七人岬

浅骨顕

完結

「七人ミサキって知ってますか。

 

 うちの地方では有名な話です。

 海の事故で亡くなった人たちが、日が暮れた後に海に出てくるんです。ちょうど7人。だから七人ミサキって言うんです。

 それでその人たち、そばにいる人を捕まえていくんです。

 1人捕まえると、その7人のうちの1人が成仏するそうです。それで捕まえられた人は、新しい7人のうちの1人になる。だからずっと7人、七人ミサキって呼ばれています。地域によって高熱が出るとか、鐘を鳴らしてるとか言うところもありますけど、うちでは言わなかったですね。


 あれは、私が、6歳のときです。

 8月のお盆の時期で、猛暑日更新したんじゃないかな。すごく暑い日でした。夕方になっても昼間の熱が逃げてくれなくて、じっとしてるだけでじりじり汗が出てました。

 私の家、海の近くだったんです。家から数十メートルで海岸があって、いつもそこで遊んでました。その日もあまりに暑かったから、ご飯できるまで海風に当たろうって言って、親戚の子と一緒に外に出たんです。


 そう、多分親戚。歳のすごく近い、少し年上の男の子でした。

 はとこだったかな、いとこだったかな。田舎の親族関係って結構ややこしいですよね。小さい時だったからあんまり覚えてなくて。でもいたんです。たしかにそこに、けい君は、いたんです。


 お盆だったから、海に入っちゃいけないのはわかってました。お盆はいろんな人が帰ってくるで、いいもんも悪いもんも、みいんな海に帰ってくるでや、って、おばあちゃんがいつもその時期、散々言ってたので。

 なのにけい君、勝手にサンダル脱いで、ざぶざぶ海に入って行ったんです。あの年頃の男の子って急に向こう見ずな所ありますよね。わたしが必死に陸からやめなよ、危ないよ、怒られるよ、って叫んでも「大丈夫、足滑らせて落ちたことにすればいいじゃん」って、へらへら笑ってて。

 私、気が気じゃなかったんです。さっきも言ったけど、家から海って近いんですよ。海が危なくて怖いっていうより、家にいるおばあちゃんがいつ見つけて怒鳴ってくるか、そっちの方が怖くて。けい君だけ怒られる訳なくて、大体一緒にいた私も怒られるじゃないですか、そういう時って。

 だからもう半泣きになって、びくびく家の方振り向きながら、必死にけい君のこと呼んでたんです。

 そしたら。


 アッて、悲鳴が聞こえたんです。

 夕方のオレンジ色の海でぷかぷか浮いてたけい君が、アッ、って、たった一瞬悲鳴をあげて、どぷんって沈んだんです。

 一瞬のことでした。足が攣ったとかじゃないんです。バタバタ暴れたわけでもなく、苦しそうに何か叫んだわけでもなくて。本人もあまりに瞬間のことだったから、アッ、しか言わなかった……言えなかったんだと思います。

 まるで足に何かすごく重たいものをつけられたみたいな、それとも、何かに一斉に引きずりこまれたような沈み方で、本当に、瞬きの出来事でした。


 一瞬、なにが起こったか分かりませんでした。ついさっきまで揺らされてた海面も不気味なぐらい凪いでて、蝉の鳴いてる声が妙に頭に響いてて。本当に数秒かかって、あっ、溺れてる、って思って、頭が真っ白になりました。

 お兄ちゃん、お兄ちゃん、って何回呼んでも、全然返事が返ってこなくて、いよいよ焦りました。とにかく大人を呼ばないと、誰か助けてもらわないと、そう思って、家の方に行こうとして。

 ふっと、海を振り向いたんです。



 日が落ちかけた海の水面から、目が、6人、じいっとこっちを見てました。男か女かもわからない、伸びた髪をびしょびしょにしてて、波にも揺られずにしぃん、と浮いていました。

 ……ありえないじゃないですか。さっきまで誰もいなかった海に、いきなり人がいるなんて。その人たちと目が合った瞬間、周りの蝉の音や、波のさざめきが、一気に落ちたことを覚えてます。だから私、あっ、これ危険だ、ってすぐわかりました。

 でも、逃げられませんでした。足が全然動かなかったんです。ビーチサンダルが砂にどんどん沈んでて、心臓は痛いくらい跳ねてるのに、足の感覚はありませんでした。


 全員、一瞬も私から目を離しませんでした。すごくすごく恨めしそうに、憎々しい目で、ずっと睨みつけていました。 

 そうして、一番端の人が、ふと手を上げて、私を指差しました。水面からごぽって、泡が弾けて、すごくしゃがれた声が聞こえたんです。


 おまえ、6歳でよかったな、って。


 


 

 気がつくと私は、家の仏間で寝かされていました。

 意識を失って砂浜で倒れていた所を、海の家のおじさんが家まで運んでくれたんだそうです。家を出たのは夕方だったのに、柱の時計は夜の8時を過ぎていました。


 仏間には、私1人しか寝かされていませんでした。けい君はいませんでした。家のどこを探しても、押し入れにも、台所にも、いませんでした。

 私は飛び起きて、客間にいたおばあちゃんとお父さんにすがりつきました。

 けい君が溺れとる、けい君が海におる、拐われた、って、泣きながら大きな声で叫びました。きっとすごく怒られるだろうけど、けい君の安全の方がずっとずっと大事だったから、必死に、助けてって、言って。


 おばあちゃんとお父さんは、きょとんとしてました。2人とも顔を見合わせて、首を傾げて、少しして恐る恐る、私に聞きました。

「けい君ちゃあ、誰かね」

 おばあちゃんの言葉に、私すごいびっくりして、言おうとしたんです。けい君だよ、いたでしょ。お家にいるでしょ、私と一緒に遊んでて、海に行ったでしょって。

 でも私、思い出せなかったんです。その時。

 けい君のこと、思い出せなかったんです。



 この話、ずっと忘れてました。

 私明日、初めて海洋調査に行くじゃないですか。大学の船で、瀬戸内の魚類の生態調査。先輩がいちばんご存知かと思います。天気も潮の流れも穏やかだし、調査にはいい日です。

 でも私、思うんです。多分私、明日帰って来ないんじゃないかなって。


 今日、下調べで、出港予定の漁港まで歩いて行ってみたんです。たしかに着港場所も広くて大きな岩もない場所で、とても転覆なんてしようもないと思いました。

 でも、いたんです。

 海の沖の方、群青の水面に紛れて。遠くから、けい君がじいっと、こっち見てたんです。小さな、ちいさな頭が、じいっと。    

 私と目が合って、私……ようやくその時、ぜんぶ、ぜんぶ思い出したんです。あっ、って、けい君、って、叫んだんです。

 そしたらけい君、目だけニコって笑って、あんな距離で聞こえるはずもないのに。


 やっと7歳すぎたね、って、言ったんです。

 その笑い方が、そっくりだったんです。私と。




 お願いです。私のことを忘れないで。


 ばかなこと言ってると思ってるのはわかります。私だって何言ってるんだろって思うんです。でも、あいつらは攫っちゃうんです。きっと全部、記憶も、何もかも。

 このビデオ、実家にあったVHSに上書きしてます。おかしいんです。私の家、ひとりっ子だったはずなのに。私も家族も、誰も見たこともないヒーローもののアニメが、いっぱい焼いてあったんです、このビデオに。

 けい君って、本当に親戚だったんでしょうか。はとこほども遠い血筋で、あんなにも目元って似るんでしょうか。もう何も分からないんです。思い出すのが怖いんです。だって忘れてしまった事実を思い知ったら、これから私が同じことになるって知っちゃうから。


 お願いします。先輩、お願いします。

 私を忘れないで、お願いします。このビデオだけは捨てないで。お願いしますお願いしますお願いします、お願いだから、わすれないで。

 私は海洋学科、山田研究室所属、21歳。あなたの恋人の、中原み」



 画面の中、顔も知らない女の声は、砂嵐に飲み込まれて消えた。

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七人岬 浅骨顕 @Asahone_akira

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