第16話 ワルツを一曲
その後の話をしよう。
名探偵ラト・クリスタルの
職員たちが見守っているなか、何も知らないひとりの冒険者が厨房のある区画へと入り込んでいく……。彼、ないしは彼女は、もはや誰も調理などしない
そして暖炉の下に
その下に、果てしのない
その暗がりはガルドルフの野望と同じだけ深く続いている。
大商人ガルドルフはいつの日か、第三層のさらに下にも自らの
冒険者は所持した記憶鉱石をロープで
彼は
そして全く疑いようもなく、この人物はこの瞬間、冒険者ではなく密売人の
この冒険者は
密売人たちは次々に
その
そこに書かれていた事実はラトの頭の中とそっくり同じで、取り立てて何か付け加える必要はなかったのだ。
けれど、クリフのほうはそういうわけにはいかない。
「事件について、俺はまだどうにも理解できないことがあるんだが……」
切り出すと、ラトは眠たげに瞳を
「心配せずとも、この件について、君が
「たとえそうだとしても、だ。どうも
シネーラ嬢が
クリフにかけられていたシネーラ嬢殺害容疑はまるで最初から無かったかのように
それでもこの件はクリフに少なくない影響を与えた。
ほかならない事件の当事者だという意識もある。それで、仕事終わりにいちど、クリフはラトと腰を
ラトとクリフは両人とも、実はこのとき、カーネリアン邸に
女神レガリアを見つけ出した例の事件のことを夫人が大いに感謝して、
「うん。それで、君は僕に何が
「そうだな。まず、どうして、シネーラ嬢が殺されて、ミイラになって見つかった事件の犯人がシネーラ嬢の妹だってわかったのかってところだ」
「ほかには何かあるかい」
「それから、このガルドルフ邸の三階に空いた穴ってのは、なんなんだ? これもシネーラ嬢の事件に関わってるのか?」
「よろしい。それくらいなら、外出までの短い時間で説明できるだろう」
「なんだ、出かけるのか」
「ちょっとね」
ラトは顎の下で両手を組み合わせ、遠い記憶に思いを
「まずは、ガルドルフ邸の第三階層に空いた《穴》について話そうか。そのほうが理解しやすいから」
「順番はどっちでもいい。俺にも理解できるんだったらな」
「ごく単純な話だよ。その《穴》は、記事に書いてある通りのものだ。そして、それを見つけたのはシネーラ嬢だろうと
「ああ、それはそうだな」
たとえレガリアを持って深部に潜り帰還するだけだといっても、道中には危険な魔物や
一般的に言って、迷宮は深部であればあるほど、魔物の力が強くなる。
仲間なしで、たったひとりでも迷宮の最深部近くまで
そこで、シネーラは危険をおかさずに盗品のレガリアを《
具体的な方法はごく簡単なものである。ロープを使って自分の記憶鉱石を穴からガルドルフ邸の奥深くへと下ろしていく、それだけだ。
こうすれば実際に自分自身が迷宮の深層に潜っていなかったとしても、記憶鉱石には深部に
あとは不自然にならない
いわば、《近道》だった。
「この近道は、シネーラ嬢がたまたま発見した秘密のルートだろうと思う。だって、誰かに知られてしまったら、ほかに真似をする奴が出てきて商売にならなくなる。それに自分の身も
シネーラに盗品を
「そういう意味では、仲買人が犯人だと思うのが自然じゃないか?」
クリフは心の底から不思議そうに訊ねた。
しかし、実際に、シネーラ嬢に手を下したのは仲買人ではなかった。
ただひとりの親族であったシネーラ嬢の妹だ。
衛兵たちの取り調べによると、妹はシネーラ嬢が盗品のレガリアを手にして迷宮に潜っていたことを知っていた。そして、そのレガリアを
「彼女は姉の遺体を運び、誰にも見つからないところに
「それで、遺体を暖炉の穴の中に捨てたっていうのか。実の姉になんて
「いや、おそらくは事故の可能性が高いだろうと思う。背後から襲われたシネーラ嬢はまだしばらく生きていて、助かりたいがために逃げ
ラトはそのあたりの事情がはっきりしないのに
「次からは、迷宮内部でミイラを見つけたら蘇生する前に僕を呼んでくれ。保存状態のいい遺体は、生きてる人間よりも
このあたりの事情は、後々の衛兵隊による後の取り調べによって、かなり真実に近い
「動機としては、まあ、
「だが、レガリアを奪っても、しろうとに盗品を売り
クリフが言うことももっともだ。シネーラ嬢は殴られた後も生きていて、助かるためにその場から逃げ出したのだ。だとすれば、ブランクはいつの間にシネーラ嬢のポケットに入っていたというのだろうか。
「レガリアはあらかじめ、すり替えられていたんだ。最初からブランクだったんだよ」
「なんだって、それじゃ、仲買人が?」
「そう。仲買人が渡した盗品が、すでにブランクだった。シネーラ嬢はその時点で裏切られていたんだ。そして、妹のほうが売り払ったのは盗品のレガリアじゃない。《ルート》だよ。盗品を簡単に新品に変えることができる魔法の通路。そのありかを売ったんだ。その点は
クリフの
それは、我知らず
妹は姉を殺し、ルートの情報を売った。
仲買人は妹に教わったルートを使って、その後も盗品のレガリアを
クリフは一連の事件の流れを理解し、そして
これまで彼は冒険者の世界は実力主義の世界だと信じていたからだ。
けれども、実際には、こうした犯罪や不正が入り込む
「仲買人も、妹のほうも、どちらもシネーラ嬢の死に一枚
「そうなるね。シネーラ嬢も、ブランクだと言われた瞬間に裏切り者に気がついたことだろう」
「じゃあ、ますます不思議になってくる。ラト、お前はどうしてあのとき、仲買人ではなく妹の家に行ったんだ?」
シネーラ嬢が復讐するとしたら、その相手はどちらでも良いことになる。直接手を下した妹でも、仲買人でも、どちらも
「それはね、確かに僕も迷った。まあでも、一般的に言って、女性は同性の相手を
「最大のヒント?」
「君だよ、クリフくん」
ラトはどこか
「シネーラ嬢は君を犯人として
クリフが犯人だと言われたとき、その場にいたのはギルド職員と蘇生術師、そのほかには女魔術師であるエルウィンだけだった。
「そうか、男だったからか……。ただそれだけで、こんな目に
「
ラトはそう言って、夫人から借りている自室に戻って行った。
クリフはその場に残って事件のことをあれこれ考えたり、新聞を開いてみては、《
十分ほどして、ラトの部屋の扉が再び開いた。
クリフは顔を上げなかった。
ラトがどこに行こうが、まるで興味はない。
だが、足音は、わざわざクリフが腰かけている一人がけのソファの後ろに回った。
「どこかの
いつものラトよりも、その声は数段低くくぐもっているように思われた。
背後を振り向いて、クリフは顎が外れるくらい驚いた。
そこには
けれども、クリフの眼球がとらえたのは立派な《紳士》の姿だった。
すらりとした長い手足に、高い
それに加えて身にまとっているのは上流階級の人間が着るような上等な
「おまえ、もしかしてラトなのか……!?」
クリフは、目の前の
「おやおや、僕以外に誰がいるっていうんだい」
クリフが身も世もなく驚いてるのを見て、ラトは
「だって、その格好……! 化粧や変装の
「ふふふ、驚いてくれてうれしいよ」
何が起きたのか、魔法か何かと疑うクリフの
「もしかして……」
あれは、ラトが敏腕氏にレガリアの鑑定を依頼したときのことだった。
ラトはすぐに隠してしまったが、ラトが持つ《名探偵》レガリアには二つのスキルがあると鑑定結果が表示されてはいなかったか。
すなわち《
「それ、まさか。レガリアの力か……!」
「そういうこと。まあ、さすがに服までは
「便利だが、
「そうかい? では、僕はちょっと出かけてくるよ。夕食はいらないと夫人に伝えておいてくれたまえ」
クリフは
「そんな格好でどこに行くつもりだ?」
「
ワルツを一曲、というところで、クリフにも、デートの相手が誰なのかがわかった。
「麗しい女性だって……?」
「そうとも。何か問題でもあるかね」
「いや、たとえ問題が無かったとしても、迷惑がられるだけだと思うがね」
「クリフくん、今日は先約があるけれど」
ラトは申し訳なさそうに
「いつか僕は君のエスコートをしてもいいよ」
「いらん。そんなことは言っていないだろ」
「そうだろうか。僕は思うんだ。誰しも、すべてのしがらみや他者からの
それから、クリフが手にしている新聞を手に取ると、くしゃりと丸めてクズ
「君と犯人の最大の
ラトは言って、
それから、メイドと
《迷宮産ミイラの謎 おわり》
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