case.11-4
「ま、まあ落ち着けって。気持ちはわかるけど」
「でも先生」
「ほら、さっきも言ったけど、まだ終わってないぞ」
そうだった。大団円を迎えるには、もう一つしなければならないことが残っている。でも、そのしなければならないことというのは、あの男の心の闇を浄化すること。ヒロインの歌による"FAIRY NOTE"で、光魔法を発動させること。
「……うん。無理。無理ですよ」
「まだ何も言ってないが」
「本当に無理です。私には荷が重すぎます」
「うーん。しかし……」
黒幕なんていなければいいなと心のどこかで思っていた。リオンは部長さんなのだから、きっとラスボスなんて存在しないと。しかし、現実はそう甘くはなかった。ゲーム通りに大団円を迎えるには、ゲーム通りに原作をなぞっていくしかないのだ。つまり、歌での"FAIRY NOTE"は必須。でも、正直私の歌でどうにかなるとは思えない。だって、さっきは7人での演奏だったけれど、今度は1人だ。そんな、物語のヒロインみたいな真似、簡単にできるものではない。いや、私、ヒロインなんだけれども。
どうすればいいんだろう。トランペットを抱えたあの子が、私を心配そうに見つめている。そうだよね。あの子は全部わかってるんだもんね。ここで"FAIRY NOTE"を成功させなければ、待っているのは全員死亡のバッドエンドだっていうことを。でも、わかっていればできるというものでもない。私は思わずあの子に縋るような視線を向けてしまう。すると、そんな私の葛藤に気づいてか、あの子は少し考え込むような仕草をした。そして、まるで私を安心させるかのように、優しく、柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。きっと大丈夫」
「リリー?」
「私が歌ってみるよ」
「え、でも!」
「大丈夫。あの歌なら覚えてる。きっと大丈夫」
「奏……」
大丈夫。大丈夫。皆を安心させるように。そして何より、自分に言い聞かせるように。あの子は大丈夫だと繰り返した。
「お前、やる気か……?」
「うん。大丈夫。兄さんは心配しすぎ」
「!?」
「部長。雨宮くん。このゲームのサントラに入ってた歌、覚えてます?」
「ああ、BGM以外に、3曲歌が入ってたな。オープニング曲とエンディング曲。それからもう一曲」
「そう。その一曲がこの場面でアリアが歌う挿入歌です。アカペラは自信ないので、伴奏お願いします」
「よし、任せろ」
「よ、喜んで!」
「待ってくれ。何が始まるんだ。何をする気だ、リリー」
「ラルフ先輩。全く訳もわからず連れてこられたのに、私たちに付き合ってくださってありがとうございます。きっと私たちの会話を聞いていて不可解に思うようなこともあったでしょうに、無理に問いただすこともせず、静かに見守ってくれましたね」
「……。正直、疑問に思っていることはたくさんある。だが、きっとお前たちには、やらなければならない何かがあるんだろう。この魔物だらけの絶望的な状況を、お前たちの力で的確に乗り切ったのがその証拠だ。だから信じる」
「先輩……」
「だが、どうか無理はしないでくれ。俺は、お前と一緒に演奏するのが好きなんだ。ただ、それだけなんだ」
「はい。私も先輩と一緒に演奏するのが大好きです。大丈夫ですよ。これからも、何度だって、一緒に演奏できます」
そう言って、あの子はまた柔らかく微笑む。そして、いまだに呆然としたまま身動き一つしないあの男の方へ、ゆっくりと歩き出した。その後ろには部長さんと雨宮くんが続く。それを見た私たちは、さらにその後ろについて一歩一歩足を進めていった。
「ウィルさんと言いましたね。魔物は全て消滅しました。観念して投降してください」
「はっ……だ、誰だお前!」
「彼女は俺の可愛い後輩です」
「おま、リオン。一体何をした。俺は闇の力を増幅する魔法具を使って、限界まで魔力を高めていたんだぞ。しかも、一年以上の時間をかけて、ひたすら魔物を増やし続けた。なのに、どうしてこんな一瞬で魔物が消えた!」
「あなたの闇の力よりも、俺たちの光の力の方が強かったということでしょうね」
「そんな……そんな馬鹿なこと、あるわけが」
「ただの道具よりも、俺たちの絆の方が強力だったというだけのことです」
「くそっ……くそっ!」
部長さんのことを憎々しげに睨み付けたウィルは、再びヴァイオリンを構えると悲痛な音色を響かせだした。せっかく一掃した黒いもやもやたちが、またもそこかしこから湧いてくる。しかし、あの子も部長さんも雨宮くんも動じていない。あの子は一つ深呼吸をすると、歌の出だしのフレーズをそっと口ずさんだ。それを聞いた二人も呼吸を合わせ、美しい旋律を奏で始める。そして、その旋律はやがて伴奏へとシフトし、ゲームで聞いたそのままの挿入歌が私たちの目の前で流れ出した。
その透き通るような歌声は、まるでこの世の全てを浄化するかのようだった。歌声に呼応するように溢れ出した光の粒は、7人で演奏したときのものよりも淡く優しく、心にじんわりと染みこんでいく。さらに、楽器の音色が歌声に完璧に寄り添うことにより、光魔法の美しさがどんどん増していってるようにも見える。もしかすると、声と楽器を組み合わせることによって、ゲーム以上に強力な"FAIRY NOTE"を発動させることに成功してしまったのかもしれない。
そして私は唐突に理解した。"FAIRY NOTE"とは"妖精の音"。それはまさにあの子の歌声。つまり、あの子の歌こそが"FAIRY NOTE"そのものだったのだ。
気付けばそこらを蠢いていた魔物たちは跡形もなく消え去り、ウィルも演奏を止めてあの子の声に聞き入っていた。そして、ふと体の力が抜けたように地面に両膝を突くと、澄み切った夕空を仰いで静かに涙を流し始めたのだった。
「奏!」
「!」
「よかった……本当によかった……!」
ウィルの心に降り積もっていたリオンへの憎しみは、光の粒とともにゆっくりと溶けていったようだった。部長さんが魔法省の人たちを呼んできても特に抵抗することなく、大人しく捕まって搬送されていく。これでもう、魔物が増殖して人間を脅かすことはないだろう。一件落着。大団円エンド達成だ。
これで全て終わり。ゲーム終了。そう思ったとき、私の中で渦巻いていたいろんなものがこみ上げてきて、なぜだかそれがどうにも抑えられなくなった。そして、私は思わずあの子に思いっきり抱きついた。
「ごめんね。私、ちゃんとヒロインやれなくて」
「うん」
「あなたはきっと、もっとゲーム通りに過ごしてみたかったんだろうなって、わかってたのに」
「うん」
「悪役令嬢はさっさと退場するし、隠しキャラは普通に出てくるしで、もうめちゃくちゃだよね」
「うん」
「でも私、またあなたと過ごせるのが嬉しくて。なんだかんだ、この世界での生活も楽しくて」
「うん……うん……」
何を言いたいのかよくわからなくなって、だんだん涙声になっていく私を咎めることもなく、あの子はただ優しく私を抱きしめ返し、ぽんぽんと頭をなでてくれる。その手つきの心地よさに、じんわりと温かい体温に、私はどうしようもなく安心してしまう。
周囲では仲間たちが魔法省に事情を説明したり、討伐し損ねた魔物がいないかの確認を手伝ったりと、まだまだせっせと動き回っている。そうだ。魔物たちと戦闘を繰り広げたのだから、事後処理があるのは当然だ。でも、あと少し。もう少しだけ、このままでいさせてほしい。そうしたら、私もまたちゃんと動きだすから。
少しずつ日が落ちていく黄昏時。
私はただひたすらに、あの子の温もりだけを感じていた。
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