第69話 バールストン・ギャンビット 上
「
「俺から言えるのはそれまで生きていろということだけだ」
ラトはクリフのぐったりとした
普段のクリフなら
だが呼びかけには反応があり、意識もしっかりとしている。
ドラバイト卿はクリフの
そして、その
「生きているぞ。脈が戻っている。いったいこれはどういうことなんだ、ラト!」
「どういうことも何もありません。クリフ君は生きている。目の前にいる。それが事実です。それ以上でも以下でもありません」
「しかし、
毒にかぎらず、薬というものは使い方をまちがえると効果が
そうした性質を逆に利用して、定期的に少量ずつ毒を
しかしドラバイト卿は
「いいや、ちがう! 我々は当然のことながら、そういう可能性は最初から
それは誰かに
声に出すことが彼の思考方法なのだろう。
「先に
「なぜだ、どうしてきみが謝ることがある?」
そのとき、法廷の出入口に立つ者がいた。
そこにはアルタモント卿が立っていた。
「私にもぜひ
彼はおだやかな
タウンハウスに出現した
その盗人はテーブルの向こうでひっくり返っており、
「私も知りたいのだ。ラト、君がどうやってクリフ君を
アルタモント卿にはまるでラトとクリフの姿しか見えていないようすだった。
だが、その
ドラバイト卿のまなざしは
「その前に説明が必要なのではないか? アルタモント卿。我々がこの探偵裁判に
「……何か
「言い
ドラバイト卿はテーブルの後ろで
「ああ、そういえばそうだった。すっかり
アルタモント卿はようやく気がついた、というふうにテーブルの後ろに歩いていく。そして、先ほどラトの金の鳥が直撃したであろうあたりをステッキの先で軽く
「
「うっ」
うめき声をあげ、影が飛び起きる。
飛び起きた
その姿は先ほどまでの
白く抜けるような
顔立ちは
「
「無事なワケがない。スゴク
「いいわけないだろう。君は私に
「はぁ、まあ……それはそうだけど……。もう、いいよ何でも……」
「立って
ノーヴェはアルタモント卿のことをまるで
ノーヴェが
アルタモント卿は、深いため息を吐いた。
「ふてくされている本人に代わって
その言葉の響きは軽快かつ
「かいとう……ってなんだ?」と、クリフが
「僕も知らない」と、ラトが答えた。
なんなんだ、とドラバイト卿も
医者で探偵騎士で暴力担当のドラバイト卿が言うのだから
さらに、ついでと言わんばかりにアルタモント卿は、とんでもない一言をつけ
「ちなみに、ラトとはきょうだいの関係にある」
その一言だけで、場は
全員が
クリフも死にかけていることを
それをラトに
「お前……い、いたのか……?」
「いや、知らない。僕が知る限り僕はひとりっ子だった」
「いくらなんでも知らなさすぎるだろう」
「そんなこと言われても……まだ赤ん坊の僕をパパ卿のところに連れてったのはアルタモント卿だし。いったいどういうことなんです? アルタモント卿」
クリフは毒のせいでまだ
ラトは
「だれも知らなくて
「なんということだ、アルタモント卿。
混乱した探偵騎士たちが、再び床で
しかし、そこにはノーヴェの姿は無かった。
黒いマントが丸められて置かれているだけだ。
「――おあつまりのみなさま、お
ノーヴェの声がまるで
ノーヴェはさかさまだった。
その足は完全に重力に
探偵騎士たちが
「ボクは
ノーヴェは手にした杖をくるりと
あまりにも
よく目を
ただそれだけのトリックではあるが、重力に
「
ノーヴェは無表情に杖の柄を
彼の杖はひとりでに彼の手を離れ、まるで意志を持つ生物のようにノーヴェの周囲を飛び回った。
そして体のまわりを一周すると、その両手の
ノーヴェの指の間には透明なテグスが張られている。
杖はそのテグスに引っ張られ、浮いているようにみえたのだ。
「……挑戦状はアルタモント卿の名前で送られてきたはずだよ」
「ワタシの名前で送っても、キミたちは王都くんだりまで出向いて来たりしないでしょう? だからボクはアルタモントと手を組むことにしたんです。そういう意味で、彼とは共犯関係にありました」
ラトがアルタモント卿を
「探偵裁判の開催と二人に血のつながりがあることはなんら関係がない。ノーヴェは探偵騎士のひとりとして、探偵裁判を開催する
「その理由とやらを先にお話になってはくださらないのですね」
「まずはお楽しみが先だ。ラト、なぜクリフ君が
アルタモント卿はにこやかである。
クリフは、出会ったときからアルタモント卿がクリフに向けていた笑顔の意味がわかりつつあった。
アルタモント卿のそれは、ジェイネル・ペリドットが
「いいでしょう」とラトは応じた。「まず、前提として、僕はこの探偵裁判においていろいろなものの
「怪盗」とノーヴェが口を出したが、ラトは無視した。
クリフも取り合う気にはなれなかった。
「僕の目標はパパ卿の
心の中が何一つ読み取れなくとも、ラトはクリフとセヴェルギンの間にあった信頼関係に気がついていたのだ。
「こうなったらクリフ君の意志を変えるのは
「まさか、ロー・カンを
ロー・カンが何かを言おうとしたが、それより先に口を
「それは不可能だ。裁判を中止にでもしないかぎり、ロー・カンが敵に
ロー・カンが予定を変更し、自決用のナイフをクリフに持たせたのは、あくまでもその時点ではアルタモント卿がこの裁判の主催者だったからだ。
裁判を
「その通りですよ、ドラバイトおじさま。ですから、僕は勝負に出ることにしました。ロー・カンと、正体不明の泥棒を同時に相手取った
「……なぜだ!?」と相棒に詰め寄るドラバイト卿。
「だから言っただろう、すまないと」と、ロー・カンはしかめ
「ドラバイト卿、ロー・カンは悪くありません。彼はクリフ君を殺すためにそうしたのですから」
「殺すために毒薬を減らすだと!? そんなことはあり得ない!」
「そうですが、しかしあり
ラトは平然として言い、続ける。
「あらためて振り返ってみると、ロー・カンはこの裁判でかなりの
「みごとだ、ラト。
ラトは真正面にアルタモント卿を
「実に簡単な一手です。僕はロー・カンが正確にはかり続けていた時計の針をずらしたのですよ。ドラバイトおじさま、クリフ君が二杯目の毒を飲んだ直後のことです。クリフ君が
「もちろんだ。患者の身に起きたことはすべて記憶している」
「じゃあ、三杯目の後に
探偵騎士たちが言葉を失う。
そこでは言葉は思考という光よりも
その衝撃からいちはやく抜け出したのは影の貴族であった。
アルタモント卿がにやりとして言った。
「ロー・カンは
「その通りです。被告人が証言台の
探偵裁判の最中、ラト・クリスタルは
クリフは毒の影響で
ロー・カンはもはや何も言葉にはしなかったが、それは
それは彼がこれまで対面した誰よりも
「では、あの大量の出血は何だったのだ? 毒の効果ではないとしたなら……」
クリフもラトも、血を流すためにわざと傷をつけたようすはなかった。
法廷には武器は持って入れなかったはずだ。
「あれは全部ほんものの血ではなく、ただの
「血糊?」
「はい。舞台演出に使われるものです。それを使って、クリフ君が大量出血したように見せかけたのです」
「だが、裁判がはじまるまえ、お前たちの持ち物を検査したときは、どちらもそんなものは持っていなかったはずだ」
「その通りです。僕は血糊なんか持っていませんでした。持っていたら、取り上げられていたでしょう。でも、いつでも体のどこかに血糊を仕込んでいる探偵騎士がひとりだけいるじゃありませんか」
それが誰なのかクリフにも
ほんの
探偵騎士たちは、それぞれに同一の人物を思い浮かべている。
「嘘つきジェイネルだね」と、アルタモント卿がおかしそうに言う。「確かに、彼ならば血糊を持っているだろう」
パパ卿のお得意の推理術のひとつは、彼が死んだふりをして、犯人を
タイミングよく死ぬためには、常に血糊を持ち歩いていなければならない。
しかしパパ卿から血糊をもらうという単純な手段は、この場合、とてつもない
「ペリドット卿は館のどこか別の部屋にいるはずではないのかな、ラト」
パパ卿が
そのときに誰にも知られぬよう血糊を受け渡すタイミングはなかったし、その後の行動も監視されており、パパ卿と接触する時間も機会もなかったはずだった。
「人が悪いですね。
ラトの言葉が理解できないのは、どうやらクリフだけのようだった。
ドラバイト卿もしばらく
答えに
彼はおもむろに立ち上がり壁へと近づいていく。
そして
そこは、裁判の一番最初にパパ卿の姿が映し出された壁だった。
ドラバイト卿は突然、石壁の表面を
普通なら拳のほうが
だが、そうはならなかった。
石壁の表面が音を立てて
ドラバイト卿ははっとした表情を浮かべる。
「これは……絵が
そう言って自分のステッキの
石壁はやすやすと深く刃を飲み込んでいく。
そのまま真下へと
その切れ目をめくると、明かりのない暗闇の空間に、まるで
「その通りです、おじさま。目の
「
「二杯目の裁判がはじまった頃でしょうか。探偵裁判に関する僕の
ラトはノーヴェに視線をやる。
ノーヴェはテーブルの上にステッキを立て、その上にあぐらをかいてラトの推理を聞いていた。それも何かしらのトリックなのだろう。
しかしノーヴェは無表情で、何ひとつ答えない。
「もしも
ラトはクリフの服の前ボタンを外し、脇の下からゴム製のボールを取り出した。
「これが脈を止めたトリックです。
クリフ自身は、血糊を
しかしボールには気が付いており、それが何に使うものなのかも理解していた。
そこでドラバイト卿とロー・カンが死亡確認に来たときに、脇を締めて脈を止めたのだ。それは
「タイミングの打ち合わせはできませんでした。僕とパパ卿は闇の中でも指の動きでサインを送り合うことができるけど、クリフ君とはできません。声を出せば、レガリアがそれを
「あとは生き返ってみせるだけ……か」
「そうです。そして、法廷を去るときに花瓶の破片をクリフ君に渡したのです」
「破片はどこから?」とノーヴェが
「キッチンのゴミ箱の中。君はタウンハウスを
ふん、とノーヴェは
「知ってのとおり、死んだ人間に注意を
事件はおそろしいまでに静かに
犯人が明らかになり、隠されていた証拠によりクリフの無実は証明された。
しかし――……。
その結果としてクリフが守ろうとしていたものはすべて失われてしまった。
セヴェルギン・アキシナイトとその部下たちが、王国の民を守るために針魔獣に立ち向かったという物語は
悲劇の
息子を救えなかった
クリフはそのことが何よりも
自分が死ぬことよりも、恥ずかしく
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