純白の暗闇

夢野けしごむ

その先へ

深い眠りに就いた夜は必ず夢を見る。どこまでも広がる永遠の暗闇に独り佇む夢。

 深く吸い込まれそうなその暗闇は、自分の存在さえ見失わせる程だ。夢の中で「夢である」と自覚しながら進む一歩は不思議なもので、以前にも同じ夢を見たという覚えも確かなままその足を動かす。このまま進んだところで終わりに近づくことがないというのも理解している。それでも何故か歩みは止められなかった。今見ている夢は以前見た夢の続きで、それならこのまま歩けばきっといつかこの暗闇にも光が差し込むのではないか?この途方もない暗闇から抜け出せるのではないかと、淡い期待を抱きながら進む。そんなわけはない、抜け出せるはずはないと頭では理解しているのに。夢の中でくらい夢を見させてくれと願いながら、道なき道を進んで行く。

「・・・疲れた」

 目覚めた直後に放つ言葉としては違和感を覚えずにはいられない自分の言葉に小さく苦笑する。やはり駄目だった。いくら歩いても光など無かった。分かっているのに、夢なんだからせめて。いつもそうだ。理解しているフリをして、不確かなものに縋りつき、目が覚めればまた何も無かったと絶望する。どうしたって暗闇の中にあるはずの光を探してしまう。期待しては絶望し、また期待しては絶望する・・・。何回同じことを繰り返せばこの暗闇から抜け出せるのだろう。

 暗闇を歩き続けるあの夢のように、目覚めてからも不確かな道を歩き続けていた。自分が手にしたいと願ったものは、いつも手に入らない。本当に手に入れようとしていなかったのか?それを手にするに値する人間では無かったからなのか?いくら自問自答しても結果には辿り着かず、またいつもの夢を見て自己嫌悪し、鬱屈した日々をなんとなく過ごしていく。光溢れる未来も希望に満ちた将来も見出せぬまま、静かに、しかし着実に人間の終わりへと向かっていく。

 

 なんとなく就いた会社は可もなく不可もなかった。時折残業はあるが、定時退社を推奨しているこのご時世、例に漏れずうちの会社もそれに倣っている。働きやすい職場なのだろう、辞職する同期は今の所おらず、たまに見かける辞職者といえば新卒で入社した若者がほとんどであった。先輩として、辞めたいと思っていると相談を受けることも何回かあったが、理由を聞けば皆一様に口を揃え「この会社で働いていても未来が見えない」「やりがいのある仕事がしたい」と言った。そうなんだ、と小さく声を出すことしかできない自分に、相談してきてくれた後輩たちはもう何も言う事はなかった。

 未来が見えないのは自分も同じだ。やりがいのある仕事がどういうものなのかすら知らない。だがもし今働いている会社を離れ、次の職場が見つからなかったら?安定した生活を手放してもいいほどの何かが自分にあるわけではない。そんなリスクを背負えるのか?動き出さなければ何も始まらないということも分かってはいる。それよりも思考を埋め尽くすのは、恐怖。意を決して動いた結果に待ち受けるものが何もなかったら、という恐怖が自分を支配してしまう。それこそ、あの夢のように。

 

 幼い頃から「自分」を出すのが得意な方ではなかったが、それでも今よりかは活発だったと思う。親しい友人もいたし、両親も普通に自分を愛してくれていた。裕福だったというわけではないが、少なくとも衣食住に困る生活はしたことがない。本当に「普通」だった。わがままを言えば怒られたし、いい成績の時は褒めてもらえた。悲しければ泣き、傷付けば怒り、嬉しさに笑みも溢した。そんな自分を好いてくれる稀な人もいた。

 ごく普通の高校に通い、クラスメイトから告白され、付き合った。普通に、相手の話を笑顔で受け止めたし「一緒に行きたいね」と言われた場所にも行った。付き合って1年経った日には普通に、記念日を祝った。2年目も、3年目も関係は良好だった。

 

 そう思っていたのが自分だけだったなんて微塵も気付かなかった。

 

 「別れよう」

いつも通り、当たり前の日常を過ごしていたある日着信があり、そう告げられた。その頃の自分は、もう付き合っていることが当たり前になっていたので急な宣告を理解できるはずもなかった。うまく言葉が出ない、というか声が出せなかった。自分なりに「別れる」という言葉の意味を理解しようと必死だったんだと思う。何も言わない自分に痺れを切らしたのか、次に言葉を発したのは向こうだった。

「優しいし、悪い人じゃなかったよ。でも、ちゃんと好きでいてくれてるか分からない。一緒にいても、その先が見えない」

 そこまで思わせてしまっていたこと、口に出させてしまったことが途端に申し訳なくなった自分は、ただ一言「ごめん」としか言えなかった。

「・・・引き止めようともしないんだ」

 少し震えたような声は、その言葉を最後にもう聞こえてくることはなかった。

 

 好きだった。存在が当たり前になるくらいには好きだった。一緒にいて苦だったこともないし、隣で笑ってくれることが嬉しかった。またね、と手を振れば普通に次があると思っていた。いつから、何を違えたんだろう。自分の何がいけなかったのだろう。好きだという気持ちは伝わっていなかったのだろうか。気持ちがあるから3年以上共に過ごしたのだろう。それならばもう、最初から付き合わなければよかった。こんなにも重く受け止めきれない喪失感を覚えるならば、好きにならなければよかった。

 あの日に忘れ物をしたまま、今日まで過ごしてきた。二度とあんな喪失感は味わいたくない。愛する人など作らない。好きだという気持ちが全て伝わらないなら、他の誰かを愛してもまた同じことの繰り返しになるだけ。それならばもう。


 ごめん、やっぱり行けなくなった。

あれから幾月経ったのか。唐突に舞い込んだ高校の同窓会の知らせに最初は出席の返事をしていたが、またあの夢を見たおかげですっかり行く気も失せてしまった。今ならもう吹っ切れているだろうと思い込んでいたが、脳内の奥底にこびりついていたらしい。どれだけ年齢を重ねても自分の本当の気持ちすら分からないんだな、と改めて思う。未練がましすぎやしないか。理解はしていても心は言うことを聞かない。行けなくなったと返事をしたにも関わらず、足は勝手に動き出していた。来ているとも限らない。向こうにはもう恋人が、いや恋人ならまだしも結婚しているかも。頭で無意味な想像ばかりしているのに、体は同窓会の待ち合わせ場所へ向かう。幹事にどう説明しよう、そもそも人数調整は可能なのだろうか、もし無理でも挨拶だけ、顔を出すだけ、待ち合わせ場所にいなかったら帰ろう、来なかったら帰ろう、遅れてくるかもしれないからしばらく待っていてもいいかな、会いたい、あの時言えなかった全てを言いたい、会いたい、弱くてごめん、言葉が足りなくてごめん、会いたい、会いたい。支離滅裂な思考が脳内を飛び交った。


 諦めてなんてやるものか。


 肌寒い夜、月明かりに照らされた二つの影。また、君の隣に並ぶことができた。それだけで涙が出そうになる自分を必死に鼓舞し、この絶好のタイミングを逃すまいと口を開くが声が震える。

「あの時はごめん、ずっと後悔してた」

あの時、あの瞬間言えなかった本当の自分の気持ちを吐き出す。どんなに滑稽でもいい、あの時から止まってしまった時間が動き出すなら。独りよがりな行動かもしれないけど、どうか今だけは。

 雲に隠れていた月が顔を出し、目の前に存在する愛していた人の左手に嵌められた指輪が鈍く反射する。

 澄んだ瞳のその奧で、希望が優しく瞬いた。

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純白の暗闇 夢野けしごむ @yumemal

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