3
ホームの中庭は俺にとって極めて癒し効果の高い休憩場所だった。
ホーム施設の中には(ほとんど本隊兵士たちのための)娯楽施設も充実しており、下町へ出ずとも事足りるようになっている。そのため、何の遊具もなくただ大きな木が一本とおざなりに設けられたベンチとテーブルがあるだけの中庭は、そもそも人が来ない。
ごちゃごちゃと人の密集した場所が苦手である… というわけでもなかったが、人がいないということは、別の生き物が過ごしやすいということでもある。
すでに半分ほど中身の空いたキャットフードを片手に心躍らせながら中庭に向かうと、いつもは見ない白い影があった。
木の根元にしゃがみ込んでいる。その周りには、俺が目的としていた猫たちがうろうろとしている。
「よお」
その影に声を掛けながら歩き寄ると、しゃがんで俯いていた白い頭がゆっくりと俺を見上げた。
染めたわけでもないだろう、これが銀髪というのだろうか。ふわふわと綺麗な白い髪が目深に伸びている。その下には、これもまた不思議な色をした双眸が覗いていた。副隊長に聞くと、ハシバミ色と呼ばれる色らしい。
すらりとした鼻筋と前髪を上げても影が落ちそうなほど長い睫毛だ。顎の無精ひげをどうにかし、パーカーにスウェットパンツではなく、襟付きシャツとスラックスなどにするだけで、かなりの男前になるなのではないかと思われた。
「こんにちわ」
ふっくらとした色の良い唇がゆっくりと動く。少し舌足らずな口調は、彼の雰囲気になんともしっくりと馴染んでいた。
しゃがみこんだ彼の前には餌椀があったのだが、空っぽのようだ。いつも茂みの奥に置いているのだが、彼が引っ張り出してきたのだろうか。
「なんのえさを、あげてるのかわからなくて」
俺の視線から考えを読み取ったのか、彼はのんびりと続けた。それから、俺が持っていた餌を指す。「それやってるんだね」
そう、と頷いて持っていた袋を開けると、彼の周りをうろついていた猫たちが一斉に集まってきた。足元で鳴くのは可愛い方で、根性があると俺の背中の方へと昇ってくるのもいる。
「待て待て、痛い、爪が痛い」
必死に爪を立てて昇ってくるものだから、服越しにめちゃくちゃ突き刺さっている。
すると、傍らの彼が立ち上がって、背中の猫を引き剥がしてくれた。ありがとう、と彼を振り返ろうとして、想像以上に顔を上に向けたことに驚く。
「あ、… りがとう、てか、背ぇ高いな」
「そう?」
頭をそのままにすると、俺の視界には彼の視線を収められない。おそらく頭一つ分くらいの差がありそうだ。
もともと人種的に、俺は背の高い方ではない。育った集落の中でも男性だけであれば低い方から数えた方が早いくらいだ。
それを差し引いても彼は背の高い部類に入りそうに思えた。きょとんとされたけど。
「あんたのとこの、ふくたいちょうのほうが、おおきい」
「氏は別格だ」
彼の素直そうな感想に軽く笑って返すと、ふうん、と頷かれた。たしか、彼と相棒は同じくらいの背丈だった。常に隣にいる人間が自分と同じくらいの背であれば、それが基準になってしまうのかもしれない。
餌椀にざらざらとドライフードを入れると、体格の大きな猫たちが我先にと群がる。ので、もう一つの餌椀にも入れる。一つ目の餌椀からあぶれてしまった猫たちが、そろそろとそちらへ近づいた。
一心不乱にカリカリと餌を食べる猫たちを見ると、いつもなぜか感動してしまう。
少し離れたところで座り込むと、隣に白い彼もやってきて座った。その眼差しが、じっと猫の方へ向けられていたので、思わず口端が挙がってしまう。
「猫、好きなのか」
「うん、かわいい」
同志だった。良い付き合いができそうな気がする。
そう思っていると、ふとこちらを振り返り、手を伸ばした。
「ちょっといい?」
と言われても何がいいのか分からないものを拒む理由が思いつかず頷くと、腕はそのまま背中の方へと伸びた。
べろ、とシャツが捲られる。ああ、さっき猫に爪立てられたから。
「しゅっけつは、なさそうだけど」
ちょっとすりむいてる、とのんびりした声が聞こえた。つ、と少し冷たい指先がかすり傷の傍をなぞったようで、微かに痺れるような痛みが瞬く。
「放っておくよ。ありがとう」
「…… うん」
傷を放置するという言葉に引っかかったのか、彼はどこか不可解そうに小さく頭を傾げた。
表情がほとんど動かないのだ、と気付く。反応が遅いというより、薄いのだ。淡い色合いの雰囲気には似合っていたが、言外のコミュニケーションを取るのに時間が掛りそうだなと感じた。
とはいえ、人の傷を心配するような性格であるのだ。捲ったシャツを丁寧に下ろす彼を見て、やはり噂は宛てにならないと思った。
この白い彼は、『死神』や『殺戮兵器』の二つ名で呼ばれている。
実感としていまだに信じられないが、本隊には二人だけの部隊がある。
そうなるともう片方が司令塔で、片方が実行要員となるしかない。この白い彼は後者の実行要員である。相棒の指示を忠実にこなしていく。
彼らの作戦は、専ら敵方の研究施設の破壊工作と聞いている。彼らが赴いた軍施設はすべて例外なく殲滅されているという話だ。
二人以外には、何一つとして、そこに動くものはいない。
その評価として白い彼には『死神』と、そしておそらくは無感動な様子から『殺戮兵器』と呼ばれているのだろう。
餌を食べ終えた猫を膝に乗せ、ぽかぽかと木漏れ日に晒されている様子を見ると、いったいどこからそんな渾名が湧いて来たのかと思ってしまう。
彼のこういう一面を知らない人間が呼んでいるんだろうなあと思ってしまうのだ。
とはいえ、自分だって彼らのことを知っているわけではない。
「相棒も、猫好きなのか」
「きらいじゃない、とおもう、けど」
白い彼ほど好きではない、ということだろうか。別に今、この場にいないのはそこまで好きじゃないということではなく、相棒が多忙であるからだろうけど。
そうか、と頷きかけたところで、彼の話しが続いた。
「かってた、ことがある、ていどには」
すきだとおもう。と。
なかなか話のテンポもゆっくりなのだ、と思った。作戦報告などを聞くときはこのテンポでは難しいものがあるが、日常で話す分は問題なさそうだ。むしろ、のんびりとした気分になれそうである。
「定住していたことがあるのか。一緒に飼ってたってことだよな」
「うん、ずっとまえに」
細部は曖昧であるが、この情報は軍のデータベースには載っていなかった。彼らはここまで、多くの研究施設、軍関連施設を渡り歩いてきている。
ずっと前というのは、経歴にすら載らないほど前のことなのだろう。子どもの頃だろうか。
「相棒とは長い付き合いなんだな」
尋ねるでもなしに返すと、彼はゆっくりと頷いた。案外、素直に教えてくれるものである。彼の性格だろうか。
『死神』などと物騒な呼ばれ方をしているので、このくらい気軽に話しかける人間も早々いないとは思うが、質問したら何でも答えてくれそうな空気にちょっと危ういものを感じてしまう。
大丈夫だろうかと勝手な心配をしながら彼を見上げていると、何かに気付いたように、俺を振り向いた。そうしておもむろに手を伸ばしかけ、止まる。
お、どうしたとその挙動を見守っていると、思い直すように手を引っ込めて、今度はごろんと芝生に寝転がる。膝の上にいた猫がバランスの変わった寝床にのそりと背中を伸ばす。そしてのそのそと彼の胸の方へと移動し、同じように丸まって寝た。
かっ─── わい。
相手の視線が下がってしまったので、俺も同じように寝転がった。すると、いつの間にかやってきた猫が当然とばかりに胸の上にのぼり、ふすっと鼻息を一つして寝転がる。腹のあたりをポンポンとしてるのは、上の猫の尻尾なのだろう。
小さな頭を撫でると、やがてゴロゴロと喉を鳴らす振動が胸を伝ってくる。
木の葉に柔らかく日差しを遮られた下で、なんとも穏やかで柔らかな時間だ。
ふと頭を傾けると、こちらを見ていたハシバミとかち合った。そうして気付く。ああ、視線を合わせてくれようとしてたのか。
優しい子なのだ。
思わず口元が緩んだ。そういえば、まだ挨拶をしていなかったな。
「今日から、お前と相棒を預かる『ナックブンター』の隊長だ。
この間… ちょっと前になるけど、スヌードと手伝いと、ありがとうな」
「うん…? …… ああ、うん。いいよべつに。
これからよろしくね、たいちょ」
そう言うと、彼は緩く目を細めた。のそっと手を伸ばし、指を落とすように俺の髪を梳く。
猫を撫でているみたいだな、と思った。
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