こえた。薄くなった髪に、ビール腹を重く抱えたスーツ姿の50代の彼の声が・・・。
走ったせいで吐き気がすぐにぶり返す。さっき自分が綺麗にしたビルの廊下に吐瀉物をまき散らし、周りからは蔑んだような視線をまき散らされ、僕は顎に垂れたヌルっとしたものを拭うこともせずビルから飛び出した。服のボタンに手をかけ、上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、ついにはパンツも脱ぎ、全裸になって笑う。
「見つけた!見つけたぞ!ぐええええっ!」
大声で笑うのと同時に吐瀉物が出たせいで噴水のように道中にまき散らしてしまう。また喉にも詰まりそうになり、何度もせき込み、酸っぱい臭いの咳を繰り返し、そのせいでまた吐いた。
「どうしてあんなことをした?」
パトカーの中で警察官に聞かれた。
「見つけたからです。永遠の変化を・・・」
ハア・・・とため息をついて彼は黙ってしまった。たぶん頭のおかしな奴だと思われたのだろう。ああ、なんて変化だ。今ボクはパトカーのなかで警察に捕まり、狂人だと思われている!さっきの僕の公開オナニーも、何人の人が見ていたんだろう。「変わらない」生活をする皆さんの前で「変わる」ものを思い出して、全裸、笑い、ゲロという形でオナニーした。
「取り調べの担当が来るから、おとなしく待ってろよ」
ドアは閉められた。
僕はもう出られない。
担当者がやってきた。
強面の中年男性で、清潔感ある黒髪と引き締まった体。背は高め。
「では取り調べを始めます・・・あ、あなたは!」
僕は射精した。・・・彼の声だった。
何も喋らない僕は留置所に入れられた。
「彼を殺さなくては・・・」
彼を殺し、死体を手元に置いておけば毎日彼は「変わる」だろう。「変わる」を所有できる。これで僕は定職につける。好きなご飯も食べれる。友達も恋人も、家族だって作れるかもしれない。お母さんが作ってくれたハンバーグ、好きだったな。また食べれるんだ・・・。
ビビビビビビビビッ!!!!
警報が鳴り響いた。
何が起きてる?
「な?あんたも逃げねーか?」
警察官から奪い取ったであろう鍵で僕の部屋のドアを開け、僕を外に出してくれた。
「昼間会ったときとは随分ちげーな。さっさと行こうぜ」
坊主頭で切れ目が特徴的な20代前半の男性。背は低め。彼の声だった。
僕らは外へ一目散に走った。外はもう夜だった。暗い中をがむしゃらに走ってついたのは公園、もう人通りも少なく、そこには彼と僕の二人きりだった。
ここでならやれる。
首を折るか?殴り殺すか?絞め殺すか?
バンッ!!
発砲音と共に彼が崩れていくのが見える。
「貴様ら、こんなところに・・・!」
中性的な顔立ちだが、目つきは凛々しい。右足を引きずっているようだ。その警官が発砲し、大声で怒鳴った。・・・彼の声で。
「もう逃げ場なんて・・・うっ!」
「ないのはアンタのほうだぜ?」
ひょっとこの面を被った瘦せ型の男。全身黒ずくめでスキンヘッド。
・・・まただ。
彼は彼の血で染まったナイフを持って近づいてきた。
僕は救われたかったのだ。この性分から。そして救われたくなかったのだ。もし救われてしまったら、今まで切り捨ててきたものが無になってしまう。毎日夜遅くまで働いてくれてたお父さんは?パートと育児をこなし、やつれ切って笑っていたお母さんは?小学校で初めて声をかけてくれたトシちゃんは?初めて僕を恋愛的な意味で好きと言ってくれたみーちゃんは?何のために僕は・・・。だけど見つけた。「変わる」を所有することで僕自身が「変わる」必要性を失える。「変わらない」でいいという最大の「変わる」を得られる。変わり続けることが変わらない日常。
「そうか・・・皆さんだけじゃない。僕もすでにおかしかったんだ」
彼は倒れた。血に染まるナイフを手に、僕は彼を眺めていた。彼だったものの下に赤い絨毯がしかれていく。夜闇のなかで怪しく「変わる」地面。
翌朝、僕が浴室に寝かせた肉を観に行くと、彼はひょっとこの面を被った痩せ型の男で、スキンヘッドだった。ひょっとこの面を取って僕は呟いた。
「こんばんは、じゃねーんだよっ!糞がっ!」
ー半年後ー
僕は引っ越しをした。彼が住んでいた部屋に。先月のことだ。
そして僕が住んでいた部屋には今日新しい人が越してくる。
「はじめまして。新しく越してきた中村俊哉です。今後ともよろしくお願いします」
「あ、こんばんは」
鮫の肺はいつも冷たい・作品集 汐咲アクメ @siosaki-akume
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます