第4章(その6)
「じゃあ持っていけよ。好きにするといい」
魔人はあっさりと、そのように言ってのけました。その言葉にリテルははっと顔を上げ、ホーヴェン王子は、ぶざまに地面を這いずる姿勢のまま、顔を真っ赤にして叫びました。
「なんと! この俺の処遇だぞ! 貴様がそれを決めるのか!」
「あんたを捕まえているのはおれだぞ。おれが決めちゃまずいか?」
「うむぅ……そ、それは確かにそうだが、このような得体の知れない者の言い分に対して、そんなに簡単に、深く考えもせずに同意していいのか?」
「あんたが勝手におれの住処に踏み込んできたからこうなっているだけだろ。おれは別にあんたを捕まえたくて捕まえていたわけじゃないからな」
「貴様が村など襲わなければ、おれも好き好んでこのようなところに踏み込んだりするものか!」
「別に襲ってなどいない。リテルもこの通り、まったく無事だしな」
「ぐっ……で、では略奪の件はどうだ? わが軍の糧食をさんざんかすめ取ってくれたではないか」
「リテル一人の食事なんてたかが知れてるだろ。それに盗みに来るのが分かってるんなら見張りを立てればすむ話だし、それでも盗まれるのはその見張りが間抜けっていうことだろ。それが人の家に殴り込みをかける理由になるか?」
「詭弁だ! 盗人猛々しいとはこのことだ! 屁理屈を並べてこの俺を愚弄する気か!」
王子は顔を真っ赤にして怒鳴りましたが、魔人はしごく冷静なものでした。
「だったらどうだってんだ? おれは自分の住処が静かになればそれでいいんだよ」
王子がそれ以上何をまくし立てても、魔人は聞く耳など持ちませんでした。それよりも気がかりなのはリテルの方で、魔人は彼女の方をちらりと見やったのでした。
もしこのまま老人が王子を連れていけば、王国軍がこの洞穴を攻める理由がなくなります。リテルがこのまま無事に村に戻るようならば魔人討伐という王国軍の当初の目的すら無理に果たす必要もなくなるわけで、ある意味ではこうするのが確かに最良の解決法と言えたのかも知れません。
――でも、本当にそれでいいのかな。
老人に付き従う牛頭の巨人のうちの片方が喚き散らす王子を軽々と担ぎ上げるのを、リテルは釈然としない気持ちのまま、ただ見ていることしか出来ませんでした。
「では、確かに受け取ったぞ」
老人がそのように念押すと、彼ら一行は魔人とリテルに背を向けて、そのまま来たときと同じ通路の行き止まりに向かって消えていきました。そのまま一行の姿は闇に溶け込んでしまい、暗がりにどれだけ目を凝らしてもそれ以上どこにも姿を見付ける事は出来ませんでした。
呆然とするリテルを後目に、魔人は大急ぎで広間の水たまりを覗き込みます。リテルも慌ててあとに続くと、魔人は水鏡の術で老人の一行を映し出したのでした。
「山を下っている」
魔人の言葉通り、彼ら一行は夜の岩山の斜面をひたすらに下っている真っ最中でした。
その行く先を塞ぐようにして、斜面の途中に部隊を展開させていたのは、王子を奪回にやってきたフォンテ大尉率いる王国軍でした。突然の老人の来訪で魔人もリテルもすっかり注意を払うのを忘れていましたが、丁度老人と対面している、その機会を狙いすましたかのような局面で、大尉達は奪還の部隊を火の山に送って寄越していたのでした。
彼らが山に登ってくるのに今まで気付かずに接近を許してしまったのは魔人の不覚でしたが……事態はそれ以上に、厄介な成り行きをみせたのでした。
王国軍の兵士達は、山の斜面を下ってくる不審な一行――つまりは老人達を見とがめ、誰何しようとしますが、牛頭の怪人が肩に背負った王子の姿を見て、皆一様にあっと声を上げたのでした。そうやって浮き足立つ兵士達に向かって、老人は次の瞬間、右手の杖をかるく振りかざしたのでした。
するとどうでしょうか……何もない空に急に稲光が光りました。剣を手にした兵士達を狙い澄ますように、雷光は落雷となって、兵士達の頭上に落とされたのでした。
「――!」
水鏡の像が捉える像は急にまぶしく光って、真っ白になって何も見えなくなってしまいました。リテルはまぶしさのあまり一瞬目をしばたたかせましたが、次に見えた光景はといえば思わず目を背けたくなるものでした。
落雷は一度では止まず、雷鳴をとどろかせながら、続けざまに兵士達が展開している岩場の斜面に次々に落ちていったのでした。それが自然の現象などではないことは見ればあきらかでした。稲妻は次から次に兵士達を薙ぎ倒していきます。あやかしの手妻に、王国軍の兵士達はただ為すすべもありませんでした。
そんな折、水鏡の像をじっと凝視していた魔人が、ぽつりと呟きました。
「何か、近づいて来るぞ」
言われるがままにリテルが視線をやると、水鏡の向こうに見える彼方の空から、光る何かがまっすぐにこちら側に……つまりは老人達のいるところに向かって飛来してくるのが見えました。
(次章につづく)
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