6
見かけない猫だった。やせ細っており、鼻水が垂れているので病気を持っている可能性がある。
「えさわんのところにたおれてて、ほかのねこがちかづこうとしてたから」
接触しないように抱え込んだらしい。中庭の猫が感染しないように防いでくれたのだ。人へ感染するものがあったかどうか分からないのだが、アルパカには後でちゃんと身体を洗ってもらった方がいいだろう。
ふと九官鳥が猫に手を伸ばそうとしたのを、アルパカは身を捩って避けた。
「だいじょぶ、わかる、こいつはたすからないよ」
「そうか」
彼が触れるのを恐れたのだ。九官鳥の手はそのままアルパカの頭をわしゃくしゃと撫でた。
太陽はそろそろ中天へ差し掛かり、木陰の木漏れ日は影を濃くしていく。聞こえるのは時折り思い出したような鳥のさえずりと、アルパカの腕の猫の狭い呼吸音だけだ。
そのまま黙って二人を見守っていると、アルパカが温い空気に溶かすように「しじを」と呟いた。
「おれに、こいつをころす、しじを」
誰に向けて言っているのかは明確だ。相棒に言っているのである。
やはり九官鳥が司令塔、実行者はアルパカなのだな。その形を見るのと同時、もう一つ分かったことがある。
アルパカは、この『殺戮兵器』と呼ばれている彼は、腕の中の猫が死ぬのを厭うのだ。彼自身、猫が死ぬと分かっているのに、そのときまで腕の中の猫の呼吸音を聞いているのが辛いのだ。
それでも表情が動かないアルパカの横顔に、俺が悲しくなってしまいそうだ。
九官鳥からの回答は端的だった。
「嫌だ」
嫌てお前。「できない」でも、「しない」でもなく、嫌だ、と。
九官鳥を見れば、整った眉を寄せてなんとも不満気である。逆にこちらは、待つのは良くて手を出すのを厭うのだろうか。
内心で首を傾げていると、九官鳥が続けた。
「お前の手は敵を屠るためにある。その猫は敵でもなければ味方でもない。
お前がその猫を殺したいと言うなら、俺が始末するから貸せ」
そうして、片手をアルパカへ差し伸べる。だが、アルパカはゆっくりと相棒のその手を見下ろして、…… 小さく眉を寄せた。
「それは、いやだな」
お前もか。
二人がしゃがんで俺がその後ろから立った状態で見下ろしている状態も相俟って、目の前の二人のやり取りが小さな子どものように見えてくる。
アルパカがにっちもさっちもいかない状態で小さく顰められた眉が治らないのを見て、俺は彼に声を掛けた。
「アルパカ」
え、と白い頭が思ったより早くこちらを振り仰ぐ。…… あ、アルパカって呼んだからだ。呼び直そうかと思ったが、まあいいかとそのまま続けた。
「俺も相棒も、その猫の呼吸が止まるまでここにいる。一緒に待つよ」
勝手に相棒を巻き込んだせいか、九官鳥の頭もこちらを振り向いた。静かなブルーグレーが俺を見上げるが、そうだろ、と込めて見下ろした。
反論は無さそうで、小さく嘲笑するような呼気を吐く。了承されたと思うからなそれ。
アルパカの方をもう一度振り返ると、ハシバミの瞳がゆっくりと瞬いた。
「うん… ありがとう」
そうして、緩く目元を細めたのだ。
ぽかぽかとした陽気だ。三人で並んでしゃがみこむ様子は、傍から見たらどうだったろう。人気のない中庭は今日も人気が無く、通りかかる気配も、その間は無かった。
アルパカはずっと腕の中の猫を柔らかに撫でていた。やがて、ぽつりと小さく告げる。「おわった」
そうか、と誰にともなく俺は頷いて立ち上がると、二人もそれぞれ立ち上がった。ぐっと傍らで九官鳥が身体を伸ばす。
「焼いた方がいいのかな」
「猫を飼ったことは」
質問に質問で返されたが、そこに侮蔑の響きは無かった。
「集落にいた頃と、いまこの中庭の状態がそうであれば。集落では離れた場所に埋めていただけだ」
「なるほど。葬儀とまではいかないが、下町にペットの火葬を請け負っている業者がいる。
ここの猫を看取ることがあれば相談するといい」
何で知ってるんだ… さらっと出てきた情報に驚いてしまったが、純粋な助言であると気づいた。「ありがとう、そうする」
二人はそのまま下町に向かうようだった。猫を包むものが欲しかったのだが、あいにくと中庭からではどちらの自室も遠い。
ふと、九官鳥が俺が持っているスヌードを見やった。いやいや…
「さすがにこれは…」
「この季節では少し暑いか」
そこじゃなくない?
まったく予想外の方向から返ってきた反応に驚いて固まってる俺から、九官鳥はスヌードを取り上げて腕の猫を包んでしまった。
暑いかと慮ったのはスヌードを抱えるアルパカになのか、包まれた死んだ猫なのか。
ぽんぽん、とスヌードを軽く叩くと、彼は相棒へ声を掛けた。
「寒くなったらまた作る。こいつはくれてやれ」
「うん」
死者への弔いを、知らない人間では無いのだ、二人とも。
俺はどこか腑に落ちた心持ちだった。悼むという価値観が同じであると分かったことは、大きな成果では無いだろうか。死を軽んじる人間と、たとえ足とはいえ共に行動するのは抵抗がある。
緩みそうになる口元を気持ち引き締めて二人を見守っていると、アルパカが不意に俺の方へ手を伸ばそうとした。
何か用があったろうかと彼に寄ろうとすると、ぐっと手で胸元を押し戻された。九官鳥だ。
「待て。これに触るのは後にしろ」
と、注意してるのは俺にではない、アルパカにだ。ということは、いま示された「これ」とは俺かこら。
指摘されたアルパカは「あ」と自分を見下ろして、思い出したように頷いた。病気持ちかもしれない猫をずっと抱いていた手であるための注意だったのは分かるのだが。
アルパカもなぜ唐突に触れようとしたのだろう。
「時間を取らせたな」
「またね」
状況に少々置き去りにされている俺へ、二人はさっさと挨拶をして中庭を後にしてしまう。
一度腑に落ちた俺の心持ちは、まったく別の要因でソワソワとしだしてしまった。
このなんとはないズレた感覚はなんだろうか。
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