第3話 神戸へ
3-1 二等車内
東京駅に着いた芳江は直ちに、神戸に向かう切符を購入した。但し、行き先は広島までにした。
先日、篠原夫妻の温泉旅行の切符を買いに行った際、神戸での渡満航路の話をしたため、そこから、今回の自分の行動がばれるのではないか、という気がしたのである。それを懸念してのカモフラージュということで、行先を神戸より西の広島、ということにしておいたのである。
広島行の切符を購入して、駅員に言われた通りのホームに向かった。人ごみの中、しかし、追手が自分を追って来ているような気がして、何となく足早になった。
芳江は、二等車内に入り、座席についた。40分ほどして、駅のベルが鳴り、蒸気機関車の太い汽笛が鳴り、車両が揺れた。発車である。東京に着いて、その日のうちにすぐに乗り換えができた、ということは、早目の脱出という意味では、幸運なことだったかもしれない。車窓から外を眺めていると、徐々に日が暮れ、空は暗くなって行った。これから先のことを芳江は思った。
「これから先、どうなるか分からない。暗い未来じゃなければよいのだけど」
そう思いつつ、
「いやいや、自由への旅は始まったばかり。今から弱気でどうするのよ」
と自分を叱咤した。
未来への旅は始まったばかりである。とにかく、明るい未来を望みつつも、同時に、何が起こるか分からない以上、それを祈らざるを得ない芳江であった。
外が暗くなるのとは逆に、車内には車内灯が点灯した。車内には色々の人がいる。芳江の正面に座っているのは老女である。列車の揺れが快いのか、まだ就寝時間とは言えないこの時間に、既にウトウトしていた。
この老女を見つつも、芳江は、実家、そして母・初子のことを思った。
昭和元年(1926年)生まれの芳江は物心ついた昭和4~5年には、世界的な大恐慌の影響で、小作農だった彼女の家は、まともに食事ができない時もあった。
勿論、4、5歳でしかなかった芳江には、事情が分かろうはずもなかった。但し、その時の両親の困り果てた様子、農作業から帰ってきて疲れ、しかも何かに怒ったように押し黙った表情といった日々を覚えている。家の中でも余り会話がなく、暗い日々だった。きっと、両親も小作農であったことから、苦労して育てた作物の多くを小作料として収奪されていたのであろう。昭和6年(1931年)の満州事変勃発以降は、軍への供出も実家の負担を大きくしたに違ない。やり場のない怒り、抵抗し得ない悔しさを抱えていたことが、両親の表情に出ていたのであろう。
幼かった芳江には、子供故に事情が理解できなかったということに加えて、周囲の農家も小作農として殆どが同じような状況にあったので、生活とはそんなものであり、それが普通だと思っていた。
しかし、そんな状況にもかかわらず、倉本家をはじめとして、各小作農家を支配している一家のみは贅沢をしていた。その家では、子供等の誕生日等にはカレーライスを食べることができる等していた。
実は、芳江は経済的に貧しかったにもかかわらず、父が日華事変にて応召した昭和12年(1937年)以降、カレーの味を知ることができたことがある。
応召によって、父が不在になって以降、初子は、その地主の家に手伝い、つまり、女中のような仕事をしに行ったことがあった。それによって、幾らかの現金収入を得ていた他、カレーのおすそ分けをしてもらったことがあったからである。
この他にも、中途で退学したとはいえ、一時期は女学校に通うこともできた。学費等は一体、何処から出てきたのだろうか?芳江は、これまで常々、疑問に思ってきたのであった。
母・初子は地主家の女中というのみならず、同時にそこの戸主あたりの妾も兼ねた存在だったのかもしれない。つまり、ついこの前までの篠原家での自分と同じ立場であったとのかもしれない。母の初子は夜に家を出、朝になってから帰宅する等、何かしら不審な動きをしていた。
12歳位になり、多感な年頃になりかけていた芳江としては、それを母に問おうかとも思った。しかし、母の厳しい表情を前に、それを問う勇気はなかった。
とにかくも、出所不明の金で女学校に入りえた芳江ではあったものの、しかし、どうにも成績の良い学生ではなかった。こんな調子では、女学校生活も面白いはずがなかった。
そして、ある日、芳江はとうとう、初子に女学校退学を申し出た。
その時、芳江は恐る恐る、この話を切り出したのであった。初子が怒ると思ったのである。
しかし、母は怒るでもなく言った。
「そう、あなたの自由になさい」
芳江にとっては、何か拍子抜けしたような意外な反応であった。
初子にとっては、妾にまでなって、学費を負担してやっているのに、退学とは何事か、という怒りの感情はあったかもしれない。しかし、芳江のために地主家の妾にならねばならないという事情を初子が抱えていたとしたら、その屈辱と負担から解放される、という「解放感」があったのかもしれない。しかも、初子にはこの他にも軍への供出、小作料といった負担が重なり、負担の重さ故に疲れてもいたのであろう。これ以上、苦しめられたくない、というのが初子の本音であたのかもしれない。
そして、父は応召して以降、全く日本に帰還して来ておらず、行方不明である。
かつて、女学校時代を含め、学校では、
「明治の御一新は、四民平等の世をつくり・・・」
等と教えられて来た。しかし、現実の問題として、何処に平等があるのか?まるで実感はなかった。おまけに「女」というだけで参政権もなく、男の都合に合わせた生き方を半ば強いられているという現実があった。
考えているうちにふつふつと怒りがわいて来た芳江ではあったものの、考えているうちに怒り疲れ、又、列車の揺れが正面の老婆に対するように、眠りを促して来た。眠くなって来た芳江は、鞄をすられたり、奪われたりしないように、首に鞄紐をしっかりと襷掛けにして眠りについた。
蒸気機関車の太い汽笛が時折、聞こえて来る。神戸に向かって急ぎたいと思う芳江の感情に応えるかのように、列車は西に向かって走り続けていた。
3-2 神戸の街
翌日朝、芳江は目を覚ました。外は晴れている。昨日の老婆はまだ、昨日と同じく、芳江の正面にいた。彼女もまた、東京から遠く、西に向かうのだろうか。
そんなことを思っていると、老婆の方から話しかけて来た。
「お姉さん、あんた、どこまで行きなさるんかな?」
「え、あ、はい、ちょっと神戸に所用で」
「神戸か、三宮で降りなさるんかな?」
「サンノミヤ?」
芳江は初めて神戸に向かうので、何のことか分からない。
「すみません、サンノミヤってどこですか?初めての神戸行きなので、神戸の地理
が良くわからなくて」
「神戸の手前にあるんじゃ。神戸の玄関口のような駅じゃよ。神戸に親戚がおるけ
え、あそこで神戸に用がある時は降りることが多いんじゃ」
何かしら聞きなれぬ西の訛りのある言葉である。
「ありがようございます」
芳江は礼を言った。神戸の勝手がわからぬ芳江である。用足しをしに行った際、車掌に、
「三宮は神戸の中心的存在の駅か」
と問うと、老婆と同じ回答であった。老婆の情報は嘘ではないらしい。芳江は三宮にて下車することにした。
芳江は、広島のある田舎まで行くという先の老婆に挨拶すると、三宮で列車を降りた。改札口にて切符を渡すと、神戸の街に出た。
神戸は芳江にとってあらゆる意味で初めての土地である。まず、これまで芳江が生きて来た東日本と異なり、道行く人々からは、
「~なんや」
「ほんま、~やな」
「せやし、~やから」
といった言葉が耳に入って来る。あるいは、先程の老婆が言っていた
「~じゃ」
といった言葉も聞こえる。ことに、
「~じゃ」
等の言葉は、時代劇の書物でしか目にしたことしかない、芳江にとっては聞いたことのない言葉であった。渡満せんとしている芳江にとって、既に内地でありながら半ば、異国に足を踏み入れているような状況であった。
芳江は耳慣れない関西方面の言葉が飛び交う神戸の街中でタクシーを拾い、満州行きの乗船券を買う場所へ向かうように指示し、向かった。
タクシー運転手には芳江に、
「お嬢さん、どうなさいました?満蒙を開拓される一員になられるのですか?」
という意味のことを言った。
芳江には先日の駅員との神戸から渡満の話が記憶に残っていた。仮に、駅員が篠原夫妻に対し、何かのきっかけで、その話をした場合、怒った夫妻が追いかけて来るような気がした。或いは、勝手な書類を偽造したことによって、警察に追われるかもしれない。
とにかく、内情を探られてはならない芳江である。
「ええ、まあ」
と適当な返事をし、暗に
「この話には触れてくれるな」
という態度をとった。運転手も芳江の態度を察したからか、それ以上のことは言って来なかった。
芳江は、なるべく早く、日本を脱出したいのである。券売所に着くと、最も近い日付の安価な乗船券1枚を購入したい旨を係員に申し出た。
連絡船の時刻表を確認した係員は言った。
「8月〇日、黒龍丸、二等がございます。如何でしょうか」
芳江は即答した。
「それでお願いします」
「身分証明書はございますか?」
「はい、これです」
芳江は篠原の屋敷を出る時、鞄の奥底に注意深く入れておいた身分証明書を係員に提示した。
身分証明書を一瞥した係員は言った。
「では、大人1枚、黒龍丸二等乗船券、〇〇円になります」
そう言って、当日の船乗り場等を説明し、それが書かれたパンフレットを渡した。
芳江は篠原の口座から失敬して来た紙幣で支払った。
芳江は再び、身分証明書を鞄の奥底にしまい、同じく、乗船券も鞄の奥底にしまった。これ等は日本脱出のための命綱である。
券売所を出た後、芳江は神戸市内で、黒龍丸が来る予定である埠頭近くの古びた旅館に投宿した。宿帳には、自分の正体を知られないように、偽名で署名した。
黒龍丸の出航は、後、3日程後のことであり、もし、篠原等の追手や警察が来たら?又、特に警察ということについて言えば、東京での山村太造殺人の件で、死体遺棄という形で事件に加担していることで追われているとしたら?・・・と考えていると、否応なしに胃が重くなるような不安と恐怖を感じる。
その不安と恐怖を振り払おうと、芳江は自身を𠮟咤した。
「ここまで来て、捕まってたまるものですか」
この宿は木賃宿ということで、自炊もできる。幸い、米や野菜も篠原家からいくらか失敬して来ていた。3日程度なら、何とかしのげるであろう。黒龍丸への乗船まで息をひそめる芳江であった。
3-3 出立
芳江は黒龍丸への乗船予定日にかなり早く起床した。というか、昨晩からあまり寝付けなかった。ここまで来て乗船に遅れる等とのドジがあってはならない。それゆえに、昨晩からあまり眠れなかったのである。
芳江は主人に礼を言うと、まだ半ば暗いうちに、宿を出、先日の係員に説明された船乗り場に向かった。
神戸の街はまだ半ば、眠っている状態らしい。市内電車等も空席等が目立っているようであった。タクシーらしき車も来ない。
徒歩で船着き場に着いた芳江は乗船券を見せて、待合室に入った。空が明るくなるにつれて、乗船者と思われる人々が入って来た。待合室は賑わって来た。そのうちに乗船時間が来たらしく、人々が船乗り場に向かって動き出した。芳江も乗船者の一員として、人々の群れに従って動き出した。
人々の群れはやがて一列になり、黒龍丸の船腹にかかっているラッタルに向かった。芳江もその一員として、ゆっくりとラッタルを登って行った。
芳江は船員の案内された二等船室に入った。そこにはすでに他の乗客がいた。母子連れであり、幼稚園か小学生低学年と思われる男児は、母にあやされながら、船のおもちゃで遊んでいた。
昨晩から殆ど寝られなかった芳江としては、かなり疲れていた。追手に追われるのが怖かったからである。疲れた意識の中でも、このことは一貫して芳江の心中で胃がもたれるような恐怖の種であった。しかし、幸いにもここまで、「倉本芳江」の名をとがめられることはなかったことは幸いであった。
1時間程、経ったであろうか、先のラッタル付近で銅鑼が鳴らされ、大きく太い汽笛が鳴った。いよいよ、
「さよなら、日本」
である。芳江にとっては、ここまでは、新たな人生への計画が何とか、上手くいきつつあるようである。
動き出した船にまでは、追手は追っては来れないであろう。これまでの緊張がほどけたのか、どっと、疲れが出た芳江は自身のカイコ棚式寝台の上で、眠りについた。
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