非可換環間ドライヴラヴ
紗水あうら
Première ―― エイダ・ラブレスの偏愛と妄執
Proposition 1. 「恋愛感情」は感情ではない。
「恋愛感情」と言う言葉には、少々語弊が有るように思う。「愛」の概念は「恋」に比べれば普遍的であり、時として見返りを求めない盲目的な感情の発露であったり、営利に形作られない恒久的な感情の結果である。
「恋」は「愛」に比べれば
だがその前段として、僕らは「感情」という言葉を、あまりに無造作に使い過ぎてはいないだろうか。そういった疑問もまた生ずるはずである。例えば「感情的になる」という一連の表現が論理的思考力の欠如を指している点について、疑問を生じたことのある人間は少なくないだろう。
では「感情」とは何なのか、と言う議論をすることはあまり冷静ではないと思われがちだが、実のところ「感情」と呼ばれる一連の状態変化は受動的なものであって、ある「事象」が「性格」と言うフィルタを通じて解釈された結果である、と結んでしまえばそれほど難しいものではないように思える。もっともこの場合「性格」と言うフィルタに対する明確な定義付けを必要とするのだが、より本質的な議論に発展させるためには、一度この予想的な命題を置いた上で、証明して行く必要がある。無論この命題は、否定的に解決される可能性を当然有している。
多くの場合、「意識空間」は時間と個々人の意識に依って連結された「事象」の抽象的模型である。この図式に従うならば、「事象」は認め得る範囲の
然るに一度、この問題は補題として掲げる必要があるだろう。
Prerequisite 0. 総ての事実は未来事象に対する前提である。
これから僕は、ある一つの「事件」について話さなければならない。それは、先程提示した命題に対する証明の為の補題に纏わる事情であり、これまでの現象に対する前提条件となることだ。
僕は或る私立の高校に今年入学した生徒だが、入試を受けたわけでもなければ入学式に出席したわけでもない。僕は「特別推薦」という形で入学を許可され、生徒証も発行されているしクラスにも所属していることになっているが、僕は一度も授業に出席したこともない。
通常の高校で有れば、選択科目に空きコマでも作らない限りは一日の殆どは授業を受けるものだろう。こうした一般的な課程が、校内では非公式に「普通級」と呼ばれているのに対し、僕らの待遇は「特別級」と呼ばれている。「特別級」の生徒には授業の出席は義務付けられていないどころか、そもそも教室に僕の席は存在しない。単に制度上、「特別級」と「普通級」の間に待遇差があることを公にしたくないと言う、学園側の事情からクラス配属になっているだけだ。
ではその代わり、何を以て僕らの学生としての立場を保持しているのかと言うと、それは自分の興味ある分野を各自研究し、そのレポートを学園――と言うよりは理事会――に定期的に提出することを課せられている。それによって僕らが本来高校生として取得されなければならない単位はいつの間にか認定されていると言うのがこの学校の隠された仕組みだ。
以上、僕の話を聴いてくれると言う貴重な皆さんのために、事前要件として告知するものである。
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