第5話 育みの歌

 いつからか、モミジの奇行がささやかれはじめる。


 晴れの日に、大きな傘を持って外出するモミジ。そのまま晴れた日には疲れた顔で帰ってきて、雨が降ると逆に笑顔を忍ばせて帰ってくる。


 それは、今までになかった行動。その事に興味を持つ者がモミジに尋ねてみても、『別に……』という言葉しか返ってこない。

 求められぬ興味はやがて薄れる。

 いつしかモミジの奇行を、誰も気にしなくなっていった。


 ごく一部の者を除いては――。


 だが、モミジはそんなことは気にもせず、隙を見つけては抜け出していく。

 二人で入れる大きな傘を一つ持ちながら。



「ごめんよ。いつも待たせて」

「…………」

 ほんの少し不機嫌さを表すように、モミジは口を真一文字に結んでいる。雨が降り始めてからの、そわそわとした感じは、まるで嘘のようだった。


「ありがとう。今日も来てくれて」

「――いい。勝手に待ってるだけだから」

「会えてうれしいよ。ありがとう」

 はにかんだ笑顔で視線を下げるモミジに、爽やかな風のようなタケルの声が届けられる。


「今日はどこに連れて行ってくれるんだい?」

 その声にモミジが顔をあげると、降り始めた雨を愛おしそうに見つめるタケルがいた。ただ、顔をあげたことに気付いたのだろう。タケルは真っ直ぐモミジを見つめなおす。


 世界を見たいというタケルの顔は、好奇心に満ち溢れている。そんなタケルの視線を直視できず、モミジは視線を外しながら気恥ずかしそうに呟いていた。


「そんなに期待されても困る。ごくありふれたものだから」

「でも、二人で見るのは初めてだよ」

 聞こえるとは思わなかったのだろう。モミジは思わずタケルの顔を見上げていた。


 その瞬間、タケルの優しげな瞳の中に、モミジは自分の姿を見つけていた。いつも灰色の世界にいた自分が、色鮮やかなところにいる。


 それだけではない。その表情は、いつもの自分ではないように感じていた。


 戸惑いの中にあるかすかな喜び。

 瞬時にモミジは自分の姿をそう悟る。


 その瞬間、モミジの中で何かが色づき始める。


 でも、それ以上その瞳を見続けることの出来なくなったモミジは、その大きな傘をタケルに差し出していた。


 笑顔でそれを受け取るタケル。

 傘を広げたタケルに、モミジがすかさず隣に並び、向かう先を指示していた。


「あっち」

「わかった」


 たったそれだけの短いやり取りで、二人は同時に歩き出す。

 無言で歩く二人に、傘と雨音が寄り添っていた。


 穏やかに心地よく流れる時間。

 ほんの少し口元が緩むモミジ。


 ときおり前を見ては、すぐ足元を見る。それを何度も繰り返すうち、いつもモミジはほんの少し後ろを歩いていた。


「どっち?」


 やがて、分かれ道に差し掛かり、そう言って振り返ったタケルは、モミジの顔を覗き込んでいた。お互いの息が感じられるその距離に驚き、思わずモミジは体をのけぞらせる。


「あぶない!」

 その声と共に、タケルの腕の中に引き寄せられたモミジ。初めて味わう感じに戸惑いながらも、彼女はそこに心地よさを感じていた。


 その瞬間、またモミジの中で何かが壊れる音がした。


「大丈夫?」

 その心配する声で、自分の状態を急速に理解したモミジ。

 驚き、突き放すように、モミジはタケルから離れようとする。


 だが、その瞬間。


 再びよろけたモミジの手を、タケルがとっさに握りしめる。

 その手の温もりを感じたのだろう。モミジの瞳は、しっかりとタケルを見つめていた。


「さっ、行こう」

「――うん」


 再び歩き出す二人、その距離はますます近づいていた。

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