『星群』のゆるふわではない追憶

副隊長チャレンジ

「ニウラシュカ」


 と、不意に呼ばれた時、たっぷり2秒は固まっていただろう。それは脳が停止していたのではなく、逆に現状を倍速処理(当社比)していたが故の停滞だったのだが。

 聞き間違いか、幻聴か、白昼夢か。まさか現実に呼ばれているとは思ってもみなかった音だった。

 たった2秒。されど2秒。

 振り返った先の声の主は、俺と同じくらい驚いていたように見えた。


「間違っては、いないよな」


 を呼んだ副隊長が、困惑気味に尋ねる。

 傭兵隊宿舎の廊下。事務作業を終えて隊長室から自室に戻るところだった。

 オフ期間も本日で最後。明日から単発の作戦に向かうので、参戦に必要な書類の整理や提出を行ってきたのだ。

 副隊長はいつもの軍装ではなく、白のラウンドネックTシャツにカーキのパーカーとジョガーパンツ、足元はスニーカーというかなりラフな出で立ちである。

 手に袋を持っているので、街で買い物をしてきたのかもしれない。そう言えば、今朝、何か買ってくる物は無いかと聞かれたような気もする。

 いや、しかしこうして現状の情報をいくらかき集めても、今、自分が名前を呼ばれるに至る理由が何もない。

 名前。名前を呼ばれたのか、今。


「…… おそらく」

「自分の名前だろうに」


 緩く頷いた俺に、彼は眉を寄せて笑った。

 俺の隣に並ぶと、「部屋に戻るのか」と確認された。


「ああ、お前は戻らないのか」

「談話室へ行こうかと思っていた。明日は作戦だから、軽く景気づけに飲むかと」

「珍しいな」


 どうやら副隊長が持っていた袋の中身は、アルコールと肴のようだ。

 個人的な範囲で、作戦前夜に飲む連中はいる。たまに俺も混じる。だが、副隊長が率先して開催するのはほぼ初めてではないか。

 作戦後ならば、副隊長からもよく声を掛けられるのだが。


「明日の作戦は、そんなに厳しいものだったか」

「そういう意味じゃないんだが」


 はて、と俺が首を傾げると、副隊長は再び困ったような顔をする。

「もしかしてフラグか」と呟くのを見て、思わず笑ってしまった。


「俺の気のせいだ。談話室なら誰かはいるし、すでに始めてる連中もいるだろう」


 そう言って、俺は副隊長の背中を叩いた。

 歩く廊下の先、次の分岐で談話室方面と自室方面に別れる。


「来ないのか」


 俺が自室方面へ向かおうとすると、副隊長が振り返って尋ねる。

 それは俺も考えたのだが、苦手な事務作業の後だからか、今は眠気が強い。


「うん、すまない。今日はこのまま寝ようと思う」

「そうか、分かった。門限までには戻る。

 おやすみ、ニウラシュカ」


 引き留めるでも食い下がるでもなく、副隊長は軽く一つ頷くと、ひらりと手を振って談話室の方へと向かった。

 俺は、未だに門限の設定はあったのかと思えばいいのか、(あまりに当然のごとく自然な流れで違和感もなく)呼ばれた名前に、あ・やっぱりさっきのは聞き言い間違いではなかったのかと思えばいいのか、途方に暮れながら、去って行く厚い背中を見送ったのだった。

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