エピローグ(その2)
「あ……水が。水が無くなっている」
見れば、広間の中央にあった水たまり――魔人が遠く離れた場所の像を映し出すことで、兵士達の様子を見張るなどするのに使っていた、あの水たまりがすっかり空っぽになっていたのでした。地熱のせいで干上がった、とはちょっと考えにくいですが、ともあれその場は水が空になってからずいぶん時間が経っているのか、岩肌も底の辺りも、すっかり乾いてしまっているのでした。
ルッソもそこが怪しいとみたのか、そばに屈み込んで水たまりだった場所の底を見下ろしました。空っぽになってあらためて見やれば底は意外と深みがあって、長身のルッソでも下におりて少し身を屈めれば、簡単に身を隠せそうなほどでした。
そして二人がそこで見つけたのは、側壁にあいた大きな横穴の存在でした。
その横穴は、いったん底に下りて身を屈めたまま進入すれば、そのまままっすぐに進んでいけるようになっていて、ルッソが実際にその場に下りたって奥を照らし出してみると、そこからさらにどこか別の場所に通じているように思われました。
「……リテル。この広間は安全だが、ここから奥は少し嫌な気配がする。私は奥へ行って、様子を見てくる」
それが、言外に付いてくるなと言っているのだという事はリテルにも分かりました。
「私、ここで待っていてもいいですか……?」
「長くかかるやも知れぬ。待つのは勝手だが……一人で先に村に帰るのがよかろう」
ルッソはそういうと、天井の灯りはそのままにして、もう一つ別に燐光を手にしたまま横穴の奥へと消えていきました。
一人その場に残されたリテルは、待っている間にそわそわと洞穴の他の場所を見て回りました。ホーヴェン王子を捕らえていた辺りなど、くまなく探して回りましたが、やはり魔人の姿はどこにもありませんでした。
やがて小一時間ほど経ったでしょうか。天井の燐光が随分小さくなって、そろそろ引き返すべきかリテルが思案し始めた頃、ルッソがようやく戻ってきました。奥で何か見たのか見なかったのか、賢者は憮然とした表情でした。
「賢者さま……?」
リテルが恐る恐る問いかけてみると、ルッソはいかにも何か言いたいことがあるのだ、というような態度で実際に口を開きかけましたが、何か言いかけたまま、そのまま結局は口をつぐんでしまいました。
「……村へ戻ろう」
一体奥で何があったのか、結局ルッソの口から詳細が語られる事はありませんでしたが、彼の態度からいって、何かあるにはあったのだ、ということだけは確かなようでした。
やがて幾日かののち、王都から届けられた通達に、リテルはおおいにびっくりさせられました。
それはなんと、「魔王バラクロア追討令」という、ホーヴェン王子の名前で出された命令でした。
曰く、賢者ルッソの調査により、かの魔王バラクロアは元々の住処である火の山に戻り、その地に潜伏していることが判明した、とのこと。
曰く、王都にいったん攻め上った時の戦いで深い傷を負い余力もない今こそ、とどめを刺す絶好の機会であり、それがためにバラクロアは、山の洞穴の守りを固めてその奥に隠れ潜んでいるのだ……というのです。この追討命令は王国中に広く伝えられ、軍籍や軍歴の有無にこだわらず、腕自慢の武芸者などにも広く協力を求め、実際に討伐を果たした者には莫大な恩賞を与える、というのが大まかな主旨でした。
王都での怪異は王国中に広く知れ渡っておりましたから、もしこれを成し遂げることが出来れば、かつての初代の賢者ルッソのように、王国の歴史に名前を残すことも充分に有りうることとして、相当な話題になったものでした。
一方で、そもそもホーヴェン王子の進軍が魔王復活のきっかけであったことから、このような追討命令自体もまた軽挙妄動のたぐいではないかとして議論を呼ぶ向きもありましたし、王国軍や賢者ルッソが直接討伐に動かないのはどうしてなのか、という批判もありました。後者の声に対しては、当面弱り切った魔王が山から出てくる気配もなく、緊急を要するものではないということ、当然王国軍でも討伐隊の派遣は検討しているということ、それにルッソ自身も意欲はあると表明しつつも、魔王復活時に未然に再封印するのに失敗し、王都への進軍を許してしまった責任を感じているとして、当面は静観を構えるつもりだ、という意向を匂わせるに留めたのでした。……そもそもが、王宮やフレデリック王太子の名前ではなく、あくまでホーヴェン王子の名前で出された命令ということで、王宮としては魔王討伐はそこまで火急の急務とは考えていない、という意図が見て取れるわけですが。
そのような命令に果たして応える者がいるのかどうか。リテルも村人たちも懐疑的ではありましたが……その通達から一週間ほどが過ぎたある日、村を訪れる見慣れない旅人の一団があったのでした。
「火の山というのは、あの向こう側の山の事かね?」
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