第83話 双方の利を得るための一つの提案
「交渉、ねぇ?」
そう言ってニタリと笑ってきた彼は、先程と同様にひどく挑戦的だった。
そう、作為的なまでにひどく。
その様子に顕著な反応を見せたのは、ノイとランディー、そしてハンツだ。
平民組は揃って顔をさっと青くしてこちらを向いて、逆にハンツは赤くなり「こんのっ」と小さく口走る。
平民二人は、貴族としてのセシリアやハンツを恐れたのだろう。
彼らは正しく『課題の中で必要以上に身分の差を持ち出さない事』と『身分の差それ自体』とのボーダーを、分かっている人たちだ。
それは別に差別ではない。
区別する事で正しく平民である彼らの命を護るためのもの。
セシリアもそれをちゃんと理解していたから、彼女側からもやんわりと周りにそのボーダーを越えさせない様に振る舞っていたし、その配慮を察せられない二人でも無かったという事だ。
その一線を、グレンは今軽々しく超えて見せた。
自分のすべきを身分に関係なく全うする為にではなく、身分の差それ自体を蹴飛ばしてみせるような形で。
そこにはおそらく、こちらへの牽制もあるだろう。
貴族の言葉だからって簡単に従ってやるものかという反骨心もあっただろう。
が、セシリア個人がソレを寛容に受け止めても彼女の中の貴族の部分がソレを許さない可能性がある。
きっと二人は――明確にそうとまでは思っていなかっただろうが――セシリアの貴族としての自分に対する厳しさを感じ取っている。
彼女個人はどうであれ、その厳格さがグレンの命取りになる可能性を危惧して震えたのである。
対してハンツは貴族として、今しがた二人が危惧した通り身分の差を蹴飛ばされた事にそれ自体に腹を立てた。
もしくは「せっかくセシリア様が彼の不躾に『歓迎は不要』と譲歩をしてやったのに」とでも思っていそうな雰囲気だ。
少々カッと来すぎのような気もするが、おそらくコレこそ一般的な貴族の反応だろう。
そんな中セシリアが一体どう思ったのかというと。
(不器用な人ね)
心の中で、小さくため息を吐いた。
彼の言葉、表情、行動、その他諸々。
その全てが、セシリアにとっては生で得られる彼の情報だ。
それを逃さず頭の中に叩き込みながら「きっと彼はこうしていなければ生きていけなかったんだな」と心で思う。
個人的な感情としてはソレだけだ。
いや、『まだそれ以上に、彼に人としての興味を抱けていない、魅力を感じる事ができていない』と表現した方が正しいだろう。
そして肝心の貴族の部分、否、『オルトガン伯爵家の令嬢として』どう思っているのかというと、だ。
――他愛もない。
これである。
こんな事如きに貴族の模範となるべきである上級貴族、それもオルトガンの娘が一々心を揺らす事、そちらの方が問題だという考えだ。
万が一ここが街の往来ならば少しは考える余地もあっただろうが、幸いにもここには他に目など無いし、危害を加えられたという訳でも無ければ個人的な侮辱を受けた訳でも無い。
ここに居るのは、極々身内と言っていい範囲の人間と、あとは彼だけだ。
外聞を気にする必要がない分、寛容さを示す事ができる。
が。
(最初は街に連れ出して、何かをごちそうしながら……という選択肢もありましたが、人目がなるべく無い方が良さそうね)
おそらく彼はこんな風に、この後も自分の命を天秤に、まるで博打でもするかのように相手を試すような真似をする事だろう。
自覚しているかは分からないが、彼はきっと心のどこかで自分の命を天秤にかける事を恐れていない。
自分の命を放り出していると言っても良いし、諦めていると言い変えても良いかもしれない。
捨て身の自己防衛、もしくは自分自身を踏み絵にしている。
そんな方法で、そんな価値観で、そんな日々の中でしか生きられなかった。
その結果が目の前の彼なのだろう。
(もしかしたらこれこそが、生まれが強制する生なのかもしれない)
心の端で、そんな事をふと思う。
その事に関して、憐みは抱かない。
ただただそういう環境しか与えられていない貴族、ひいては国の力不足を悔しく思う。
彼女だって『貴族という生まれが強制する生』に縛られているが、その点は彼女をすぐ近くで見守ってきたユンやゼルゼンが理解しフォローしてきただけマシである。
そういった助けが得られなかったグレンの性格は、セシリアよりも余程拗らせていると言っていい。
どちらにしても、だ。
おそらくこれからも変わる事がないだろう彼の踏み絵スタイルを鑑みれば、利益にならないと分かっているのに罰を与える事がひどく面倒臭いセシリアと、罰を受けたい訳じゃないだろうグレン。
双方の利を得るために、セシリアは一つ提案をする。
「えぇ『交渉』です。……とりあえず、中に入れてはくださいませんか? 私は貴方と、じっくりと膝を突き合わせて話がしたい事があるのです」
そんな風に言った彼女に、グレンは少し目を細めた。
それは彼女を観察する眼差しであり、吟味する目でもある。
そして彼が出した結論は。
「ふぅん? まぁ良い、少し話せそうだからな」
そう言って、彼は家の中へと引っ込んだ。
扉は開いたままだから、「入ってこい」という事だろう。
とりあえず暗黙の許可が出た所で、先頭を務めたユンに続いてセシリアは「失礼します」という声と共に中へと入る。
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