甘い香りを辿って

コクイさん

第1話

 もし、アップルパイを作るコツを知りたければぜひ覚えておいてほしい。

 秘訣はバターの量だ。

 しみったれた婆さんみたいにケチケチ使うなよ。

 キログラム単位で数えなければならないほどの大量のバターの塊を生地に練り込む。

 それが秘訣だ。

 だが、悲しいことに俺に電話をかけてくる『お客さん』達はそんな情報を欲していない。

今にも死にそうな声で奴らは俺に救いを求めてくる。


『彼氏に振られてもう私どうしたらいいかわからないんです、さっきも……』

「じゃあ死ぬべきだ」

『……は?』

「君は死ぬべきだ」


 これでも、最初は真面目に相手をしてあげていたんだぜ。


「もしもし、こちらアップルパイ専門店『アダム』でございます。はい、はい……はあ、ええ、はい……間違い電話では?はあ、ええ、ええ……」


 万事この調子で、1回の電話に1時間半もかかるからアップルパイを作る時間なんて吹っ飛んでしまった。

『お客さん』は1秒と間をおかずに次々と電話をかけてくる。


「親から逃げたい」

「受験に失敗した」

「会社に行くことができない」


 人の悩みは十人十色だが、結局ほとんどの人間が最後には「死にたい」と言い出す。

 うんざりだった。

 ハンズフリーマイクをつけ、パイ生地をこねながらベルトコンベアの流れ作業のように最期の宣告をする。


『事業が失敗して借金が』

「死になさい」

『大腸癌のステージ3だって』

「死んだほうがいい」

『万引きが学校にバレた』

「そうか、じゃあ死ぬんだな」

『いま首に縄をかけた』

「それでいい」


『お客さん』との会話は1分、1秒でも短い方がいい。

 そうでないとアップルパイを作る時間がなくなるから。

 そもそも、なぜこんな状況になったのかというと、どこかのバカが俺の店の電話番号を匿名無料カウンセラーだと言ってばら撒きやがったからだ。

 辛くなったり、死にたくなったりしたら、この電話番号にどんどんアクセスしよう、とそんな感じだ。

 まだ海外からは電話が来ていないので流通しているのは国内だけらしいが、それも時間の問題かもしれない。

 俺がヘマをやらかしたのは、ある『お客さん』がとんでもないアホだったからだ。

 ヤツは言った。


『組の金に手をつけちまった』

「死ぬべきだ」

『言われなくてもやってやるよ!』

「そうか、漢を見せてくれ」

『ああ!俺はもう終わりだ!今更怖いことなんてないぜ!』

「そうだ、死ぬんだ」


 マイクの向こう側から、カチャリという小さな金属音がした時に察するべきだった。

 だが、アップルパイに使うバターはもたもた作業をしていると人肌の温もりで溶け出してしまう。

 素早い作業と集中力は反比例する。

 俺は天才じゃないから、なにか1つのことをするには別のなにかを捨てなければならない。

 そういうわけで、俺はその男が撃鉄を起こす音に気がつけなかったのだ。

 轟音。

 奥歯が砕けるかと錯覚するほどの痛みが俺の脳味噌をめちゃくちゃにしやがった。

 鼓膜は辛うじて破れていなかったが、暫くはなんの音も聞こえなかった。

 まさか、拳銃自殺されるとは。


「ばっかやろお……」


 頭痛と吐き気をこらえながら、なんとかアップルパイの仕込みを終えたところで次の着信に気がついた。


『もしもし』

「死んでくれ」

『え?』

「君は死ぬんだ」

『あの、えっと、アップルパイ専門店のアダムさんじゃないんですか?』


 まさか本当のお客様から電話がかかって来るとは。

 半年ぶりのことだった。

 俺はあまりにも予想外の出来事に、咥えていたタバコを落としてしまう。

 暫くあいた口が塞がらなかった。


『違うんですか?』

「……いいえ、いいえ。間違いありません。アップルパイ専門店のアダムでございます」

『アップルパイの予約とか出来るかしら?』

「残念ながら出来ません」


 少なくともあなたには。

 少なくとも俺がこの店のオーナーである限りは。

 一体、どんな顔で出迎えろというんだ?

 顔を直接見ないからこそ、自殺を勧められる。

 電話の向こうにいるのは、どうしようもないドン詰まりのヤツらだと思わなければ、聖なる託宣を告げることはできない。


『どうしても?』

「どうしてもでございます」

『……いいわ。直接買いに行くから』

「お待ちしております……」


 俺はどうしようもないバカだ。

 つまらん遊びにかまけて本業が疎かになるとは。

 さて、どうしたものか。

 翌日もアップルパイの売れ行きは大して変わらなかった。

 増えもせず、減りもせず。

 俺は匿名無料カウンセリングのホットラインを片手間でこなしつつ、俺は注意深く様子を伺っていた。

 やがて1週間たち、2週間たち、あの夜の出来事もすっかり頭のから抜け落ちた頃に電話が鳴った。

 あの女だった。

 俺はまたしても同じ失敗をした。


『もしもし』

「死になさい」

『え?』

「君は死ぬべきだ」

『アダムさんですよね?アップルパイ専門店の……』


 すんでのところで舌打ちするのを堪えた俺を褒めてくれ。

 代わりにアップルパイの生地に麺棒を叩きつける音が聞こえたかもしれないが、それは幻聴だ。

 耳鼻科に行くことをおすすめする。


「……ええ、はい、アップルパイ専門店のアダムでございます。ご用件をどうぞ」

『あなたのところのアップルパイとても美味しかったわ!それを伝えたくて。パイ生地のさくさくとした食感、バターの香り!やっぱり職人技ね!』


 この店の従業員は俺だけだ。

 つまり、接客も俺が行うわけだ。

 受話器の向こうにいる女のような客が来たらすぐに気がつくはずだが……

 電話の向こうにいる女の顔がまったく像を結ばない。

 こいつは一体何者なんだ?


『私もアップルパイを焼くからすぐにわかったわ。この人はパイ生地をこだわって作ってるって』

「ありがとうございます」

『ただその分、りんごとカスタードがありきたりすぎてつまらない』


 自分の仕事にケチをつけられた時、あるいはダメ出しをされた時、普通なら怒るべきところなのだろう。

 だが、女の言うことは紛れもない事実だった。

 俺のアップルパイに入れるりんごは既製品のコンポートだし、カスタードクリームも業者から仕入れている。

 卵を使って丁寧に作りたい気持ちもあるが、1人ではとてもそこまで手が回らない。


「あんた何者なんだ?」

『ただのお客さんよ。アップルパイが食べたくて、今にも死にそうなね』

「なにもかも知ってるってわけか?」

『そういうこと』

「なにが望みだ?」


 警察に駆け込まれたら俺の身が危うくなる。

 自殺教唆罪、自殺関与罪、他にも俺が知らない罪がこの世にはたくさんあり、優秀な弁護士を雇うための金を俺は全く持ち合わせていない。

 バターでベタベタになった手でタバコに火をつけながら、俺はゆっくりと腰を下ろした。

 長丁場になりそうな予感がしたからだ。


『私を雇ってほしいの。2人で最高のアップルパイを作りましょう』

「死ぬといい」

『話を聞いて』

「嫌だ」

『そろそろパイ生地の仕込みをする頃でしょ?私もお供してあげるわ。声だけだけど』


 そう言って、くすくす笑い続ける女は俺に有無を言わさず語り始めた。

 少し掠れた声がそっと俺の鼓膜を撫でる。

 素直に認めるのはかなり癪だが、その日の作業はいつもよりも捗った。



 さて、なんの予告もなくてすまないが、アップルパイ専門店のアダムはここしばらく休業になる。

 もしも、アップルパイ目当てで足を運んでくれたなら申し訳ない。

 俺は今、人探しで大変忙しいんだ。

 あの夜、女は言った。

 父が死んだの、と。

 自殺だった、と。

 どこかのカウンセラーに電話をかけた後、真っ青な顔をして出かけたと思ったら公園で首を吊って死んでいた、と。

 アップルパイが自慢の小さなケーキ屋を営んでいたが、借金が嵩みどうにもならなくなった末の自殺だった。

 娘が料理学校を卒業し、二代目パティシエールとして店を継ぐ矢先の出来事だ。

 親父さんが握りしめていた紙切れにはうちの店の電話番号が、ミミズがのたくったような汚い字で書かれていたらしい。

 そういった出来事を、女はつらつらと俺に語った。


『初めは復讐してやろうと思ったの。電話番号で検索したらあっさりあなたのお店が見つかったわ。小さくて可愛いアップルパイのお店』

『私もアップルパイが大好きだったから。どんな味か確かめてやろうと思ってこっそり買いに行ったの。不味かったら店に火でもつけてやろうと思って。念の為、あなたの顔もばっちりカメラで撮ったわ』


 でもね、と女はか細く息をはいた。

 父親の作ったものより数段美味しいアップルパイを食べたことで考えが変わった。

 悔しいが、このアップルパイを作れる男を殺すわけにはいかない。

 しかも、まだこのアップルパイには伸び代がある。


『本格的にパイ生地を焼くには専用の設備がいる。バターを冷やすための大きな冷蔵庫、均一に生地を成形するための機械、火力の安定したオーブン……みんな借金取りにもっていかれた』

『無いものを嘆いてもしょうがない。せめて出来ることだけでも、と思って私はカスタードクリームとコンポートを作ることに必死になったわ。いつか独立して店を持ったとき、父が作ったアップルパイを再現できるように』


 電話の向こうで、女はなおも語る。


『あなた優しいでしょ。悪ぶってるだけで。実際に電話してみてそう感じた。「死ね」とは一言も言わなかったもの。あなたのところに電話をかけてくる人達はみんな、最後の一押しが欲しいだけ。そしてあなたはそれを的確に与えているだけ』


 見透かしたようなことを言わないで欲しいもんだ。

 君の父親には「死ね」と言ったかもしれない。


『強がっても無駄。あなた優しいから。だから、そんなあなたが苦しむ復讐を私も考えたの。一言も聞き漏らさないで?いい?今日から1年時間をあげる。その間に……私を見つけだして』


 見つけられなかったら自殺する、と女は言った。


「やめろ。そんなことしてなんになる?」

『いままで散々言ってきたくせに、今度は「死ね」って言わないのね?』

「いいからやめろ」

『私のカスタードとりんごのコンポートをあなたのパイ生地に合わせれば、最高のアップルパイが完成する……アップルパイ好きなんでしょ?死ぬ気で追いかけて来てくれないと永遠に手に入らなくなるわ』

「手がかりもなしにどうすればいい?言いたいことはわかったから、とにかくやめろ」

『この電話がホットラインよ。絶対に断ち切らないで。あなたにかかってくる自殺志願の電話の中から私のメッセージを見つけだして。24時間、365日、心を病んだ人間や今にも死にそうな人間に寄り添いながら、私からの電話を待ちなさい』

『私は1年間の間に腕を磨く。どこかのお店に弟子入りしてパイ生地の勉強をする。もしあなたよりも美味しいパイ生地ができたら……その時もあなたの前から姿を消す。二度と会わない』

「なんだと?」

『これが私の復讐。死ぬ気で求めないと捕まらないわ。じゃあ、そろそろ話し疲れてきたから電話を切りたいんだけど……』

「 よせ、切るな!やめろ!」

『……お別れの前に最初のヒントをあげる。私の名前はイブ。一応、これでも本名よ。あ、下の名前ね。苗字は秘密。じゃあ、せいぜい頑張ってね、バイバイ』


 耳の奥でつー、つー、と機械音が虚しく鳴り響いている。

 あの女、イブは容赦なく電話を切ってしまった。

 一方通行のホットラインと、イブを追いかけるアダム。

 追いつけるだろうか?

 俺は甘く漂うアップルパイの微かな香りを求めてさまよい歩いている。

 1年以内に見つけられないと永久に失われてしまうとあれば本気にもなるさ。

 狂おしいほどの情熱は、ほとんど恋と言ってもいい。

 毎晩イブからの電話を焦がれるくらいに待っている姿は、はたから見たら滑稽なものだろう。

 まあ、待っていてほしい。

 そう遠くないうちに人類史上最高のアップルパイを作り上げてやるから。

 え?もし間に合わなくなってイブが死んだら?

 その時は俺も後を追うよ。

 あの世でアップルパイ専門店を2人で開くのさ。

 逃げ切れると思ったら大間違いだ。

 アンタも食いたくなったら死ぬといい。

 じゃあな。
















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