第6話 北海道の片隅で行われた、よく分からない修行の様
で、無事母さんの推薦で斎藤のじいちゃんに弟子入りしたわたしだった。
じいちゃんは80ウン歳だそうだった。すでに50代の息子さんに家業を渡し、悠々自適の隠居だ。そんなじいちゃんは自分を武術家とは言わない。ただ一言、趣味である、とだけ言った。
なんでも大陸帰りだとかで、地元の武術を身につけ、さらには自分なりに改良を加えたという。名前は無い。仮称、斎藤術。まんまであった。
そしてその術理は、『捌いて殴る』それだけだ。
だけど、それ為すことがどれだけ難しいことか、どれだけを的確に捌きながら、適切に打撃に転じるか。じいちゃんはその手法、技術をわたしに伝授してくれることを約束してくれた。でもそれは、ちょっとまだ先になるとも、正直に言ってくれた。その前に身体造りだと。正直に小学3年に言うことだろうか。
最初は、基本的な運動能力と体幹だった。
まだ小学3年生に対して求めることではなかったのかもしれない。だけど、わたしは苦にならなかった。
それが、わたしの最高の素質だと、その時は気づいていなかった。
楽しかったから。基本的な身体を作るために、じいちゃん家の牧草地を駆け巡ることも、突き立てられた丸太の上で、片足立ちしてバランスを取り続けることも。
わたしの素質、その楽しそうな姿にじいちゃんはちょっと調子に乗ってしまったらしい。気が付いたときには、斎藤牧場の一角には、高難易度なフィールドアスレチック施設が出来上がっていた。
ぴょんぴょんと丸太の上を跳ねるように走りまくり、ロープを捕まえながら坂を斜めに駆け上ったり。ギリギリ跳躍可能な距離に置かれたタイヤを駆け抜けたり。
一応、落ちたら危なそうな場所にはたっぷりの牧草やら、泥やらが敷かれていて、わたしはいっつも泥まみれ、草まみれで家に帰った。母さんと父さんは、苦笑いしながらホースで水をぶっかけてくれた。
◇◇◇
1年もしないうちに、アスレチック仲間が増えていた。
例のボコボコにしてやった男子連中が親に連れられてやってきた。どうもわたしが『特訓』をしていると伝え聞いたらしい。
「負けないからな!!」
そんなことを言いながら、最初は渋々と、そのうちめちゃくちゃ楽しそうに彼らは修行に参加するようになった。小学4年の男子連中。『特訓』が大好きなのは当たり前だ。お年頃だから。
いつしか彼らは、突き立てられた丸太の上でキャッチボールをはじめるに至った。
後の帯広農業畜産高校、甲子園出場メンバーの中核たる者たちだった。これはまた別の話だけど。
そうして4年。わたしは中学1年になっていた。
おっちゃん(小学5年)がねーちゃん(小学3年)に引きずられるように特訓に参加するようになり、その頃やっとこ、わたしはじいちゃんから技術を教えてもらうことになった。
丸太の上で超人野球みたいなことをやっている男子連中をしり目に、わたしはじいちゃんから、技を、理を、そして心を伝授されていった。
じいちゃんの持つ、中国拳法と空手と合気道をごちゃまぜにしたようで、それでいて根底は似通っている術理。相手の呼吸、目線、かすかな挙動、あるいは心理を解くほぐし、躱し、捌きながら懐に飛び込む。そして、そこからどれだけ効率的な打撃もしくは関節技でもって、相手の行動を阻害するか。
それが、仮称斎藤術の基本だ。
あらゆる手段で飛び込み、取りえる技術で相手を倒す。
「もう教えることはないのぅ」
高校受験を目の前にしたわたしに、斎藤のじいちゃんはそう言った。まだまだ教えることはあるのだろうけど、そう言った。言ってみたかっただけらしい。そんなじいちゃんは、格好良かった。
わたしは、またひとつ格好良さを教えてもらい、じいちゃんの弟子を卒業した。斎藤術師範、芳蕗文香。帯広農業畜産高校畜産科1年であった。
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