第81話 貧民街の大物・グレンという人間は



 現れたのは、セシリアと同年代の少年だった。

 頬には煤のような汚れが付き、ボロボロの服にボサボサの茶色頭。

 目つきの悪い灰色の目が、怒りに目を見開いている。


「こちとら居留守使ってんだよ! とっとと諦めて帰りやがれ!」


 結構な剣幕で追い払おうとしてくるその少年は、明らかにこちらを邪険にしていると分かる。

 が、ノイは動じない。


「あ、グレンやっぱり中に居たー! 絶対いると思ったんだよ。もう、無視するなんて酷いじゃない」

「……なぁお前、話聞いてる?」


 まるで花が咲いたかのような笑顔を作ったかと思うと、次の瞬間には少しいじける。

 そんな彼女を前にして、少年は辟易と――否、これは単に呆れただけか。

 勢いが削がれて代わりに「はぁ」と深いため息を吐く。



 しかしそんなフレンドリーなやり取りも、ここで一度終わりを告げた。

 少年は「それで?」と言いつつノイの後ろのセシリア達の方を見る。

 そこには明らかな敵意……否、拒絶の色が滲んでいた。


「その後ろのは一体何だ?」


 険のあるこの声は、警戒心だ。

 おそらく今のこの状況は、彼にとって「知らぬ相手が連れ立って自分のテリトリーを犯しにやって来た」ように見えているに違いない。


「この前ちゃんと話したじゃない、今日お友達を連れてくるって」


 警戒心を高める彼とは対照的に、ノイの方は先ほどと全く変わらぬ親しさのまま彼に言葉を返してみせた。

 狙いがあってそうしているというよりは、おそらくこれが彼女の素なのだろう。

 もしかしたら少し天然なきらいがあるのかもしれない。



 彼女の言葉に彼は「了承してない」と鼻を鳴らし、続けて「それに」と嫌味っぽく笑う。


「こっちには、お貴族様たちを歓迎する用意なんて無いぞ」


 なるほどこれは、やはり調の通りの人のようだ。

 彼を見てセシリアは、心の中で深くそう頷いた。




 

 ゼルゼン・ユン・そしてメリア。

 この三人にセシリアは、校内に居る期間は平民生徒たちから、そして余暇に入ってからは街の住民たちからの情報を集める様に前もって指示を出していた。



 欲しかった情報は、交渉相手の彼がどんな人なのかという事だ。


 何をしてきて、何をしなかったのか。

 何が好きで、何が嫌いか。

 何に興味を持ち、何に無関心か。


 そういった噂話をたくさん集め、まだ見ぬこの少年のシルエットを出来るだけ明確に掴んでおきたい。


 情報戦は、全ての交渉事における根幹であり、最も重要な部分である。

 つい最近王城側の担当者が大コケしてしまったように、あるのとないのではそもそものスタートラインが違う。

 相手と対等に、あわよくば優位に立ちたいと少しでも思うのならば、相手がどんな人間であっても情報を集め分析する事を決して怠ってはならない。



「――それでどうだった?」


 貧民街を訪れる2日ほど前、セシリアが彼らに成果の開示を要求した。

 するとまず、ゼルゼンがスッと口を開く。


「名前はグレンというらしいです。歳は13、性別は男。打ち捨てられた家にどうやら8人で暮らしているようです」

「8人? 家族か何か?」

「血縁関係はありません。彼と同い年以下の子供と住居を共有しているようです」


 掴んだ情報を諳んじながら、彼は自分の仕事を熟す。


 辺りにふわりと広がったのは、セシリア好みの紅茶の香りだ。

 蒸らし終わった紅茶をティーポットからカップへと注ぎ、セシリアの目の前に静かに置きつつ、しかしまだ彼の報告は止まらない。

 

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