第3話


外には春の暖かい日差しが満ちているって言うのに、理科室は薄暗く翳っている。

教室の隅で、蛙が水槽の中で悲しく鳴いている。それをみていたら、昔内元先生が、メダカの解剖をしようとして、クラスの全員が反対したのを思い出した。

先生は「魚のさばき方を覚えたほうがいい」と、言った。それは家庭科の授業だろうと、誰かがつっこんだのを覚えている。

貧血で草太郎の目の前が揺れて見える。やばい。

本気の具合の悪さと、理科室の薄気味悪さに部屋を出ようと、草太郎がドアノブに手をかけた時、....音がした。

何かが這いずる音が天井裏から聞こえてくる。恐怖でその場に立ち竦んだ。

足を動かしたいのに、動かせない。金縛りにあったようだ。そうしている間にも、音が段々とこちらに近づいてくる。

「........!!」

息を呑んだ。天井の壁が落ち、髪の長い少年?が天井から降って来た。

「うひゃひゃひゃひゃ」

髪の長い少年は首を絞められた烏があげるような声をあげている。

「うわぁぁぁぁああぁあ、でたぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ」

そいつは天井から飛び降りると、トカゲの様な格好で草太郎の方を見た。

もう限界だった。貧血でくらくらする頭。目の前が真っ黒になってその場に草太郎は倒れた。こちらの顔を覗き込んでいる少年は、言った。

「........お兄さん」

お兄さん?お化けの少年をよく見ると、結構可愛らしい顔をしていた。それが気絶する前に最後に草太が見た光景だった。

がくりと、首を折り意識を失った草太を見て、五貴はため息をついた。そして五貴は恐る恐る草太の頬をつついた。倒れた兄は息をしている。

「........ち!死んでないや」

静かな理科室で少年の、そんな言葉を聴いたものはいない。


眼が覚めたら、白い天井が目の前に広がっていた。

「うわぁぁぁぁぁっ、バケモノォォォ」草太郎は悲鳴を上げて飛び起きると、頭を叩かれた。

すぐ側には正道先生の姿があった。

「何ねぼけているのよ」

「........どうしてここに?」理科室にいたはずでは....。

「理科室で倒れていた所を、二年生の子達があなたをここに運んできてくれたのよ。だめじゃない!安静にしろって、言ったでしょう?」

「あ........あ、すいません」

「これっ」

正道先生が放り投げてよこして来たのは、俺の茶色い鞄だった。

「教室に置きっぱなしだったんだって、竹君が持ってきてくれたのよ。中を見たけど変なものは入ってなかったじゃないの。つまんないの」

「は?勝手に鞄の中身見んなよ!」

「悪かったわよ」

正道先生は耳の穴をほじりながら言う。全然悪びれてない。「神土君、そろそろ早く行ったほうがいいわよ。もう正門が閉まる頃だし」窓からは夕暮れのオレンジ色の光が見える。

「やべ!」

鞄をもって、走り出そうとしたが、草太郎は立ち止まって正道先生の方を振り返った。

怪訝そうな正道先生を見ると、顔が熱くなる。激しい動悸に息切れしてきた。

「先生、あの」

「何?」

おお!まさか告白!?と、正道は胸をときめかせた。

「チャック開いてますよ」スカートの横のファスナーが開いていた。

「............!!」

顔を赤くした先生に悪く思い、保健室を素早く走って出た。


門はもうほとんど閉まりかかっていた。隙間に走りこんでぎりぎりセーフだ。

門を飛び出した瞬間、目の前に人が立ちふさがった。

見ると、その人の顔は狐顔の日本人だが、髪は染めているのか、珍しい色素の薄い金色の髪を肩まで伸ばした若い青年だった。典型的な?坊さんの着物を着ている。

そのお坊さんは微笑んだ。

「蒼月寺のものですけどぉー、少しお話をよろしいですか?」

その瞬間、全身をセメントで塗り固められたかのように固まった。

反射的に頷いていた。


蒼月寺のものと名乗る、その人は公園のベンチに座った。前の砂場では子供達が猫の尿を掘り返しては、臭がっていた。

「お隣どうぞぉー」と、隣のベンチを草太郎に勧める。


....僕は猛烈に腹が立っていた。大体、蒼月寺と僕は無関係なのに、何故僕が仏像を探さなければいけないのか。しかも命がけで。今更蒼寺なんぞに関わり合いたくないのに。

一発、はっきり言ってやる!と、勇んで弓人の隣に座る。

「何のようだよ!」

「神土草太郎様。お会いできて光栄です。初めましてぇー、私、源(みなもと)弓人(ゆみひと)と申します」

弓人と名乗る男の声は空気が抜けたような、間延びしたひどく抜けた声だった。こんな声で、お寺でお経を読めるんだか?

「あのですねぇー、蒼月寺の仏像が盗まれてしまいましてぇ」

よぉく、知っているよ!その仏像本体も、うちの神社に来てやがるしね!

そう草太郎は言ってやりたいが、言っても信じてもらえないだろう。

「その仏像を盗んだのは、寺のご子息、五貴様でしてぇー」

....寺のご子息だってぇ?何だか嫌な予感がする。草太の嫌な予感はこれまで一億円の宝くじが当らない程の確率で、命中してきた。

ご子息、寺の。蒼月寺の主は、死んだ御袋と別れた草太の父親。ご子息とは、そこの息子のこと....。それはつまり....。

「困ったものですよぉ」

「....あの、そのご子息って、つまり蒼月寺の」

「跡取りです」

「........もしかして、その」

「はいー、草太郎様のおとう」

「うわぁああぁあああ!なんでもない!聞きたくない」

「そうですか?」


もしかしてそれが自分の異母弟なんか聞いたら、急に三つ子ができたことが告知された極貧の妊婦みたいじゃないか....。頭が混乱して訳が分からないことを考えている。

「五貴様はお父様と喧嘩なされてですねぇー、仏像を寺から持ち出して日高神社にどうやら隠してしまったそうなんですよぉー」

「う、内の神社にぃぃぃぃぃ!?」

「あの蒼月寺の仏像は大変危険なものでしてぇー。それこそ持ち主を呪ってしまうものなのですよー」

「仏像が呪うのかよ!」

「蒼月寺にはそういういわくのある品物を集めるのがお好きでしてぇ。我我も命がけで回収をしたりお払いをしたりなんで、そりゃー大変なのですよぉー」

「知るか!俺を巻き込むな!....」

あの糞仏は学校にあるといったくせに。もしかしたら。大変だ。あの糞仏が内の神社にいるなんて....。どんな災いを呼ぶかどうか分からない。草太郎はベンチから立ち上がると、駆け出した。

「お待ちください!」力強い声に、思わず草太郎は立ち止まる。

「........?」

「良かったら、その仏像を蒼月寺まで届けてくださらないでしょうか。........坊ちゃま」

「........」

構わず、そのまま走り出した。後ろは振り向かなかった。

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