第1章(その4)
(どれ、出ていく気がないなら、俺が送り届けてやるよ)
「え? ちょ、ちょっと……!」
魔人はリテルの返事を待ったりなどしませんでした。燃えさかる炎となった魔人は、そのままリテルにゆっくりと近づいてきて……何をするのかと思えば、不意にその炎がリテルの全身をあっという間に包み込んでしまったのです。
「……!」
リテルは大いにびっくりしました。真っ白な炎が全身に唐突にまとわりついてくるのにまずびっくりしましたが、その炎は不思議なことに熱くも冷たくも、まったく何でもないのです。ただやはり火が燃えているのに視界を覆い尽くされて、とてもまぶしくはありました。一体何が何だか訳が分からず、困惑するままに、リテルはまぶしさのあまりにぎゅっと目をつむってしまいました。
そして――。
次に目を開けたとき、彼女はもうあの洞穴にはいませんでした。
ついでにいうと、あの魔人の姿もいつの間にかどこにも見えなくなってしまっていました。気が付くと彼女は、先ほど魔人の術で中を覗き込んでいたはずの、自分の家の戸口の前にぽつんと立ち尽くしていたのです。
結局のところ火の山の魔人は、彼女を生け贄にはとらず、無事に返してくれたばかりか、家の前まで律儀に送り届けてくれたことになるわけですが……今のリテルはそれを喜んだりほっとしたりするよりも前に、ただただ成り行きについていけずに、呆然とすることしか出来ませんでした。
「……えーっと」
何せ戸口の向こうからは、先ほどまで魔人に見せてもらっていた両親のさめざめとした泣き声の、その続きがそのまま漏れ聞こえていたのです。このような局面に一体どのような顔をして、ただいま、と告げるべきなのか、さすがに困惑するしかありませんでした。
そうこうしているうちに、戸口の向こうに人がいる気配にあちらの方で先に気付いたのでしょう。勢いよく開かれた扉の向こうから現れたのは、リテルの父親でした。
「リテル、お前……」
はっとする父親を前に、リテルは最初びっくりした顔をして、その次にばつが悪そうに苦笑いを浮かべるより他にありませんでした。どうにかこうにか、ただいま、とだけ告げると、父親の方でも何か彼女に言おうとして……言いかけたその言葉を結局ぐっと飲み込んだのでした。
そして彼は、何も言わずに、おのが娘をぎゅっと抱き寄せたのでした。
もしかしたら父は、リテルの困惑した表情を見て、彼女が生け贄としてのつとめを投げ出して途中で逃げ帰ってきたのでは、という風に思ったのかもしれません。最初に言葉を飲み込んだのは、それを追及しようとして結局止めたということなのかもしれませんでした。それを問いただすより、彼女が無事に戻ってきたことの方が大事なのであって、父のみならず母もリテルの無事な姿を見て、今度は歓喜にむせび泣いて、彼女の帰還を喜んでくれたのでした。
火の山での出来事をどう話したものか、とリテルは考えあぐねていました。そうやって何か言いたげなさまは、もしかしたら途中で恐れをなして引き返してきたことのいいわけを今まさに考えているかのように見えたのかもしれません。そんなリテルに両親はただただ、何も言わなくてよい、ずっとここにいてよいのだ、とばかり何度も何度も繰り返すのでした。
誤解をどうにかしてとくべきでは、と思ったリテルでしたが、とりあえず両親はリテルの帰りを大変に喜んでくれていますので、当面そういうことにしておいてもいいかな、と思い直したりもしたのでした。
ですがリテルや両親はそれでいいとして、さすがに他の村人たちまで、それでよい、というわけにはいかないのでした。
リテルの家が騒々しいのに、まずは隣家の人が気付きました。何事かと戸口を覗き込んでみると、火の山に向かったはずのリテルの姿がそこにあるではありませんか。それからあれよあれよという間に、リテルが山から帰ってきたという話は村中に広まってしまい、人々はその話の真偽を確かめるべく、殺気だった様子でリテルの家に詰めかけてきたのでした。
「おい、生け贄の娘がここにいるというのは、どういうことなんだ?」
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