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俺があの二人を「そこまで厄介な人間では無さそうだ」と思うのには理由があった。
季節は一つ前。寒く、雪の降るころだ。
ホームに設置された食堂から窓の外を眺め、降雪に気付いたのと同時、中庭の猫のことが気になった。人が気にするほど弱い生き物では無いと思いつつも、ぼろになってしまった毛布の一枚くらいは持って行ってやっていいかもしれない。
廃棄予定の段ボールなどはないだろうか。ほとんど食べ終えていたスープを飲み干すと、キッチンの方へ向かってスタッフの人たちに声を掛けた。
無事、腕に抱えるサイズの段ボールを一つと、なぜかビーフジャーキーを頂いた。たしか、使い捨ての傘も部屋にあったはずだ。
自室へ戻ると段ボールの底に適当な大きさに割いたレジャーシートと毛布を広げて敷き、簡易ベッドを作成。傘を腕に提げて、中庭へ向かうと、すでに薄く白化粧が始まっていた。いつも陽だまりに屯している猫の姿は見えないので、各々よきに計らってくれているのだろう。
まだ土の見える木の下へひとまず段ボールを置くと、小さな鳴き声が聞こえた。
振り返ると、小さな仔猫が茂みの方からこちらへ歩いてくる。いつも餌をやっている人間が来たので、茂みから出て来てしまったのかもしれない。
「ごめん、餌は持ってないんだ」
持って来ればよかったな、と思いながら、ぎゅっと握ったら潰してしまいそうな小さな頭を撫でた。それはそれとして、仔猫は膝の上に乗りたいらしい。寒いのは寒い。
ベッドの中に入れようかと思ったが、傘の設置まではジャケットの中に入れておく方が落ち着くかもしれない。ジャケットの前を開いておいでおいでと腕で囲って誘い込む。
暖かい場所には素直に入り込んでくれるもので、にゃーにゃーとなにか言いながらジャケットの中に納まった。
立ち上がるとさすがにジャケットの中を滑り落ちそうな気がしたので、しゃがみ込んだまま段ボールに開いた傘を固定する作業へ移る─── としたところで、グッと顔の先で力が働いた。
「あ、こら」
食堂でもらったジャーキーを銜えていたのだが、その先を仔猫が齧ったのだ。これはいくらなんでも味が濃い。
頭を振って振り切ろうとしたのだが、意外に仔猫の銜える力が強くて同じ方向に小さな頭が振られただけだった。くそ、可愛いなっ
仕方なく一度ジャケットから取り出そうとしたところで、不意に傍らから白い手が伸びた。
「ひとのたべもの、あげちゃだめ」
仔猫の口を難なく開かせ、ついでに俺の口からもジャーキーを取り上げたのは、白い頭をした彼だ。もふもふと白と水色が交差する太めのスヌードを巻いている。
咎める空気はなかったが、不思議な抑制力のある声だった。俺が頷くと彼は小さく目元を細め、取り上げたジャーキーの仔猫が齧っていた方の先を少し千切ってポケットに入れてしまう。
そうして、「はい」と再びジャーキーが差し出されるので受け取ろうとしたのだが、仔猫がもぞもぞとジャケットの中で丸まる位置を探しているようだ。落ちないように両腕で抱えたが、ジャーキーを持たせっぱなしにするのも忍びない。
仕方なく、失礼を承知で差し出されたジャーキーを銜えて受け取った。
「すまない、ありがとう」
彼は少し驚いたように目を瞬かせたが、うん、と怒ることなく頷いてくれた。
それから、俺のことを頭から足先まで視線を一巡させる。かたり、と音が聞こえるような仕草で、彼は頭を傾げた。
「さむくないの」
「…… 寒いかも」
ジャケットの中の猫は落ち着いたようで、ジャケット越しにしゃがみ込んだ膝の上で丸まっている。この子の体温がある分暖かなところではあるが、ほかに防寒具を持ってくるのを忘れている。辛うじてジャケットは着ていたが、せめて彼のようにネックウォーマーをしてくるべきだった。
顔を半分スヌードに埋めている彼は俺の回答に、だよね、と頷いた。そうして、おもむろにスヌードを脱ぎ、俺の頭から被せるように巻き始める。
「待て待て、お前が寒くなるだろう」
「さむいのは、なれてる」
ゆっくりと彼は頷き、そのやんわりとした動作とは裏腹に有無を言わさずにしっかりと巻いていく。顔の半分以上が埋まったところで処理が終わったようだ。
ぎゅっと顔の前を口元まで下ろすと、「おもったいじょうに…」と巻いた本人が驚いている。
一本の毛糸の太さが指二本分くらいありモフッとしているのだ。これは嵩張る。だが、見た目通り巻いてすぐにほっこりと温かくなってきた。
あとデザインがなんだか可愛い。白をメインに差し色として淡い青が編み目にちらりちらりと見える。巻いている本人が白っぽいので、スヌードも馴染んだことだろう。
「本当に寒くないか。しっかり巻いてるようだったが」
「あいぼうにまきつけられた」
この暖かさがなかなかなので、大丈夫だろうかと尋ねたら意外な返答が聞こえた。
彼の相棒と言えば、本隊での渾名がすこぶる悪い双璧の一人でもある。
『狂人』とは、シンプルに酷い。
その狂人が、しっかりと相棒に暖かなスヌードを巻き付けるのである。可愛い話ではないか、にこにこしてしまうな。
白い髪の彼は、そんな俺を見下ろして目を細めた。一瞬、何か気に障ることでも言ってしまっただろうかと思ったが、すぐにその視線は足元の傘と段ボールに落とされた。
「こやをつくっていたの?」
「小屋というか、寒そうだったから暖かいものをと」
「かさをつけるの?」
むずかしそうだね、と言いながら段ボールと傘とを見比べて考え始める。どうやら手伝ってくれるようだ。
寒いのには慣れているとは言ったものの、気温が暖かくなるわけでは無い。手早く作業をしよう、と思い直して、二人で試行錯誤をし始めた。
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