第90話 してやられた ~グレン視点~



 話を聞いて分かったのは、一応この女はこの女なりに考えて物を言っているのだという事だった。


 この女はある程度の計画性を持ちここに来ている。

 そんな事は、話していてすぐに分かった。


 準備が足りていない人間は、ここまで理路整然と何かを説明出来やしない。

 その事を、経験則から俺は良く知っていた。


 だが、結局は子供の、金持ちの道楽の延長だ。

 聞いていればどうやら俺達貧民を上手く使いたいようだが、使われてなんてやるものか。


 俺達は、いつだって誰かに使い捨てられるリスクを背負って生きている。

 その中を生き抜いてきたサバイバー、それが俺という人間だ。

 そんな俺を好きに使えると思ってるだなんて、全く以って片腹痛い――と、ずっとここまで思っていたのに。


「『勝手に俺らを引っ張り上げればいいだろう』。これはどういう意味ですか……?」


 お前らの気分や道楽で哀れな俺達に手を差し伸べたいというなら、勝手にやれば良いじゃないか。

 そんな気持ちで吐き捨てた言葉に、そんな声が返された。


 

 今までには無かった、ひんやりとした空気感が女の方から流れてくる。

 ただそれだけで、瞬時に「怒っているのだ」と理解させられた。

 

 少なくとも俺はさっき、理解できない事を言ったつもりは無い。

 もちろん皮肉を込めた事は認めるが、その応酬は先程までもあった事だ。

 

(今までは、手ごたえの無さにこちらがイラッとするくらい綺麗に往なしていたくせに)


 一体何がこの女を本気にさせたのか。

 その理由が分からない。


「どういうって、アンタらは俺達を憐れんでいる。だからそんな事、言うんだろ。勝手に憐れんでそんな事を言うんなら、勝手に助ければ良いって言ってるんだ」


 疑問が困惑に変わる頭で、それでも強気に言い返す。

 こういう時は『攻撃こそ最大の防御だ』という事を、俺は身を以って知っていたから。


 だというのに、あっちはまるでこちらの困惑への配慮もなければ、怯んでくれる事もなかった。

 むしろ真顔で首を傾げ「貴方達を憐む必要なんて一体どこにあるのですか?」と聞いてくる。


「だってお前、さっきそう言って――」

「言っていません。私がしたいと思っているのはあくまでも『手助け』です。上に向かって手を伸ばす努力さえ怠って『勝手にやれよ』なんて言うような方に、手を差し伸べて自己満足で悦に入るなんて、そんな非建設的な事を一体誰がやりたいのです。少なくとも私は嫌ですね」


 そんな言葉で今までの人生で形成されてきた貴族像を思いっきり蹴飛ばしてくるその女は、グレンにとっては最早『未知の何か』だった。


 平民でも無ければ貴族でもない。

 この女は『セシリア・オルトガン』という個なのだという印象を、抱かずにはいられない。


 しかしそれでも、今の言葉を疑う気にはなれなかった。

 もしかしたら優し気な声色の中に妙な説得力、否、明確な意思が見えたからかもしれない。



 強い、と思った。


 手足も細く、背も自分よりちょっと低い。

 世の中の苦労をまるで知らないように見えるのに、テコでも動きそうにない意思を見せている。


 その姿がいやに眩しく思えてしまった。

 

 彼女の中に、生きる為に捨てた一片の希望を見た気がした。

 そんな彼女が、言うのである。


「でももし貴方が、自分達の利の為に目の前のチャンスを利用してやろうと思えるのなら、きっといい共犯者になれるんじゃないかと思うのですが……貴方は勇気がありますか? 諦めるでも嘆くでもなく、現状から一歩を踏み出す勇気が。私のこの手を取る勇気が」


 そう言って目の前に出された右手に、気が付けば手を伸ばしていた。



 YesかNoという分かり易い2択を迫り、もしこれで「良し」と言わなければ切り捨てると暗に言うセシリア。

 そんな彼女に苦々しい気持ちが全くない訳では無い。


 

 確かにこちらに参加するか否かの決定権がある以上、確かにこれは『命令』ではないし、勿論グレンが一方的に優位に立てる『お願い』でもない。

 『交渉』以外に相応しい言葉が見つからない状況だから、彼女は嘘を言っていない。


 が、最大限の譲歩を最初から示す事で、こちらは待遇についての駆け引きをする機会を実質逃したと言っていい。



 してやられた。

 操られた。


 上手く誘導された結果、多分今、彼女によってあらかじめ用意された着地点と寸分違わぬ場所に足を付けさせられようとしている。



 それを悔しく思う反面、文句なんて一つもない。


 当たり前だ。

 提示された待遇の蓋を開けてみれば、文句の余地が無いように最初から出来ているのだ。

 どこにケチが付けられるだろう。


 唯一の付け入る余地だった『動機』の部分でも言い負けて、完全敗北だと言っていい。



 が、こんな敗北も悪くない。

 そう思えてしまうのだから、きっとこの決断は悪い事にはならないだろう。


「……俺にケンカを売るなんて、良い度胸だ。お貴族様」


 挑戦的な彼女の言葉に、ニヤリと笑って言ってやる。

 すると彼女は真顔でも、ましてや仮面のような笑顔でもなく、おそらく素の顔で笑いつつ「その負けず嫌いは筋金入りですね」と返してくる。


 売り言葉に買い言葉で思わず「生意気だ」と言葉を返すと、隣の書記が気色ばむ。

 それでも鷹揚に笑う彼女とその後ろに立つ男の無反応が、何故だか酷く印象的だった。


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