第68話 やって来たのは礼儀知らず


「確かに移動中は緊張していたように見えましたが、緊張って振り切れたりするものなのですね」


 そんな状態など一度も経験した事が無いセシリアとしては、その感覚が一体どんな感じなのか少しばかり気になってしまう。

 が、今は生憎と私的好奇心を満たしている場合ではない。

 

「今回の会談、執事志望のハンツさんとメイド志望のノイさんにとってもそうですが、ランディーさんには特にこの同席は、有用な経験になると思いますよ?」

「え?」

「官吏になりたいのでしょう? そうなれば、将来必ず打ち合わせの場は設けられます。相手がどのような方かは分かりませんが、『貴族の交渉』を見ておいて損は無いと思いますよ?」


 国に仕える官吏という仕事は、平民には敷居が高い。

 縁故採用なんてものもある世界なので、どうしても貴族の方が人数的比率が高い。


 つまり官吏をしていれば、今後貴族と話したり仕事によっては交渉事をする機会だってあるだろう。

 本当に官吏を目指すのならば、在学中も最初の年で少しでもその現場を肌で感じた方が良い。


 そういう意味を込めてセシリアは言ったのだが、それにランディーは思わず笑う。


「『貴族の交渉』だなんて、そんな大げさな。今回はあくまでも学校の課題で来てるんですよ?」

 

 学校の課題。

 それはセシリアが常々強調してきた事だ。


 学校の課題なんだから、垣根なく意見を出し合うべき。

 学校の課題なんだから、自分達だけでやり遂げるべきと。


 彼にセシリアを揶揄するような意識はない。

 ただ単に、『貴族・平民という立場』と対比して『学校の課題』という言葉を使っていたから出てきた言葉だ。

 

 そしてそれは、おそらく他の2人も認識を同じくしている。

 今日は『貴族・平民という立場』に関係なく、『学校の課題』としてここに来ていると。


 セシリアは、それら全てを理解していた。

 しかしそれでもこう告げる。


「そうですね、私達は学校に在学中の生徒であり、それを如実に示すように制服姿でここに居ます。だからこそ、『私の手腕』が一層の事問われるでしょう」


 その言葉に、彼らはみんなどこかピンと来ていないような顔になった。



 彼等は知らない。

 

 王城は、「学校の課題の一環だから」という理由でそう甘くはなってくれない所であると。



 と、ちょうどその時だ。


 コンコンコンッ。

 ノックされ、扉が開く。

 


 失礼しますとも言わなかったその相手は、長身細身の男だった。

 彼が見えたのとほぼ同時に、セシリアが席を立つ。

 それに倣うように、他の3人も席を立つ。


「本日は、お時間いただきありがとうございます」


 言葉と共に、流れるようなお辞儀をした。

 それに3人もそれに倣ってみせるが、相手はまるで気にした様子も無く歩みを進めて向かいの椅子を引いて座った。


(予想以上の方が来たわ)


 挨拶を返す事もなければ、一度席を立った客に席を進める事もしない。

 礼儀というものが欠如した相手である。


 それでもセシリアは、オルトガン伯爵家の娘としてどんな相手にも礼儀は必ず守る事にしている。

 彼がしっかり座った後に腰を下ろして、彼を見た。


 他の3人が再びセシリアに倣う音を聞きながら、セシリアは笑顔で彼を見る。


 顔こそ笑みを浮かべているが、内心かなり冷えている。

 相手がどんな人間で、どうすれば交渉をより効率よく進められるのか。

 セシリアの頭にあるのはソレだ。



 座ると彼は、一応という感じで持って来ていた紙を見る。


 チラリと見えたが、セシリアも大いに見覚えがあるものだった。

 学校に提出した課題概要が書かれた紙だ。


 それを見て彼が「で?」とだけ言った。

 目がこちらに発言を求めている。


 

 セシリアとしても、課題概要について話すのは吝かじゃない。

 むしろ今日は、それをしに来たと言っても過言じゃない。

 が、その前に一つする事がある。


「初めまして。セシリア・オルトガンと申します」


 セシリアはそう言ってニコリと微笑む。


 会話をするにも、まずは相手の名前が知りたい。

 流石に初対面の大人相手に「貴方」と呼ぶわけにはいかないし、名前を呼ばずに話し合いを乗り切るのは無理だろう。

 今回どうにかなったとしても、次回・次々回とそうである保証はないのだから最初に聞いておくべきだ。


 流石にこちらが名乗ってみせればあちらも答えてくれるだろう。

 そう思って尋ねれば、想定通り答えが返る。


「はぁ、ジキルと申します」


 いや、想定の斜め上を行っている。

 面倒くさそうに自己紹介をした彼は、小さな声で何かをボソリと口にした。


 あまり良くは聞こえなかったが、聞こえた単語と唇の動きで何を言ったかは大体分かる。


 これだから貴族の子供は、だ。



 平民には苗字が無い為、セシリアが貴族である事は苗字を名乗った時点で分かる。

 しかし『オルトガン』という苗字に全く動揺を見せなかった事。

 彼が名前しか名乗らなかった事。

 そして何より、貴族の顔と名前なら一通り把握している筈のセシリアが彼の顔を知らなかった事から見て、彼はおそらく平民出の官吏なのだろう。


 最初から、程度は覚悟していた事である。

 相手がこちらを子ども扱いしてくるだろうという事は。

 しかしこれはかなり酷い。


(子ども扱いどころか客人扱いすらしていない)


 確かにセシリア達が会談を持つことになったのは、彼らからすればイレギュラーだろう。

 もしセシリア達のグループが面倒な課題を持ち込まなかったとしたら、この仕事は存在しない。

 彼等からすれば「面倒が増えた」という事かもしれない。

 が。


(だからといってこの態度が許される訳じゃない)


 セシリアはそう、静かで密かに苛立った。

 が、それでも彼女は冷静だ。

 

(まぁここまで侮ってくれるのなら、こちらもかなりやり易い)


 やり方は色々あるけれど、幅がかなり広がった。

 こうなると、どの手段を取ればいいか選ぶのさえ楽しくなってくる。


(せっかくですし、この手の方にしか通じない手で行きましょう。そう、この手のにしか)


 セシリアのベリドットの瞳が喜々とした色を灯した。

 が、それもほんの一瞬の事。

 ちょうど欠伸をした彼にも緊張しつつも資料に目を落とした3人も、全く気付いていない。


 ただ一人ゼルゼンだけが、セシリアの背中に嫌な予感を感じて戦々恐々としている。


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