ハンスはどこへ行った?

第22話 パパ卿からの手紙



 ルベライト夫妻のちょっとした事件を解決した後、名探偵ラト・クリスタルは長くて憂鬱ゆううつな時間を退屈たいくつともごすこととなった。


 冒険者たちはいつにもして活発かっぱつに活動していたが、そこにあるのは迷宮街アレキサンドーラにとって日常のかえしであり、ラト・クリスタルがこのむようななぞ秘密ひみつは特にもたらされることがなかったのである。

 平穏へいおんな日々が続けば続くほど、ラトの生活態度せいかつたいどれていった。

 何度かまた禁止薬物に手をつけようとしたし、どういうわけか楽器を買ってきて昼夜ちゅうやの別なく大きな音で演奏するようになった。

 それも、ねらいすましたかのように太鼓たいこかねといった打楽器を選び、ズミカルにたたき鳴らすものだからたちが悪い。

 たまりかねて楽器演奏がっきえんそうきんじると、今度はクリフの仕事先について来て、ほかの冒険者とトラブルを起こすからたまらない。

 おかげでクリフの就職活動は、より一層困難なものとなった。

 さらには流石さすがのカーネリアン夫人も手をいたようで、クリフにしばらく仕事を休んでラトの面倒を見てくれないかと打診だしんしてきた。

 しかもその間の生活費は夫人が出すというおまけつきである。

 ただ同然どうぜんやしきに住ませてもらっているというのに、これ以上の厚意こういを受けるのは心苦しい。が、背に腹はかえられない。

 クリフは夫人の言葉に甘えることにした。受ける依頼の数をらし、ラトを監視しながらひまつぶしに付き合うことにしたのだ。

 クリフは積極的にラトを街へと連れ出した。

 ラトの好奇心こうきしんたす事件や謎が無いのなら、ほかのもので退屈を紛らわすほかない。酒や、音楽や、劇場げきじょう。そしてちょっとしたごとなど、法にれない範囲はんいためせるものはなんでもした。そして、挑戦のその度にクリフは落胆らくたんを味わい、カーネリアン邸は騒音そうおんなやまされることとなった。

 今や、ラトは自分の部屋に、パイプのついた金属製のふえを吹き鳴らすだけで大小様々な太鼓が連動して音を鳴らす機械を組み上げてしまい、開演を待つばかりであった。なんとしても、悪魔の機械に生命の息吹いぶきき込ませるわけにはいかない。

 カーネリアン邸の安寧あんねいと今後の安眠あんみんを賭け、市民劇場で『シモーヌ夫人の生活』を鑑賞かんしょうしたあと、ラトとクリフはカーネリアン邸に戻った。

 外は冷たい雨が降りしきっており、だからというわけではないだろうが、ラトは劇場を出た直後から思いめた表情でブツブツつぶやいていた。


「劇はどうだった? 大衆演劇というのもなかなか悪くはないだろう?」


 クリフが気遣って声をかけると、ラトは悩ましげな顔を上げた。


「君にこんなことをくのは心苦しいが、なぜシモーヌ夫人が元恋人アンドレアへの未練みれんを断ち切り、新しい婚約者であるクリストとの関係を深めようとした矢先、死んだはずのアンドレアが蘇生そせいしたんだい? アンドレアはシモーヌ夫人を救うために爆弾を体に巻いて爆発四散ばくはつしさんしたんだろう? しかも医者が死体を確かめた上、葬儀そうぎまで行われて、荒野こうやのど真ん中の地中深くにひつぎめられていたじゃないか」

「それは――」

「いや、僕に言わせてくれ。犯人はシモーヌ。……と見せかけて、クリストをしたう侍女、ステファニーだ。そうだろう? 君は原作の小説を読んでいるらしいね。僕の推理があっているかどうか意見を聞かせてほしい」


 クリフは黙りこんだ。

 残念ながらアンドレアが死から復活した理由は、来週公開予定の続編でもとくに語られることはない。しかも原作小説によるとアンドレアは作品の人気を牽引けんいんする登場人物で、この後も何度も死にかけては大した理由もなく復活する。それどころか十五巻あたりではアンドレアと一緒に滝底に落ちた悪役も記憶喪失になってよみがえってシモーヌ夫人と恋愛関係におちいるのだった。

 そういう、高貴な夫人の恋愛沙汰れんあいざたを描くだけの話なのだ。

 犯人はいないし、推理などする余地よちすらない。


「来週は拳闘けんとうに行ってみないか、ラト」


 クリフがそう言ったのは、もちろん、ラトの気をらそうとしてのことだ。


「どうして? 劇場に行って、推理の答え合わせをするんじゃないの?」


 このままラトを劇場に連れて行ったら、推理の答え合わせどころか、地獄の楽団がくだんのリサイタル初日になってしまうだろう。

 いったい、この不始末ふしまつをカーネリアン夫人にどう説明すればいいのだろうか。

 深く激しい頭痛をかかえたクリフの前に、口ひげを生やした銀髪の老紳士が現れた。

 彼はカーネリアン夫人に仕える執事しつじ、モーリスである。

 モーリスは手早くラトとクリフの雨よけ用の外套がいとうを回収し、清潔せいけつなタオルを手渡しながら、さりげなくクリフに耳打ちしてきた。


首尾しゅびはいかがで?」


 もう三日は眠れていないだろう神経質な執事の眼差まなざしは鋭いものがあった。


「残念ながら、かんばしくありません」

「お力になれるかわかりませんが、お手紙が届いております」

「俺に?」

「いいえ、ラト様へのお手紙です」


 執事は手紙をうやうやしく、紫のビロードがかれたトレイの上にせて差し出した。

 幸運の手紙であってくれ、とクリフは願った。

 その願いは確かに女神に聞き届けられたようだ。金色の封蝋ふうろうを指でなぞったラトは、瞬時しゅんじに表情を輝かせた。


「わあ、見てごらんよクリフくん! パパきょうが僕に手紙をくれたよ!」


 ラトはうれしそうに飛びね、クリフは眉間みけんに深いしわきざんだ。


「…………パパ? なんなんだそりゃ」

「僕のパパであり貴族の爵位を持つ。だからパパ卿だ」

「お前の父親なのか? 本当に本当の意味で? 両親のうちの片方だってわけか?」

「この僕が木のまたから生まれたとでも言いたいのかな」


 そのほうが安心できるとクリフは思った。

 ラトも人の子なのだと思うと、それだけで悪い夢を見そうだ。


「確か、親父さんも探偵たんていなんだったな」

「そのとおり。僕のパパはえある王室顧問探偵おうしつこもんたんていのひとりなのさ。王国でもっとも名誉めいよある職業だよ」


 クリフは声をひそめ、執事に「聞いたことあるか?」と声をかける。

 カーネリアン邸に長くつかえる男は、黙ったまま肩をすくめてみせた。

 けれどもパパ卿の手紙はラトの退屈にいちじるしい効果をもたらした。

 陰鬱いんうつな表情で自室にこもり、違法な薬物をやりながら太鼓を叩いていた狂人はもうどこにもいない。

 正直いって、父親からの手紙なんてクリフにとっては反吐へどが出るような代物しろもので、間違いなく開けずに燃やしてしまうだろうが、ラトにとって父親とは良いものなのだろう。レターナイフを使い丁寧ていねいに封を開き、手紙の内容に目を通すラトは、八歳の子供が祝祭日しゅくさいじつおくものを開けているときの表情をしていた。

 クリフと執事は久しぶりにあたたかな気持ちでその様子を見守っていた。

 地獄のリサイタルの開演日は遠のいたようだ。

 ありがとう、パパ卿。


「ふむふむ……なるほどね……」


 真剣しんけんに手紙を読んでいたラトが、不意に顔を上げた。


「参ったな、クリフくん。パパはどうやら自分の仕事が立て込んでいて、手がかないから、僕に手伝いを頼んでいるみたいだ。ここに依頼人を寄越よこすってさ!」

「依頼人? 依頼人ってなんだ、何のことなんだ、いったい」


 クリフは動揺どうようを隠せない。先ほどまで事態は好転したものとばかり思っていたのに、いきなり雲行きがあやしくなってきた。


「つまり、何らかの――……人には大っぴらに言えないようなごとや、不可解な謎や、時には国家を揺るがすような難事件や大事件を抱えた誰かが、この名探偵ラト・クリスタルの助けを必要として、今まさに自らの足でこのカーネリアン邸をたずねてくるということだ」


 そのとき玄関扉を激しく叩く音がした。

 予期よきせぬ夜間の来客である。不吉だ。

 クリフは全力で関わりあいたくないと感じた。


「おや、早速さっそくの来訪かな。どんな謎や事件が待ち構えてるのかと思うとワクワクするよ。どうだい、クリフくん、君も興味があるはずだ。ぜひとも手伝ってくれたまえ」

「いや、ない。俺には全く興味なんかない」

「どうして? パパ卿たっての頼み事なんだよ?」


 さも「協力するのが当然」みたいな顔をしているのがクリフには理解不能だ。

 しかしクリフの隣で事情を聞いていた執事は、クリフの肩を叩き、こう言った。


「パパ卿たっての頼みごとなのですよ、クリフ殿」


 灰色がかった青い瞳には、うむを言わさぬ力強さがある。

 その言葉の裏側には、別の言葉がかくれてる。


 カーネリアン家の客分きゃくぶんとして、グレナ夫人の役に立ちなさい――。


 つまりはそういうことだ。

 なんてことをしてくれたんだ、パパ卿。

 恥を知れ。


 クリフは心の中で、まだ見ぬパパ卿をののしった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る