第6章(その5)

「魔人さま! やはり来て下さったのね!」

「そなたは来ぬものと思っていたがな」

「どうも、ああいう気にくわないやつがでかいつらをしているってのが、やっぱり我慢ならなくてな」

「まあいいだろう。これで戦力は二対一だ。どう戦う?」

「は? 一体何を言い出すんだ。あんなやつ、俺ひとりだけで充分だろ」

 さも当然、といった口調で魔人はそのようにいってのけたのでした。ルッソはおのれの力が軽んじられたようで面白くはありませんでしたが、ここはぐっと堪えました。

「ではあのバラクロアはお前に任せるとして、私はどうすれば良いのかな?」

「そうだなぁ……俺が負けるなんてことはないと思うけど、あいつがどんな悪あがきをするか分かったもんじゃないからな。まぁ余計な火の粉を被らずにすむように、守りだけでも固めておいたらどうなんだ」

 いかにもな減らず口を叩いた魔人でしたが、さすがにリテルの前では少しは神妙な態度を見せるのでした。

「そういう事だから、お前もこの賢者さまの後ろにくっついて、絶対に離れるなよ。まかり間違っても、一人で前に出てくるんじゃないぞ」

 普段通りの態度のように見えて、いつものぼやきや悪態とは違った、少し照れたような表情の魔人でした。

 かと思いきや、魔人はおもむろに宙に浮かび上がったかと思うと、上方で禍々しく渦巻いている炎の雲に向かって、真っ直ぐに上昇していくのでした。

(こわっぱめ! なんとなればわしの子分にでもしてやろうかと目こぼししておったものを、いちいち楯突くなど小賢しい! 後悔するがいいわ!)

「やかましいや。てめえこそ、洞穴の奥で大人しくぬくぬくと眠り続けてりゃよかったと、あとになってべそをかいても知らねえからな」

 魔人のそんな挑発に、バラクロアはもはや返事をしませんでした。問答無用で巨大な炎の腕を振り回して、魔人に殴りかかって来たのです。

 魔人は少しも慌てる事なく、身を翻してこれを避けました。そのまま急上昇してバラクロアの腕をすり抜けるようにして、背後に回り込んだのでした。

 とは言っても元々炎のかたまりですから、前も後ろもありはしないのでした。夜空に浮かび上がる炎の像は瞬く間に前と後ろが入れ替わり、バラクロアは即座に魔人に掴みかかってくるのでした。

 魔人も魔人で、実在の肉体などあってないようなものです。バラクロアの魔手に捕まるあわや寸でのところと思いきや、その炎の像の前から後ろまで通り抜ける程度のごく短い距離を、瞬間移動ですり抜けたのでした。

 それはまさに、人知を越えたあやかし同士ならではの激戦でした。果たしていかようにして決着が付くというのか、地上で見ている人々にはまるで見当も付きませんでした。

 丁度そんな折でした。上空を呆気に取られて見上げている人々をよそに、対岸の方でおもむろに動きがありました。大河の流れを挟んで睨み合っていた魔物の軍勢が、ゆっくりとこちらの岸に向かって進軍を開始したのです。強固な石づくりの橋梁の上を、魔物達は粛々と進軍を開始するのでした。のみならず、こちらの岸をじっと睨んでいた魔物達の多くが、そのまま強引に押し渡ろうかというように、川の流れに足を踏み出すのが見て取れました。

 もちろん、対岸の人間の軍隊もぼんやりと見ているばかりではありませんでした。

「撃てッ!」

 鋭い号令がかかったかと思うと、軍勢の後方に配置されていた投擲部隊が、巨大な投擲機から繰り出される重い砲弾を魔物どもに向けて一斉に浴びせかけたのでした。

 戦いの火蓋は切って落とされました。無数の投擲を受けて、魔物どもはあっという間にばたばたと倒れていきましたが、全体から言えばごくわずかな被害でしかありませんでした。まだまだ健在な魔物の群れが、仲間が倒れてもまったく怯むことなく、不気味な雄叫びを上げて橋を渡り、あるいは渡河を続け、前進をやめようとしません。人間の側も、勇気を奮い立たせ、勝ちどきの声をあげて魔物どもを迎え討つのでした。対岸に群がる軍勢に対しての投擲は止むことはなく、橋を渡ってやってくる一群に対しては待ち伏せた弓兵による一斉射を浴びせかけ、その上で騎兵による突撃で蹴散らしてみせるのでした。魔物は一体一体は身体も大きく屈強でしたが、数で取り囲めば必ずしも絶対的な脅威ではありませんでした。

 ですが敵は人外の化物です。矢が脳天を貫いていたとしてもまるで気付いてもいないかのように平然としているような輩どもでした。まともに相手をしていてはきりがありませんから、騎兵達も数合打ち合ったところで、敵わないと思えばすぐさま馬首を翻すしかありませんでした。やがて連中がこちらの岸に辿り着いてしまえば、逆に投擲機も近過ぎて使えません。じりじりと引き下がっていかざるをえないのが歯がゆいところでした。

 そんな折でした。つい今しがた上空であのバラクロアと激しくぶつかり合っていたはずの魔人が、攻撃をひらりとかわしたついでに、その高度をぐっと下げて、魔物の軍勢の方へと降りていったのです。

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