第3話 寝ても覚めても見えるは悪夢

「お疲れさん。……やっぱり部署長かい?新しいところでも、がんばってな」


 あれから掃除を終え、与えられた僅かな時間で他部署の方への挨拶回りを済ませた。

 皮肉なことに、他部署の方々のほうが暖かい言葉をかけてくれるのが情けなくも嬉しかった。何も出来ずにここを去ることになったが、部署長の振る舞いや発言を一部の方だけでも知っていてくれただけで少しだけ救われた気持ちになった。

その後は部署の方に退職の挨拶とお詫び、形式的なお礼の菓子渡しだけを済ませ、定時過ぎまで機械を磨き、いよいよ退勤の時間となった。


「おう、じゃあ前に言ってたお前の作業着もらうぞ」


 返事もそこそこに、部署長が自分の未使用の作業着を持っていく。勤続年数が一定年数になった時に支給された未使用のものである。

退職を考えている中での支給だったため、退職時にそのまま総務に返却しようとしていたものだった。ロッカーが隣だったのが災いし、以前に帰宅のタイミングの時に目ざとく見つけられ、その旨を伝えたところ、


「どうせ総務に返すんだろ?ならサイズもそんなに違わないから俺がもらってやる。今までのお詫び的なものだ。会社に返却しなきゃいかんのは最初に支給された奴だけだろう」

 ……これだけは会社に報告しておけば良かったと今でも思う。今更な話だが。

 ほぼほぼ無言で未開封の作業着を渡し、何もなくなったロッカーに使用していた鍵を入れ、荷物を手に帰ろうとする時に声をかけられた。


「おう、他に何かお世話になった俺に他に何か渡せるものとかないのか?」

 それが部署長の自分にかけた最後の言葉だった。

 帰宅途中、タバコを買いに寄ったコンビニで、同じく支給されていた予備の未使用キャップを車内のごみと一緒にゴミ箱に投げ入れた。

……何一つ言い返せず、反抗出来なかった自分のささやかな最後の抵抗だった。


 あの場所から離れることが出来れば、きっと自分の人生はまた立て直せる。そう思っていたし信じていた。だが、待ち受けていたのは非常な現実だった。最初のうちこそ会社から開放された喜びに浸り、自由を謳歌しようとした。社会人にはあり得ない長めの夏休みだ、くらいに考えていた。


 ……だが、自分に待ち受けていたのは過酷なフラッシュバックだった。勤め人ではとても出来ないような時間まで酒を飲んでゲームや動画サイトを無差別に視聴したり、懐かしいアニメや映画、子供の頃に観ていた特撮ヒーロー番組を片っ端から観返したりと、つかの間の自由な時間を満喫した。起きているうちはそれでも良かった。

 だが、必ずといっていいほど部署長を初め、かつての職場の連中の顔と声が浮かぶ。


『……お前、よく定時で帰ろうだなんて思えるな?もし今日のデータに何かあれば……』

『……あのさ、よくそれで休憩中とはいえタバコ吸おうなんて思えるね。理解できない』

『……正直さ、不快なの。いつも横で怒鳴られているのを見せられるこっちの身にもなって』


 やめてくれ。やめてくれ。いや、やめてください。輪を乱すトラブルの元の自分は辞めたじゃないですか。許してください。開放してください。許してください。お願いします。ごめんなさい。すみません。すみません。すみません……。


 脂汗と絶叫と同時に布団から飛び起きる。どんなに夜更かしをしようが、どんなに強い酒を大量に飲もうが、気づけば会社に出社するはずの時間に目が覚めてしまう。

 涙で濡れた自分の顔に手をあてて改めて自覚する。あぁ、遅かった。遅かったのだ。

 自分は壊れてなんかいない。もう、とっくに『壊れていた』んだ。


 そう悟った時、大和は急に冷静になり、準備に向けて動き出すことにした。この人生を、終わらせるための準備を。

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