フォーカス

新井雀吉

第1話

「目覚めたまえ、諸君」


 その声は突然聞こえた。


 驚きのあまり僕は息を吹き返した。心臓を鉄槌で直に打ち叩かれたようだった。


 周囲は真っ黒な空間である。彩色と景色データのロードを始めていないのだろう。大地と空の境界はなく、上下左右の区別もない。見渡すかぎりの黒があるばかり。


 しかし真っ暗というわけではない。その証拠に、僕の分身たるアバターは、その輪郭をいささかも闇に紛れさせず、黒い奈辺へ浮かび上がっている。


 自分がそう認識できたのは、僕以外の誰かが視界に映っていたからだ。


 ――数えきれないほどの老若男女。


 果てない黒の四顧にひしめく人面。


 彼ら彼女らは、僕と同じく仮死から醒めたように続々と飛び起きていた。


 とはいえ、口を開く者は誰一人としていない。皆、この状況がなにを意味しているのか知悉しているように押し黙っている。


 前情報が正しければ、ここに集結せしめたプレイヤーの総数は都合一六万人。


 全世界、津々浦々の《フォーカス》愛好者――それも上位一六万人――がこの場に雁首揃えているということになる。


「今、全てのプレイヤーが覚醒した……」


 どこからともなく響く声は、老成した男のものだ。


「私はオーディエンス。まずは感謝の言葉と苦言を呈したい。今大会は諸君らのおかげで十六回目を迎えることができた。大会一回目の参加人数が十六名ということを思い返すと実に喜ばしく、また嘆かわしいと痛感する。十六ものチャンスがあったというのに、誰一人としてそれを活かせず、我が遺産を手中に収めることができなかったのだから」


 とうとうと冷たく流れる清冽のような声色である。


 僕はその声に耳を傾けながら、周囲のプレイヤーを盗み見た。人種はさまざまで、年齢にも幅がある。一致しているのは、全員なにやら張り詰めたものをその面構えに漂わせていることだ。


「すぐにでも始めたいところだが、とはいえ、少数ながら勝手を知らぬ者もいることだろう。今一度、ルールを説明しておきたい」


 姿なき声は僕に言ったような気がした。


「《フォーカス》世界大会はキャリーオーバーされた賞金六億ドルの奪い合いだ。諸君らの中のたった一人が今夜のうちに大金を得、ビリオネアの仲間入りとなる。しかし……」


 声は一度言葉を切った。


「……諸君らが真に欲しているものは、この世界そのもの。そうだろう?」


「そうだ!」


 突然、どこかの誰かが怪鳥じみた胴間声を張り上げた。


 とたん、その叫びに呼応するように、居並ぶプレイヤーの口々がそうだ、そうだ、と大音声を反響させる。静まり返っていたのが嘘のように、興奮と期待の絶叫が渦を巻いた。


 空を震わす音圧を切り割って、


「立ちはだかる者、行く手を阻む者、奪おうとする者を打ち倒し、頂点に立った者のみが手に入れられる《フォーカス》の管理権。すなわち金と権利――その二つを勝者に渡そう」


 誰もが獣のように叫んでいた。凄まじい熱狂ぶりときたら、一瞬これがゲームの大会であることを失念してしまうほどのものだ。その様に僕はむしろ閉口してしまう。


《フォーカス》――正式名称フォーカス・パー・セカンドは二〇四四年に封切りされたおそらく最もプレイ人口の多い一人称型シューティングオンラインゲームだ。


 プレイヤーの総数はのべ八千万人を超え、発売から三年経った今もなお増え続けているという。


 世代割合は三十代から四十代がもっとも多く、次いで十代と二十代が占めている。かくいう僕も十代組の内の一人だ。


《フォーカス》がこれほどの隆盛を極める理由は、二つある。


 一つは、クラウンと呼ばれる頭部装着式ゲームデバイスの登場である。従来のVRタイプ、または画面出力タイプとの違いは、このハードウェアが睡眠時においてのみ機能を解放する点だ。


 文字通り、王冠よろしく頭に戴くクラウンは、プレイヤーの脳波を読み取り、ある一定の波形を感知したとき――すなわち肉体が睡眠状態へ移行したとき――アクティブとなり、その精神をゲーム世界へ再構築してくれる。


 開発者曰く、クラウンを介するゲーム――現状フォーカスしかないが――は全て夢の中でプレイする。


 その特異性と話題性が《フォーカス》をゲームシェアトップに押し上げた。


 二つ目に、ディス・スクリーンという動画サイトの存在が挙げられる。


 クラウン内で行われる交流、戦闘、売買、撮影――それらのコンテンツを実況、もしくは共有、保全するためのサイトだ。アカウントさえ作れば誰もが自由に閲覧できるし、サイト内に自らの専用チャンネルを創設することも可能だった。


 それだけではない。


 投稿された動画には閲覧者数に応じて報酬が支払われる仕組みになっている。ディス・スクリーンではこれをスクリームなどと称して推奨している。また、すすんでスクリームを達成しようとしている連中は、世間ではスクリーマーと呼ばれて注目の的だった。


ゲームをプレイして、それだけで生活費以上の金が得られるかもしれないのだ。となれば、誰だって飛びつくおいしい話だ。


 もちろん、それ以外の理由でこのゲームを始めた人間もいるだろうが、今や夢の世界は金稼ぎの場だ。経済の一部だった。

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