第4章(その5)
「それは、もう。かつてこの王国の半分を焦土とし、あまたの民という民を殺戮した、他の何よりも恐ろしい火の魔王ではありませぬかな」
老人の言葉に、リテルが少し複雑な表情になって魔人を横目でみやるのでした。その視線を受けて、魔人は必死になって首を横に振るのでした。
「いやいやいや、違う違う違う。爺さんはおれを誰かと勘違いしているぞ。おれはそんなことはしないし、しようと思ったこともない」
「おや、そうなのかな? 地熱に揺られて長くまどろんでいるうちに、随分と気性が変わってしまったということなのかな? まあ、過去のいきさつなどこのさいどうでもよろしい。大事なのは、火の山のあるじたるバラクロアが今ここにいて、そこに王国の王子という絶好の手駒がある、というまぎれもない事実の方じゃて」
はっはっは……と快達に笑う老人でしたが、リテルも魔人も、少しも笑う気にはなれませんでした。何よりも、この老人が何のためにここにやってきたのか……果たして何を目的に、そのような話を持ち出すのか、それがはっきりしない事には少しも安心出来ないのでした。
「それで」
老人が笑うのを苛立ちとともに遮って、魔人が問いかけました。
「あんたはさっき、うまい解決法がある、って言ってたな。あんたのいうその解決法ってのは一体何なんだ?」
「まあ、そう慌てるでない」
老人はやれやれと呟くと、ひとつ深呼吸をしたあと、あらたまった素振りでその話を切り出してきたのでした。
「そなたの問いに答える前に、わしの方からも質問させてもらおうかの。せっかく捕らえたあの王子、バラクロアどのはどのように処遇するつもりなのかな?」
「どうするも、こうするも。それを決めあぐねているから、困っているんじゃないか」
「ならばその身柄、このわしに預ける気にはなってくれぬかのう?」
「……何だって?」
「こう見えても、わしは今の王家に、それ相応の恨みつらみが無いことも無くてのう」
「……」
「だからそなたのように、王国相手に煮え湯を飲ませて頑張っているような輩をみると、たいへんに胸のすくような思いがするのじゃよ。……とは言え、そなたらだけではここいらが限度であろうて。見たところ手勢らしき手勢もなく、手だても企てもないとあってはな。いかに音に聞こえたバラクロアとはいっても、ここまで徒手空拳とあってはかつての恨みを晴らすことも出来まい」
「……その恨みとやら、おれにはこれといって覚えのない話だがな。あんたなら、あの王子様の身柄を手に入れて、それでどうするっていうんだ?」
「わしなら、動かそうと思えば動かせる手駒も、幾ばくか無いわけではない。兵を挙げ王都に攻め上るにはまたとない好機、というわけじゃ」
老人は好々爺然とした笑顔でそのように言い切りましたが……その発言はといえば不穏当きわまりないものでした。王家への反逆をはっきりと表明しているわけですから、この老人も到底まともな御仁とは言えなさそうでした。魔人はと言えば、そんな老人をうろんなものを見るようにして黙ってみているばかりで、何も言おうとはしませんでした。
一体どういう成り行きに向かっているものやら、リテルにはどうにもついていけない話でした。彼女にしてみれば、会話の行く末はどうあれ、今すぐ話を終わりにして、その場から一刻も早く立ち去りたい気持ちでしたが、助けを求めるように魔人を見やっても、魔人もただ黙って肩をすくめるばかりでした。
それでも、リテルが今にも泣きそうな顔をしているのを見かねてか、魔人は老人に向かって問いただします。
「……そんな、仮にも王都に攻め上っていけるようなまとまった軍勢があるのに、わざわざ俺のところには一人で出向いてきたってわけか」
「いきなり大人数で押しかけたら、お前さんが気を悪くするじゃろ」
そう言って、老人が何かを合図するように軽く手を挙げると、背後の通路の方から足音が響いてきたのでした。そこは老人が姿をあらわしたのと同じ通路で、もちろん行き止まりなのは今もさっきも変わりありません。その通路に追いやられているはずのホーヴェン王子が、魔人の言いつけを破って泡をくった様子でよたよたと這い出してきます。その背後から、ぬっと姿を見せたのは、大柄な二つの影でした。
その巨大な影はどかどかと乱暴な足取りで広間に踏み込んできたかと思うと、老人のすぐ背後にまで進み出てきて、それぞれ老人の左右に付き従うように直立したのでした。
魔人もリテルも子供の背丈ではありましたが、それを割り引いても実に巨大な異形異相のやからでした。樹木の幹のような二本の足でがっしりと岩の足場を踏みしめ、丸太のような太い両腕をがっしりとした分厚い胸板の前で組み合わせ仁王立ちしているのを見れば、どちらもいずれたぐい希なる偉丈夫どもに思えますが、その身体は体毛が濃いとか薄いとかいう以上の豊かな毛並みに覆われておりました。何より、首から上はあきらかに人間のそれではありません。肩から首にかけてが、直立する人間のそれというよりは、幾分斜めに向かって長くのびていて、まるで馬か牛かとでもいうような、ひづめのある生き物によく似た感じの縦に長細い頭部がそこには乗っていたのでした。目は濁っていて視線は定かではありませんでしたが、草をはむ牛の穏やかさではなく、猛り狂う闘牛のようにぎらぎらとしていて、差し向かっているだけでこんなにも生きた心地のしない相手というのはいないのではないか、という風体でした。
それが、普通の人間の大人の背丈よりも明らかな高みから、リテルや魔人を見下ろしているのです。ともすれば両者ともに洞穴の天井に頭が届くのでは、というぐらいでした。
さすがに魔人はこのような異形のものを相手にしてもたじろぐ素振りさえ見せませんでしたが、リテルに至ってはそういうわけにもいきません。すっかり怯えてしまって、今にも泣き叫びそうになるのを懸命に堪えて耐えていられたのは、むしろ立派と言えたかも知れません。
このようなものを引き連れている以上は、老人自身も、おそらくは人外の存在であると考えざるをえないのでした。
「あんた、王子の身柄が欲しい、と言ったな……?」
「ああ、言ったとも」
「じゃあ持っていけよ。好きにするといい」
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