第155話 今年の社交の宣戦布告
確かに例の『貢献課題』で最もリッテンガー商会、否、リッツの被害を受けたのはセシリアだと言っていい。
あの中で最も発言力があるのもセシリアで相違ない。
おそらく今回話しかけてきたのは、やはりこの件の口止めをする為だったのだろう。
彼女の狙いどころは決して間違ってはいない。
しかしそれと、セシリアが彼女の意向に沿うかは別の話だ。
せっかくみんなで作り上げていたものに横やりを入れられ、邪魔をすべく中を引っ掻きまわすための人員を投入しようと様々な策を講じ、それでもダメなら最終手段と力づくからの折衝沙汰まで起こさせて。
それが一体誰からの指示だったのか、セシリアが知らない筈はない。
それを、どうやら彼女は「黙ってろ」と言いたらしいけれど、一体どうしてこちらが「はい分かりました」と言うと思ったのだろう。
非公式でも、何か一言あれば良かった。
直接的な言葉でなくとも、本気でこちらを慮る言葉がたった一言でもあったなら、あそこまでの大惨事を想定していた訳じゃないと思えただろう。
あちらの政治的・貴族的立場を考慮して、多少の利を得て水に流す道も無いではなかった。
が。
これまで密かにくすぶっていた怒りが、外的作用で燃え上がる。
なるほど、分かった。
むしろ良かったわ。
あんな風に私に直接的な危害を与えようとし、ユンが大きな怪我をするに至った事、許さなくてはならない口実が消えてくれた事に感謝しよう。
家族には、事前に複数のプランを立てて共有済みだ。
状況に応じてどれを選んでも良い事は、既に父から言質を取っている。
『自分の事は自分でする』という伯爵家の方針がある以上、情報共有や報告はすれども、主だって動くのは本人だ。
今回の事で言えば、セシリアが動けば周りもそれに応じて動いてくれる。
報告をするまでも無く事態の推移をほぼ全員が把握できるのだから、むしろ今ここで話しかけられて良かったのかもしれない。
「気分は確かに良くないでしょうね。しかしどうにもならないでしょう? だって事実なのですから」
如何にも好意的そうな笑みを深めながら切り込めば、相手の空気がピリついた。
「……事実は人の数だけあるとも言いますけれど」
「そうですね。確かにリッテンガー商会との深いかかわりがあったのは先代だけで、今代当主、つまり貴方の旦那様には何ら関係のないものという事実もあるのかもしれません」
しかしセシリアは知っている。
事実として、つい最近までかの屋敷にリッツが出入りしていた事を。
そしてその彼が、今回様々な妨害工作を行った事を。
その後ろに誰が居るかを明白にする物的証拠は無いけれど、城内の隠ぺい工作が可能である事と今正に私の口を封じにやってきた事を見ると、少なくとも家として、何らかの意図がある事は明白だ。
その理由が例え『革新派として、派閥争いにフリーマーケット事業が邪魔だと思ったから』という私たちの予測とは違うものであったとしても、他に切実な理由があるのだと相手が面と向かって話に来る事が無い限り、セシリアは聞く耳を持つ気はない。
もし中立なセシリア達を相手に『派閥云々が理由で話せない』というのならば、所詮その程度の事なのだ。
ならば結局セシリアは、心置きなく自分の周りを引っ掻きまわされ負傷者を出した事へのささやかな報復を為しても問題ないと考える。
「私は私の事実に基づき、貴女は貴女の事実に基づく。それで良いのではありませんか?」
「しかしそれでは不和を生むでしょう? いずれ『どちらが正しいのか』という話に必ずなる。たとえどちらに転んでも、私と貴女、どちらも得をしないとは思いませんか?」
彼女の言葉は至極正しい。
既に事は終わっている。
もう私達の行いに妨害が為される事は無いだろう。
今更この件をハッキリさせたところで、私達が直接的に得る利は無い。
それは相手も同じで、むしろ不利益を被る。
喜ぶのは、何もしない外野の『保守派』たちだ。
彼等はさぞ喜ぶだろうが、中立のセシリア達がそちらに恩を売ったとしても、精々が「もしかして今なら取り込めるのではないか」というあちらの欲を刺激するだけの結果になりそうだ。
それこそセシリア達からすれば、煩わしい事この上ない。
「まぁ、そうかもしれませんね」
「ならば――」
「でも」
交渉の成功を見て取って、彼女の表情が華やいだ。
が、それを遮りセシリアは微笑む。
「今後の事を考えれば、牽制しておいて損はないでしょう」
利が無いから、不利が生まれるから何だというのだ。
そんな事よりも感情面で、セシリアは今回の行いを許せない。
許せない行いが起きる可能性を、未来永劫に渡って減らそうと考えたならば。
「たとえ相手が何者であっても無理強いされない。手を出してきたら容赦しない。それが我が家の心情ですから、やはりここで今一度、『戦う姿勢』というものを示さなければ」
周りに「あそこに手を出すとヤバいぞ」「仲良くしておいた方が身のためだ」と思わせるのが先決だ。
そもそも学校外から、子供の喧嘩じゃすまないような方法で大人げなくもちゃちゃを入れてきた方が悪い。
大人の喧嘩は大人の世界で――今回ならば王城の方で――やればいい。
「それほど喧嘩腰にならずとも。声を張り上げる事だけが解決ではありませんよ?」
やんわりと、再度「黙ってろ」と言われるが、そもそも喧嘩を売ってきたのはそちらだという事を忘れてもらっては困る。
「私達だって、何も喧嘩をしたい訳ではないのですよ。しかしどうやら僅か2年前に証明した筈の我が家の信念を、もう既に忘れてしまった方がいらっしゃるようですから。苦肉の策です」
「つまり我が公爵家を、他の見せしめに使うという事ですか?」
決定的な言葉を口にしたダリアに、セシリアは直接的な言葉を返さない。
代わりにひどく貴族的な言葉遣いで、こう告げた。
「オルトガン伯爵家は、どのような圧力・権力にも、決して負けない地力と信念がある。ただそれだけの話です」
どのような圧力・権力にも屈しない。
そう、たとえそれがこの国の貴族位最上位であり、『革新派』の筆頭家、母・クレアリンゼと並んで『社交の盟主』と呼ばれるレレナと、その彼女に社交手腕を見出されて嫁入りしたダリアを要するヴォルド公爵家であっても。
これは宣戦布告である。
今年の社交、伯爵家は、公爵家と戦う決意を今語った。
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