幸せの旅路 番外編
KMT
第1話「それでも生きていく その1」
未玖留はキーを連れて一番近くの砂浜にやって来た。キーは未玖留が拾ったナキウオ。そして、この砂浜は二人が……いや、一人と一匹が初めて出会った場所だ。
「キーちゃん、覚えてる? ここ、私達が初めて会った場所だよ」
「キィィィ」
未玖留の声に答えたつもりなのか、キーは呑気な鳴き声を発する。未玖留はキーを両腕で抱きながら、水平線に沈む夕焼けを眺める。頭の中でキーとの思い出を巡る。
「ほんとにいろんなことがあったよね。私、キーちゃんが家に来てから本当に毎日楽しいんだ」
「キィィィ」
未玖留はキーの頭を優しく撫でる。まるで猫のようにじゃれるキーは、彼女の目にはとてつもなく可愛いらしい。であるからこそ、ナキウオが食用として乱獲されているという悲壮な現実が胸を締め付ける。
「大丈夫だからね。キーちゃんは絶対に死なせない! 私が絶対に守るから!」
「キィィィ」
キーは未玖留に自らの頬を寄せる。自分も未玖留を守ってみせると宣言しているかのように、彼女の決意に満ちた瞳を見つめ返す。
「そうだキーちゃん、今度の休みに海に行こうよ。海好きでしょ? いつまでも狭い水槽の中じゃ退屈だもんね。一緒に泳ごう!」
「キィィィ」
今度は未玖留がキーの鱗に抱きついて頬をすり寄せる。人間と魚が陸で戯れるという何とも異色な光景ではあるが、その様は他人には決して理解し得ない幸せに満ちていた。
「ありがとう、キーちゃん。ずっと、ずーっと一緒だよ」
「キィィィ」
未玖留とキーは約束を重ねた。
その一週間後、キーは生け贄の契りで寿命を迎え、清史達が見守る中で未玖留の腕に抱かれながら命を落とした。
「
「え……?」
慎太郎は封筒に札束を詰め込み、娘の奏の前に差し出した。リビングで宿題をしていた奏は、驚いてシャープペンシルを床に落とした。
「お父さん、どうしたの急に」
「留学行きたいって言ってただろ? 8万程入っている。足しにしなさい」
「そうだけど、でもなんで……」
奏は海外留学に憧れていた。普段の生活とは全く異なった環境下に身を置き、他言語を勉強したいと日々口にしていた。高校で紹介された留学プログラムに飛び付いたが、家計の苦しさ故に手を引かざるを得なかった。
そんな中、父親の慎太郎が大金を手にして現れた。
「父親として娘のやりたいことを後押しするのは当然だ。どうしても叶えたい夢だったんだろう? 父さん、応援してるからな」
慎太郎が手にしている大金は、ガンセツウルフの影で芳堂との裏取引で得たものだ。清史達の進行を妨害するという芳堂の指示で、清史達のチームの地図や問題用紙に細工を仕掛けた。
「お父さん……」
そんな黒い裏事情など奏は知らず、父親の優しさに素直に感動した。留学費用が詰められた封筒に、溢れた涙の染みが広がる。札束は薄くはあるものの、娘への純粋な思いはどこまでも厚かった。
「ありがとう……」
父親に身を寄せる奏。慎太郎も優しく抱き締め返す。不正を行ったことに対して少々罪悪感はあるものの、娘の夢を後押ししてやりたいという一心で働いてしまった。
不正を見抜いたにも関わらず、自分を見逃した清史達に慎太郎は心から感謝した。大量の涙に沈みながら、娘の今後の成長を願った。
「私、頑張る……いっぱい頑張るから……」
「あぁ、頑張れ……奏……」
しかし、この数週間後、突如発生した天変地異によって、ライフ諸島は海の底へと消えた。もはや留学に行く場合ではなくなり、奏の夢は呆気なく絶たれた。
キノエ島のとある古民家で暮らす明典。母である実代が生け贄の契りで亡くなり、一人静かな和室でたたずむ。一人で黙々と実代の私物の後始末を行う。
「……」
部屋が綺麗になるのはいいものの、同時に母親が生きていた証が少しずつ姿を消していくことにもどかしさを感じる。人はいずれ死ぬという定めは、決して抗うことが不可能であると熟知してはいる。
しかし、いざ人間がいなくなってしまった後に訪れる虚無感は耐え難い。
「うぅっ」
瞳の中にいづらくなった悲しみが逃げ出そうとしている。必死に拭って心の底に抑え込む。どれだけ多くの涙を流したところで、母親がいないという現実は変わらない。これからも向き合わなくてはいけないのだ。
「よし!」
気を取り直して後始末を再開する。母親の私物はほとんどがドリームプロダクションのグッズ類ばかりだ。シングルやアルバムなどのCDはもちろん、Tシャツやフェイスタオル、クッションなどが部屋の至るところに保管されている。
「大変だなぁ……」
明典はその一つ一つをスマフォのフリーマーケットアプリで出品することで処理している。量が尋常でないため、単純作業の連続でも心身共に疲労が蓄積される。
自分は音楽にはあまり関心がない。申し訳なさはあるものの、ドリームプロダクションのグッズは手元には置いておかないことにした。
「……あっ」
ふと、実代が使っていた机の上を何となく眺める。そこには一枚の色紙が置かれていた。手に取って見てみると、「加藤律樹」と「池内光」と書かれてあった。二人が実代に演奏を行った後に実代に贈ったものだ。
「ふふっ」
あの時の母親の笑顔が脳裏に過る。とても幸せそうだった。憧れのバンドが目の前で演奏をしてくれて、サインまで書いてくれたのだ。不謹慎な表現ではあるが、それこそ天国に登る気分だっただろう。
色紙の下部には、涙でできた染みが跡となって残っていた。明典は指でなぞるように触れる。
「母さん……」
実代が亡くなった後でも、こうして彼女の思いは形としてこの世に刻まれている。決して無になることはない。そう思い知らされた。
「今頃、天国で聞いてるんだろうなぁ。ドリプロの曲を。僕が行くまで、たくさん楽しんでね」
明典は色紙を机の上に置き、作業を再開する。色紙は出品せず、大事に保管しておくことにした。これは母親が生きた証なのだ。誰かのものにせず、ずっと自分の手元に置いておきたくなった。
明典は先程までとは違う晴れ晴れとした気持ちで、後始末に臨んだ。
その翌日、キノエ島も海の底へと沈み、大事な色紙も海の藻屑と消えた。
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