第47話 最後の約束


 まとわりつく黒い霧はからは、ウロボロスの魔力が色濃く感じられた。

 魔力と一緒に流れ込んでくるのはウロボロスの感情だった。この世のすべてを滅ぼすという破壊衝動と、その奥に隠れるように存在しているのは深い深い悲しみと絶望感だ。


 なんで……悲しいのか?


 魔物にこんな感情があるなんて、知らなかった。

 それでも朱雀を正気に戻すために、僕は魔力感知で気配を探る。周りは闇に包まれていて、僕だけぽつんといるような状況だ。


 魔法陣を出そうと手を見たら、カリンの呪いと同じ模様が浮き出ているのに気がついた。手だけじゃない、腕まで広がっていてこれも魔力感知してみると全身呪いに侵されている。もう顔の半分まで侵食されていた。


「うわぁ、カリンに見られなくてよかった。こんなの見せたら泣いちゃうよなあ」


 両手に魔法陣を構築して、片方は朱雀の宝珠に、もう片方は自分自身に手を添える。丁寧に魔力をスキャンして再び青魔法を使った。


「スキャン完了、 強制魔力復旧リターンマジック


 ウロボロスの魔力をけちらしていくけど、あふれ出る方が多くて黒い霧が消えない。


「くっ、これじゃキリがない!」


 ジリジリと焦る気持ちが駆け上がる。このまま闇に呑まれたら、カリンにもう会えなくなる。そんなの嫌だ。ようやく気持ちを伝えあったのに、やっと僕のお嫁さんになるって言ってくれたのに。


「だけど……どうする? このままじゃ、僕も——」

「なんなのこの黒い霧!? 消えなさいよ! 私のクラウスを返せ——!! ヘルファイア!!」


 その愛しい声と共に青い炎が、ウロボロスの黒い霧を取り払った。

 一瞬だけど光が差し込んで、いつもの強気なアメジストの瞳が現れる。ふわりと微笑めば、泣きそうな顔で僕の胸に飛び込んできた。


「カリン……ヤバいな、めちゃくちゃ嬉しい」

「よかった! クラウスがいなくなったかと思って、必死だったの!」


 なにも見えない状況なのに、僕のためにこの黒い霧の中に飛び込んできたんだ。そっと僕の頬に触れてきた手は震えてる。

 ああ、ウロボロスの呪いを受けたと思ってるんだ。早く安心させないと。


「スキャン完了、 強制魔力復旧リターンマジック!!」


 今度こそ一気に魔力を流し込んで、ウロボロスの魔力をからめとっていく。絶望と悲しみであふれた黒い魔力は、蒸発するように空に消えていった。


 魔法陣が消えて手が触れているのは、朱雀の真紅の宝珠だ。

 僕はそのまま流れ込んでくる記憶を受けとめた。




 気がつくと僕は真っ白な部屋にいた。なにもない、ただの空間だ。

 聞こえてきたのは、野太いのに女性的な話し方をする声だった。


《ちょっと! いくら主人でも来るのが遅いわよ!! ずっと待ってたのよ!?》


 僕の記憶の中と変わらない朱雀が目の前に現れた。魔物とは違う、透明な真紅の瞳は潤んでいて、今にも雫がこぼれ落ちそうだ。口が悪いのに態度がわかりやすくて、拗ねた時のカリンと一緒だった。


「うん、ごめんね。つらかったよな?」


 そういって優しく嘴をなでると、気持ちよさそうに擦り寄ってくる。


《もう、今度は一番最初にきてよね……!》


 カリンみたいでかわいい奴だ。声は野太いけど。


「うん、わかった。それで、セシウスの記憶はすべて戻ったし、聖獣の記憶も見せてもらったけど、他にもあるのか?」

《アタシが伝えるのは、転生したセシウスの記憶よ》

「転生したセシウスの……?」

《ええ、何度生まれ変わっても、彼の……貴方の本質は変わらなかったわ。いつもなにかを研究して努力して、マリンのために強くなっていたの》


 それは大いに心当たりがある。


 初めてカリンに会ってから、ずっとカリンのために生きてきたと言っても過言ではない。あの魂が震えるような感覚、初めて会ったのにずっと会いたかったと感じた。

 多分セシウスの記憶が戻ってなくても、いつか本当の兄ではないと伝えて想いを打ち明けていたと思う。


《二百年に一度ウロボロスの封印が弱まると、こうして記憶を取り戻して封印を強化し続けてきたのよ。いつかウロボロスを倒すために、魔法の研究を続けながら》

「なるほど、たしかに僕らしい。それじゃぁ、今までの成果を受け取ってウロボロスを倒しにいこう」


 そろそろマリンの張った結界も限界だったんだろう。こんな風に結界が壊れそうになるくらい、弱まっていたんだ。


《……今回が最後かもしれないから、言っておくわ。貴方が主人でよかった。何度生まれ変わっても、貴方は変わらなかった。それが私たちはとても嬉しかったの》

「でも何度も聖獣たちを忘れた僕に会うのはつらかったよね、ごめん」

《いいのよ。アタシたちは主人から生み出されたのよ、貴方の気持ちくらいわかってるわ。もうおしゃべりはここまでよ。始めるわ》


 朱雀が翼を広げると、僕の周りを紅蓮の炎が取り囲んだ。でも熱さは感じない。そのゆらめく炎に、いままでの記憶が閉じ込められてるのがわかった。


「朱雀、僕で最後にするから。みんなに約束するよ」


 その言葉が届いたのかはわからない。記憶の炎が僕に押し寄せて、さまざまな魔法や魔法陣が流れ込んできた。


 すべての記憶を受けとめて、僕の意識はいつものように暗転した。



     * * *



「セレナ様!! クイリンが見つかりました!!」

「本当に!? どこにいたの!? ヘクター、案内して!」

「遺跡の近くです。ご案内いたします」


 ずっとずっと探していた聖竜クイリン。前に一度見かけた時に理解したのは、あれは間違いなく私の母だということ。

 クラウス様と一緒に旅に出る前に、マリアーナ様が教えてくれた。代々聖女たちに伝えられる封印の魔法と、繰り返される呪いにも似た聖女の運命を。


 私にはあえて教えてなかったと言われた。現在のクイリンが母だったから。でもクラウス様と旅に出るならと、話してくれたのだ。

 だから母さんは戻ってこられなかった。なんとかクイリンの鱗だけ仲間に渡して、私が受け取れるように手配だけして。


 もう枯れたと思った涙があふれてとめられなかった。さすがにすぐに立ち直れなくて、出発を延期してしまったのは申し訳なかった。


 そして、その母の命は、私が奪うことになる。


 私が新しいクイリンになって封印を施せば、多分しばらく時間を稼げるはずだ。そうしたらきっとクラウス様がなんとかしてくれる。


 クラウス様が誰を見ているかなんて、とっくにわかってた。

 いつも優しい光をたたえて、全身から気持ちがあふれていた。初めてカリンちゃんと一緒にいるのを見て、私では入り込めないとわかった。


 だから親衛隊を作って、その気持ちを敬愛へと変えていったのだ。

 ダメね、その時が近づいてるから感傷的になってしまうわ。大丈夫、私だって聖女だもの。クラウス様に会えたし、大切な仲間もたくさんできた。楽しい思い出もいっぱい作った。だから大丈夫。


 もう、終わりにできる。


「魔道具を使いましょう。チェイスもアリッサも同行させます」

「ええ、お願いするわ」




 魔道具を使って移動すれば、一瞬でウロボロスを封印している遺跡についた。だけどそこにあるはずの遺跡は、崩れ落ちて見る影もない。


「セレナ様、あそこに……」


 護衛長のヘクターに促されて視線を上げれば、空に浮かぶ聖竜クイリンがいた。


「お母さん……」


 いつかと同じように呟いて、覚悟を決める。


 お母さん、ごめんね。なにもできなくて、お父さんも石化させてしまって、ダメな娘でごめんね。

 だけど、お母さんをこの呪いみたいなクイリンから、解放することはできるから。そうしたらお父さんと天国で会えるよね?


「セレナ様、なにを……する気ですか?」


 珍しくヘクターが低い声で咎めるように詰め寄ってきた。


「聖女の役目を果たします。ヘクター、貴方のお陰で今まで頑張れました。チェイスもアリッサも良くしてくれてありがとう」

「え……ちょっとセレナ様、なんでそんなこと言うんですか!?」

「そうですよ、これが最後みたいな……」


 私はセントフォリアにきてから、ずっと寄り添って支えてくれた仲間たちに優しく微笑んだ。


「セレナ様、ダメです。今回ばかりは護衛長として……いや、違う、オレが嫌なんです!」


 ヘクターのこんな熱い瞳を初めて見た。いつも穏やかな優しい青なのに、いまは荒れ狂う海のように激しさを孕んでる。


「そんな……」


 こんな風に私をとめたのは初めてだった。

 戸惑っていると、クイリンの悲痛な叫び声が空気を切り裂く。きクイリンの体から黒い霧がもれ出して辺りに立ち込めていった。


『ギイイイアアアァァァ!!!!』


 クイリンに視線を戻すと、あの美しかった金色の鱗は輝きを失って黒く変色していた。


「お母さんっ!!」


 どうしよう、こんなの聞いてない。

 ウロボロスの封印がいよいよ破れてしまうのか。


 ——もう時間がない。


「ヘクター、ごめんなさい。永遠なる封印エターナル・シール!!」

「セレナ様!!」


 最後に聞いたヘクターの叫び声には、強い焦りがにじんでいた。

 私の体は金色の聖竜クイリンとなって、新たな封印の礎になるはずだった。


 それなのに。


「うそ……封印できない……?」


 封印の魔法が不発の終わり、混乱する。

 どうして!? やり方を間違えた? いいえ、そんなことはない。確かに発動したのだ。その手応えはあった。


「もしかして……クイリンが、ウロボロスの魔力に侵食されてるから?」


 苦し気に暴れ回るクイリンは、全身を黒く染めながらもなにかに抗うように空中を駆けまわっている。


「セレナ様、いったいなにが……?」



 ヘクターの問いに、私は答えられなかった。


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