あくまで正式な所属は本隊となっているので、『ナックブンター』の任務がいつも下士官を通してくるわけではない。

 だが、今回の任務は確かに彼から下ろされていた。

 なぜなら、この任務の主管に、彼もいるからだ。


「やあ、今呼ぼうかと思ってたんだ。

 そっちから来てくれてありがたい…… んだけど、なんか変な顔してるね」


 本隊の官舎まで来た俺を見つけ、下士官は手を挙げたがそのまま頭を傾けた。

 九官鳥から指摘されるまで、彼がこの件に関与している意味を考えていなかった。

 下士官は九官鳥が『レトレ』であることを知っている。あるいは、彼ならば九官鳥が『青い蝶々』を見ることも知っているたりはしないか。

 その彼が、今回の任務の主管を担っている、とは。


「少し、話しにくいことを話したいです」


 彼を見上げると、一瞬目を瞠るように驚いた顔をしたが、すぐににっこりと笑った。

 俺の肩をぽんぽんと叩くと、「もちろんだ」と朗らかに頷く。


「最近通路も暑くなってきたし、どっか部屋に入ろう」


 言うや否や、本当に「てきとー」な雰囲気でその辺の部屋の扉を開いた。

 さほど気にはしてなかったが、だんだんと気温は上がっていて、自分としては過ごしやすくなってきたなあと感じていたところだ。

 一室を開けてひらひらと手招きする下士官の方へ向かう。

 小さな会議室のようだ。中央に六人掛けの机と、大きなモニターが設置されている。

 空調のスイッチを入れてから、下士官は真ん中に腰かけた。俺も彼の向かい側の椅子に座る。


「さて、何を話したいのかな。ワクワクするね」

「楽しい話であればいいのですが……」


 数時間前の九官鳥との会話を思い出しながら、どう切り出そうかと束の間考える。

 だが、結局俺は何を講じることも出来ず、そのまま切り出した。


「先日の任務は、『青い蝶々』を見る人間が欲しかったんですか」


 もう確認する必要も無いだろう。

 下士官は─── 本隊は『青い蝶々』を知っている。その性質も、脅威も。

 彼はふむふむと頷いた後、あっさりと答えた。


 我々は、あの叡智の集結ともいえる情報源に接触できる人間を確保しようとしている」


 下士官の言うは、任務主管のことを指しているのか。

 俺は奥歯をぐっと噛み締めていたことに気付く。


「…… あなたは、ロレンソのことを知っているんですよね」


 確保も何も、すでに『青い蝶々』に触れる人間はいる。

 当然のように下士官は笑った。


「知っているとも。だが、彼が素直に協力してくれるとも思わないし、使に、彼を使うことはできない。

 彼には兵器開発主任という大事な役職があるからね」


『青い蝶々』が身体・精神両面に重い負担を掛けること以外の意味が含まれていたな。

 九官鳥のこれまでの実績が、彼を助けた。

 そしておそらくは、なにより、


「なにより、彼のバディが許さないだろう」


 俺が思うことを、下士官がそのまま口にする。

 そう、アルパカが。

 あの『死神』とまで呼ばれる白い彼が、相棒の危険を許すはずがない。


「だから、ほかに『青い蝶々』を見ている人間を鹵獲してきた、と。

 そして本隊内で、更に『青い蝶々』を見る人間の開発を続けるつもりですか」

「その言いっぷりだと、君は反対かな?」


 机の上、組んだ手に顎を預けながら、下士官は微笑んだ。

 反対も何も───



『レトレ』でさえ、『青い蝶々』を見るものは限られていた。

 あの九官鳥でさえ、見つめ続けると身体に負荷を掛ける深く膨大な情報源。

 そんなものに対して、一体どんな人間をあてがえばいいというのだ。この本隊全員を試してみても、おそらくは適合者などいない。


「…… 失敗だと分かっているものに、リソースを費やすのは無駄と思うタイプかい?

 やってみなければ分からない、という青臭い言葉もある。

 未知への挑戦は、人の数少ない褒めるべき精神だ」


 およそそんなセリフをまともに吐くとは思えない人間が、爽やかにほほ笑む。

 俺はそのとき、ハッキリと感じていた。


「挑戦すべき対象によります。

 『青い蝶々』に触れるべきじゃない」

「この間の、なんだかおっかなそうな『オブジェクト』も、結局君たちが破壊してしまったし。

 重要な部分を、触らせてはくれないね」

「あれは……」


 微笑んではいるが、ひやりとした視線を下士官は投げた。

『禁忌』の『オブジェクト』のことを言っているのだ。しかしあれは破棄することが任務の目的でもあった。そこは彼も了承しているはずだ。

 これはただ拗ねているだけの反応だ。

 そうは理解していたが、目の前の男の不満も分からないわけではない。優秀で、頭の切れる人材であることを周囲も自分自身もよく分かっている、この男のことだ。

 目の前に、何度も人知を超えた知識が置かれては。


 だからこそ、俺はじわじわと背中から滲むように感じているのだ。

 机に身を乗り出し、俺は彼に告げた。


「─── あなたが心配です。関わらなくてもいいものに手を出そうとしている」


 知識は開かれている。に対して、常に。

 だが、知識には責任があり、それはときに代償でもあるのではないか。

 そうして手を伸ばすのは、いつだって人間の方からだ。


 下士官は薄い笑みのまま俺を見つめた。じっと、俺の不安を眺めるかのようだ。

 やがてその視線を切るように、一度ゆっくりと目を閉じた。

 再び開かれた双眸には、いつもの軽薄さが浮かんでいる。


「君の心配は理解した。ありがとう、嬉しいよ。

 だがこのプロジェクトは私だけの責任で動いているものではないし、外れたいと言って外れられるものでもないのは、当然分かっているよね」

「…… 承知してます」


 その上で、警告をしたかったのだ。

 せめて出来る限りの範囲で、関わらないでもらいたかった気持ちがある。

 苦々しく頷く俺を見て、下士官は組んでいた両手を解きパンとうち鳴らした。


「であれば話が早い」

「話が早い」


 軽快な音とともに、何か空気が変わった。何を切り出すつもりだ。

 彼はハキハキと話を続ける。


「実は、この間『ナックブンター』隊が鹵獲した男が、依然として落ち着かなくてね。

 鎮静剤を投与してしまうとそれはそれで話ができなくなるし、かと言って当然そのままでも話はできない」

「でしょうね」


 俺は先日の様子を思い出して頷く。

 喚くだけ喚かれて、あげく「化け物」と言われたのはこの俺である。


「そう。それでどうしたものかと思ってね。

 どうやら報告によると、あの【マウス】が唯一コンタクトを取ったのが君だった、という話だ」

「おい誤報だ誤報」


 【マウス】のあの完全な拒絶を唯一のコンタクトと認識したならば、どんな全肯定マンがその場に居合わせたのだ。

 思わず素でツッコミを入れてしまったが、下士官は特に気にせず「まあそれでね」と少しは気にして欲しいくらいに話を進めていく。


「一度、君を【マウス】に接触させて、どんな反応になるのかを様子を見てみよう、という話になったよ」

「なったんですか」

「なっちゃった」


 なっちゃった☆ではない。

 どうしてそうなった、とそのまま言うわけにもいかず、次の言葉を詰まらせていた俺に、下士官はようやく落ち着いた声音を返した。


「拒絶的な言葉だったとしても、【マウス】はと聞いている。

 正味なところ、【マウス】の反応をこちらに向けることさえ、今手詰まりなんだ。

 どんな反応でもいい。今の状況を変えるが欲しい」


 先ほどとは違い、真っ直ぐと俺を見据えてくる。

 だが、仮にその状況を突破した先には、危惧している『青い蝶々』の情報に繋がってしまう…… と、俺が返そうとしたのを察したように、彼は不意にいたずらめいて笑った。


「それに、私が心配なら、余計なことに手を出さないよう、見張っていた方がいいんじゃないかな」


 グッと言葉が詰まった。その通りだ。

 先ほど彼自身も言ったように、プロジェクト自体を止めることは難しい。下士官を引き剥がすことも難しい。

 そうであれば、そこに乗っかって彼を見守るのが現実的だ。お誂え向きの役目もある。


「協力してくれないか」


 軽くもなく、冷たくもなく。至極フラットな声音で、下士官は俺に言うのだ。

 これまで、俺が彼に頼みごとをすることは多々あった。本当に、たくさんのことを頼み、そのすべてをそつなくこなしてきた彼に言われれば。


「断れるはずもないです」

「だよね」


 ふふ、と彼は意地の悪い笑みをするのだ。俺が頷くことを、端から分かっていたとでも言うように。

 九官鳥もそうだが、俺はこの手の男の掌の上で転がされてしまう。

 諦観めいたものを感じていると、下士官は追い打ちをかけた。


「そうそう。

 君のあのバディたちは絶対にいい顔しなそうだから、そこはちゃんと説得してきてね」


 それだ。

 俺は、絶対に自分についてきそうなアルパカと、「掛け合いに行ったらめんどくせえもん持って帰りやがって」とストレートにぶつけてきそうな九官鳥の顔を、容易く思い浮かべることができた。

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