第76話 セシリアは暇を持て余す



「ねぇゼルゼン」

「何だ? セシリア」

「やはり『簡単に持ち運ぶ』事が出来れば良いんじゃないかと思うの」


 とある昼下がり。

 オルトガン伯爵王都邸にて、セシリアがそんな事を言い出した。


 おそらくは、学校の寮からここに移って3日目。

 他の家族は家のおらず、学校のように誰かの目も無いという開放的な空間で、暇を持て余してしまったのがきっと良くなかったのだろう。


「はぁー……。大人しくしてるなぁと思ったら、いきなりまた何を言い出したんだ」


 セシリアに呆れかえった声でそう答えたのは、何を隠そう彼女が毎回何かを思いつく度にそれに付き合わされる運命のゼルゼンだ。


 最近――特に学校に入学して以降にはすっかりなりを潜めていた彼女の中の好奇心と探求心が、ここに来て擽られたのだろう事は、彼に掛かれば火を見るよりも明らかだ。


「っていうか、何で本を読んでてそんな話になるんだよ」


 呆れた様な声を出す彼であったが、おそらく「そろそろ何らかの注文に付き合わされるだろうな」なんて思っていたこともあり、多少げんなりはしてしまっても唐突な主人からのフリに対して驚いたりする事はない。


「その本を読んでいて思い出したのよ。重い物でも簡単に持ち運べれば、体を壊す人も減るわ」

「いやまぁそうだとは思うけど、一体何の本を読んだらそんな話に……って、『馬車の成り立ち』?」

「えぇ、一種の技術書ね」

「そんなものを読んで一体どんな意味があるのやら……そういうのを理解して楽しいのか?」

「何であっても、知らなかった事を知るのは楽しいわ」


 そう言って、セシリアはパタンと本の背表紙を閉じる。

 するとそこには『学校図書』と書かれたシールが貼られていた。

 

「技術書関連の本は、過去の伯爵家の人間が気にならない限りうちの書庫には無い本だもの。そういうものに触れる機会があるという点で、学校は有用ね」

「そんな事を考える貴族はおそらくお前くらいだよ」


 ゼルゼンは、思わずそう答えると「で?」とセシリアに向かって尋ねる。


「馬車の技術書を読んで知識を付け『物を簡単に持ち運ぶ事が出来ればいい』なんて思ったお前は、果たしてこの暇にかまけて何がしたいんだ?」

「分かってるじゃない、流石はゼルゼン」


 話が早い優秀な従者に、セシリアはニッと笑ってそう言った。

 すると彼は平然と「お前が『やりたがり』なのはいつもの事だろ」なんて答えて、目で言葉の先を促す。

 

 彼の顔は、この先のセシリアの言葉を何となく分かっていそうな雰囲気だった。

 しかしそれでもそうでない可能性に欠けたいのか、それともとどめを刺してほしいのか。

 敢えて聞いてきた彼に対して、セシリアは快く応じて見せる。


「作りましょう、『物を簡単に持ち運ぶ事べるもの』を。ちょうどここに大きな例はありますし」


 そう言って、閉じた本をトントンと指した。

 それに対するゼルゼンのため息は、了承以外の何物でもない。

 



 現在メリアは、彼女本来の仕事に従事していて居ない。

 昼前の今の時間帯、彼女はおそらくパーラーメイドとしての職務の一つ・昼食の為のカラトリー類の準備でもしているところだろうと思う。


 そしてユンは、今は自主訓練中だろう。

 日課として学校でも朝・晩の訓練はしていたらしいが、どうしたって伯爵寮に居た時ほどみっちりと訓練することは出来ない。

 それを見かねたセシリアは「せめてこっちに居る時だけは」と伝え、セシリアに外出や来客がある時以外は好きに時間を使わせている。


 他にも使用人たちも含めて、セシリアが言えば手を貸してくれる事だろう。

 が、今回特にその必要性は感じない。

 

「必要なものはあらかじめ、昨日の内に用意してもらったのです」

「用意が良いなぁ、まぁ確かに昨日あたりからかなり暇そうにはしてたが」


 屋敷の裏側、作業スペースを確保できる場所にゼルゼンを連れだって行ったところでセシリアは彼にそう言われた。

 彼の声に驚きはない。

 呆れ交じりの軽い感嘆があるだけだ。


「さて、それではやりましょう」


 セシリアがそう言って資材へを足を踏み出す。

 すると彼に「ちょっと待て」と呼ばれた。

 

「セシリア、お前何やってんだ」

「何って……腕まくり?」


 キョトンとして首を傾げたセシリアに、彼は確信を持って言う。


「つまりお前は俺と一緒に作るって言うんだな? その、お前が作りたい物を」

「もちろんです」


 すんなりと答えたどころかむしろ「それがどうした」と言いたげな主人に対し、ゼルゼンは思わず苦笑した。

 そして執事の本分宜しく、彼は主人の意向を決して無視などしない。


「さも当たり前のように言ってるけど、普通はそこで『もちろん』なんて言わないのが伯爵令嬢っていうものだからな?」


 そう言いながら、セシリアの隣に並びながら彼に自らも腕をまくる。


「まぁ何を言ってもどうせお前は聞かないだろうし、お前に付き合ってやる」

「そう言ってくれると思っていたわ。ゼルゼンって面倒見が良いものね」

「おだてても何も出やしないぞ」

「あら? 作業の後に美味しい紅茶を淹れてくれる事を所望したい所なのだけど」

「それはいつも全力でやってる……で? 何をどうすればいいんだ?」

「そうですね、それではまず――」


 そんな言葉を皮切りに、ゼルゼンと2人セシリアは工作を開始する。


 そうして完成したものはただの暇つぶしの道楽に留まらないものだったのだが、それが明るみに出るのはまだもう少し先の事だ。



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