驚(きょう)のわんこ

とほかみエミタメ

第1話

 犬と猫、どちらが好きかと聞かれたら、僕は迷わず前者を選ぶ生粋の犬派だ。

 毎日動画共有サイトにアクセスして、ごまんとあるラブリーなわんこ動画を漁るのが、日々のルーティンワークである。


 さあれども、実際に自分でわんこを飼った事は、今までに一度もなかったりする。

 だって、直にわんこに触れるのは怖いからね。

 かてて加えて、よしんば、わんこを撫でてこねくり回せる所まで辿り着けたとしても、わんこの抜け毛が衣服に付きまくっちゃうし、で僕がペロペロと舐められちゃうかもしれないだろう? それってばっちいじゃないか。


 以上のような理由から、僕は映像だとか、或いは散歩中のわんこを離れた場所から視界に入れるだけで、いとも容易く満足感を得られちゃう人間なのだ。


 さてさて、僕のご近所に一匹のウェルシュ・コーギーを飼っている家屋がある。そこのコーギーは外飼いである為に、そのお宅の玄関前へ行きさえすれば、いつだって見物が可能である。

 勿論、よそ様の敷地なので中に入る事はせずに、飽くまで僕は見るオンリーだ。


 ここのコーギーは非常に大人しい性格で、誰かにけたたましく吠えている姿なんて見た事が無いし、僕の理想のわんこだと言えよう。因みに、散歩中のコーギーに遭遇する事もちょくちょくあったりする。

 こんな感じで、いざコーギーと視線が合った時などは、おのずと僕が「どうも」と言いつつ、コーギーに軽く会釈をするのが定例行事となっている。当たり前だが、はきょとんとした表情を見せるだけなのだがね。


 そんなある日のこと、コーギーはいつものように、御家おうちの庭先でゆったりとくつろいでいる御様子。なので、僕も普段通りにペコリと頭を下げて通り過ぎようとすると、「よう、にいちゃん」と何者かに声を掛けられたのだ。


 周囲に人の気配は無く、僕がその場であちこち見回していたら、「おい、こっちやがな、兄ちゃん。ワシやワシ。ワシやがな」と言われる。


 声のする方向に顔を向けると、何とボイスの主はあのコーギーであったのだ。


 そりゃもう、最初はエラく驚いたのではあるが、僕の中に潜むツッコミスキルが瞬時に発動し、「と言うか、なんで関西弁やねん?」と、僕も負けじと関西弁で応戦した。


 すると、件のコーギーは答える。


「そないなもん、ワシなりの照れ隠しに決まっとるやんかいさ。ネット上の某巨大掲示板サイトやと、頻繁に見られる現象なんやで。知らんけど」


 なんのこっちゃ。意味不明。あんたとはやっとれんわ。もううええわ。


 構わずに、コーギーはこう続ける。


「あんな、ワシら犬っちゅう種族はの、余命幾許よめいいくばくも無くなった時にやね、「人間の言語で親しい者とだけ会話をする機会が与えられる」みたいなんよ。ごく稀に神様のお許しが出んねんて。ホンマありがたいこっちゃで。せやけど、ワシも15年もの長きに渡って生きてきたさかいにな。……そうやなあ~、恐らく明日辺りには、ポックリ逝くやろうで、ナハハ!」


 ……ですってよ。なにわろとんねん。なにがおもろいねん……。


「兄ちゃんがワシに挨拶をしてくれとった事とかな、地味に嬉しかったんやで。……まあ、今日でお別れじゃけぇ、今までありがとの。げに、楽しかったわ。……元気でな、兄ちゃん。じゃあの」


 と、コーギーは僕にさようならの言葉を述べた。


 どうでもいいけれど、「最期の方は広島弁になっとるやんけ」と、心の中でツッコミを入れながら、僕は涙した。


 そうして、その翌日からは、昨日の宣言通りに、もう二度とコーギーの姿を見る事は叶わなかった。


 だがしかし、それから一週間も経たぬ内に、再び別のわんこがあの家に迎えられていたのだ。まだ子犬のウェルシュ・コーギーである。


 僕は声に出して「いや、そら早すぎやって!」と、思わずその子犬のコーギーに、超神速でツッコミを入れてしまった。


 まだ先代のコーギーが召されて間もないと言うのに、とっとと新たなコーギーを受け入れて不謹慎だとか、そうした感情から出た台詞では断じてない。


 これなる子犬のコーギーが、「よう、あんちゃん」と声を発したからだ。

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