case.2-1

 その日は休み明けの、ちょっと憂鬱な月曜日だった。


 偶然、数学教師の目に留まってしまったのが運の尽き。宿題のプリントを集めて昼休みに職員室まで持ってくるように、なんて言われてしまった。とても面倒だ。まあノートじゃないだけましかと思い、プリントを集め、食事を済ませ、職員室に向かう。途中で地震が起こったのには少し驚いたが、ちょっと掃除用具入れが倒れてきたことを除けば私に被害はなかったので、あまり深くは考えずに仕事を終えた。


 しかしそこで異変が起きる。どこからか煙が流れてきているのだ。そして校舎が燃えていることに気づく。火事だ。嘘でしょ。咄嗟に私が向かったのは外ではなく図書室だった。さっき掃除用具入れが倒れたことを考えると、本棚とかも倒れているかもしれない。図書室には多分、あの子がいる。あの子がもし、逃げられないでいたら。そう思ったら居ても立っても居られない。だけど、駄目だ。息が苦しい。もう図書室は目の前なのに、足が動かない。


 誰かが図書室のドアを叩いてあの子の名前を叫んでいるのが聞こえたが、私の意識はそこでふっつりと途切れてしまった。





 そして気づいたら赤ちゃんになっていた。何を言っているかわからないと思うけど私にもわからない。


 ここはどこなんだろう。ヨーロッパのような雰囲気だけど、話している言葉は全部日本語に聞こえる。そして誰もが普通に魔法を使っている。ファンタジーか。まさかこれは、最近流行りの異世界転生とかいうやつなのか。いや、もちろん流行っていると言ってもそれはフィクションの話だ。現実で起こるなんてあり得ない。あり得ない、よね?


 ……残念ながらあり得たようだ。確かに火事で死んだはずなのに、全く別の世界で生まれ変わったらしい。私の名前はアリア・フローレス。ごく普通の家に生まれた、ごく普通の女の子だ。どうせ転生するんだったらもっと貴族とか、なんかすごい感じがよかったのに、と思わなくもないけれど。私はこの名前に物凄く聞き覚えがあった。


 生前、私が一番仲がよかった女の子。大好きなあの子がはまっていた乙女ゲーム「FAIRY NOTE」。アリアはそのゲームのヒロインだ。このちょっとくせ毛でふわふわした金髪。実際のアリアはもっとロングヘアだったけど、子供時代ならまあこのくらいだろう。世界観もあのゲームの通り。そうだ。つまりここは、あの子が好きな乙女ゲームの世界なんだ。


 それにしてもまさか私が乙女ゲームのヒロインになるなんて。個人的にはあまりゲームに興味はないのだけれど、あの子はアニメやゲームが好きだったし「FAIRY NOTE」には特にはまっている様子だったから、私も思わず購入してしまったのだ。私がプレイし始めたと知るとあの子はとても喜んでくれたので、しっかりやりこんでちゃんと全てのエンディングを見た。これをフルコンプと言うらしい。


 推しとかは特にできなかったけど、ヒロインにやたらと突っかかってくる悪役令嬢を断罪するシーンはなかなかスカッとしたし、何よりあの子と共通の話題で盛り上がれるのは楽しかった。だからこのゲームに関してだけはかなりの知識があると自負している。そしてアリアの人生にこれから何が起こるのかを知っている私は、かなり有利な立場にいると言えるだろう。





 この国では毎年冬に14歳の子供を集め、魔力量を測る儀式を行うことになっている。まあ、測ると言っても具体的な数値が出るわけではない。特殊な魔法具を使って魔力を具現化し、その強さを球体の大きさで表すのだ。そして、小さな球が出たら国立魔法学校へ、大きな球なら王立魔法学院へと振り分けられ、翌年そこに入学する。といっても、基本的に貴族の魔力量は多くて庶民は少ないと決まっているので、ここでの振り分けに意味なんてない。これは単なる形式的な儀式で、貴族は魔法学院、庶民は魔法学校に入学すると、生まれた時からすでに決まっているようなものだ。


 ただ、何事にも例外はある。貴族から魔力の少ない落ちこぼれが出ることもあるし、庶民から魔力の多い天才が現れることもある。そしてこのゲームのヒロイン、アリア・フローレスこそ、庶民から現れた天才というわけだ。




 ゲームの主要キャラでアリアと同い年なのは3人。攻略対象の一人でこの国の王子であるアラン・ルイスハーデン。その婚約者で公爵家令嬢のカトリーヌ・ガルシア。そして、アリアの唯一無二の親友となる伯爵家令嬢、リリー・テイラー。王族やそれに連なる貴族は魔力量測定が免除されるので、この儀式でアリアが出会うことになるのはリリーだけだ。だからこのイベントについてはそれほど緊張する必要もない。





◇ ◇ ◇





 それは占い師が使うような、綺麗な丸い水晶のようだった。そっと手を翳してみると、眩い光が溢れてくる。気づけば目の前に球体が現れ、やがて光は収束していった。そこに現れた球体はここにいる誰のものよりも大きく、誰のものよりも美しく澄んだものだった。


『すごい。あんな大きな球体、見たことない』

『え、待って。あれ、ただの庶民でしょ。なんであんな子が……』


 同じ庶民からこぼれるのは純粋な驚きの声。しかし貴族からは嫉妬や不満、嘲りといった、ありとあらゆる負の感情がない交ぜになったような視線が突き刺さる。身分の低い人間よりも自分の方が魔力量が劣っているなんて認めたくないのだ。敵意すら感じるその視線の数々に、アリアは身動きを取れなくなる。しかしそんなアリアに、一人の少女が手を差し伸べた。


『あの、大丈夫ですか?』

『え……』


 少女が首をかしげるのに合わせ、柔らかな栗色の髪がふわりと揺れる。サイドの編み込みがなんとも上品で、身なりからしてもどう見ても貴族のお嬢様だ。貴族様から直接声をかけられるなんて、まさか庶民の分際で魔力量が多いなんて生意気だと文句でも言われるのだろうか。アリアは一瞬怯える。けれど彼女を見つめる瞳に嘲るような色はなく、むしろそれは心配そうな、気遣うような視線であった。そして、それに気づいたアリアの心は一気に緩み、優しさを向けられた安心感で思わず涙がこぼれた。


『っ……』

『え!? ご、ごめんなさい。急に声をかけてしまって』

『いえ、違うんです。あなたは全然、悪くなくて。その。私の魔力量を見た瞬間、貴族の方たちの視線があからさまに鋭くなったから、私、怖くなってしまって。でもあなたが優しく声をかけてくれたから、嬉しくて』


 差し出されたその手を、アリアはぎゅっと握る。


『あの、お名前を伺っても……?』

『私はリリー・テイラーと申します。怖がらせてしまってごめんなさい。確かにあなたの魔力の大きさには驚いたし、貴族にはプライドが高い者も多いです。でも、少なくとも私は純粋に凄いなって思いましたし、他にも同じ様に思ってくれる人はたくさんいると思いますよ?』


 人間にいろいろいるのは当然だし、貴族だって貴族だからと一括りにしていいわけでないのはわかる。でも、それでも、庶民であるアリアにこんな風に言ってくれる貴族は、きっとリリーだけなのではないだろうか。そう考えたアリアは、この心優しいリリーと誰より仲良くなりたいと強く思った。





◇ ◇ ◇





 アリアは貴族社会に突然放り込まれることになるから、魔法学院でも苦労が多い。でも、私はすでにこの事実を知っている。ならばすべきことは一つ。子供のうちから思いつく限りの勉強をして、貴族の中でも問題なく生活できるような知識を身につけてやる。やっぱり少しでも不安要素は取り除いておきたいからね。できることはやっておこう。


 一般的な常識はもちろん、魔法、マナー、芸術……はちょっと難しいけど、とにかくありとあらゆる知識を詰め込む。両親にはちょっと不可解に思われたかもしれないけど、娘が頑張って勉強しているのだから悪い気はしないだろう。

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