第96話 氷の中の乙女

 ―― 天摩てんまあきら視点 ――


 頭に大きな角が生えた少年が現れ、成海クンに向けて何かを放とうする。咄嗟とっさに間に入ったのだけど、気づいたら透明な結晶の中に閉じ込められていた。

 

 初めてみる魔法だ。見た感じ、氷だと思うけど……冷たくはないし呼吸もできているのでよく分からない。というのも、ウチの着ているこの鎧には湿度と温度を快適に調節にする空調機能が付いているので氷点下数十度にも耐えられるし、酸素を作り出す機能も搭載されているので、たとえ水に沈んだり氷に完全密閉されたとしても1時間くらいなら問題はない――いや、実はある。

 

(トイレ……どうしよう……)


 元々の予定では綺麗な広間を見て回りつつ、成海クンとここまでの道のりを総括しながらお菓子を食べ、楽しく談笑する予定であった。だというのに、あのが大悪魔を呼び出したせいで予想外の戦闘となってしまい、それが終わったと思ったらこの有様。驚きと緊張の連続でトイレに行きたくなってしまったのも自然の摂理というもの。

 

 前もってこんなことがあると分かっていたら重装備用のオムツをはいてきたというのに……油断した。

 

 どうしたものかと考えていると、新入り執事――名前は久我とかいったか――が目の前で妙な魔法を撃たれ、糸が切れたかのように倒れてしまった。一瞬、死んでしまったのかと驚いたものの、よく見れば微かに呼吸しているので生きてはいるのだろう。睡眠魔法だろうか。

 

 でも勘違いした成海クンは取り乱し、その場の勢いで殴りかかってしまう。逆に壁まで勢いよく殴り飛ばされてしまったようだけど、この角度からでは……よく見えない。あれだけ強い成海クンでも避けきれないとは、あの少年はどれほどの強さなのか。

 

 成海クンは怪我をしたようだけど大丈夫だろうか。様子を見たいので一刻も早くこの氷をなんとかしないと……おおぉお! ……はぁ。ウチの《怪力》でもびくともしないなんて。やっぱり普通の氷ではない。このままでは成海クンが危ないし、乙女としても終わりを迎えてしまう。

 

 氷の中でしばし藻掻いていると、何やら紫色の光を呼び出して成海クンはそこに入って消えてしまった。何かの移動魔法だろうか。

 

「もう少しだけ我慢してね。あきらちゃん」


 ふと気づけば目の前まで来て親しげに話しかけてくる。ウチのことを知っているようだけど全く見覚えがない。親戚の子……じゃないよね。というかその側頭部から生えている大きな巻き角がとても気になってしまう。取り外しは可能なようには見えないけど何だろう。

 

「あのは死なない程度に懲らしめて、二度と近づけさせないようにするから安心してね。ボクは君の……君だけの味方だから」

 

 そう言いながら氷にそっと触れてウインクするボクッ子。セクハラ野郎とは一体誰の事を言っているのだろう。ウチには随分と優しげな視線を送ってくるけど、成海クンに対しては殺気立った目で見ていたのは何故なのか。


 新入り執事が倒れたことについては「暴れたので仕方がなく気絶させただけ」だと身振り手振り説明してくる。その際に即死魔法のように見せかけたドッキリを仕掛けたら真に受けて取り乱してきたので、返り討ちにしてやったとのこと。

 

 どうやらセクハラ野郎というのは成海クンのことを言っているらしい。あんなに優しい人だというのに勘違いにも程があると思う。

 

 その後もいろいろと語りかけてくる。「ボクは強いから外に出たらボディーガードとして雇ってくれ」だの、「学校にいきたいから手続き頼みたい」だの、「彼氏候補としてどう」だの、色々と無茶を言ってくる。そんなこと今はいいから早く氷から出してほしい。さっきから大声でそう言っているのだけど、ウチの声は全く聞こえていない模様。ボクッ子の声はちゃんと聞こえるというのに、この氷はどういった仕組みになっているの。

 

 体を捩じったり変なポーズをしながら興奮して語り掛けてくるボクッ子のすぐ後ろ。紫色の光から出てこようとしている人影が見えた……成海クンだ! だけど何やら様子がおかしい。

 

「ただいま。そして――」


 体全体から暗い赤色の《オーラ》を漂わせ、手には黒い霧をまとった不気味な曲剣を持ち、すでに何かのスキルを撃つ構えを見せている。その手元に目を見張るほどの濃密な魔力と《オーラ》が収束していく。普段は温厚で優しいはずの彼の表情は、憤怒と殺意の色で染められていた。

 

「――死にやがれぇ! 《アガレスブレード》!」

 

 ただならぬ気配に気づいたボクっ子が振り向いた瞬間、視界が光に塗りつぶされ、轟音が響き渡る。これは大悪魔にトドメを刺したものと同種のスキルだろうか。

 

「ちっ、浅かったか」

「ぐぅっ……《フライ》」

「逃がすかよっ!」

 

 ふわりと浮いた後、上方向に落下するように加速度的に上昇して距離を取ろうとするボクッ子。腕を押さえながら飛んでいるけど、よくみれば右腕がない。さっきのスキルで断たれたようだ。

 

 それに対し、成海クンは空中を蹴り上げてジグザグに駆け上がっていく。二人して当然のように空を飛び始めたけど、そんなことができるなんて聞いてないんだけど! 何が起きようとしているの。

 

 追ってくる成海クンを撃ち落とそうと数百発はあろうかという大量の青い魔法弾が同時に召喚され、間を置かずに放たれる。白かった広間が青く眩い光に染め上げられ、コブシ大の大きさの魔法弾がシャワーのように降り注ぐ。

 

 その弾幕の中を弾けるように動いて躱し、あるいは直撃しそうな魔法弾は剣で弾きながら進んでいく成海クン。あっという間にボクッ子の数m手前まで接近すると黒いモヤモヤした曲剣を振りかぶる。

 

「くたばれクソガキィィ!!」

「糞ブタオがぁあああ!」

 

 ボクッ子も即座に左腕を上に掲げ、何もないところから身長を超える長さの巨大な鎌を取り出して振りかぶる。刃が青白く輝いているけど、何のエンチャントが込められているのか不明だ。

 

 上空で赤黒い霧と輝く白い光が残像を残して交差すると、目にも止まらない速度で斬撃戦が繰り広げられる。天井付近、壁際。その直後には石床を衝撃波でめくり上げながら、雄叫びと共に渾身の斬撃を幾重にもぶつけ合う。

 

(な、なんなのー!?)

 

 1分も経たずに壁や床、天井にいたるまで傷だらけだ。あの二人にはこれほど大きな聖堂広間でも窮屈だというのか。


 氷の中にいても響くほどの重い衝撃と金属音。壁や地面に残る爪痕から、あの斬撃の1つ1つにウチの放つスキルと同等以上の威力が込められていると推測できる。その合間に何発もの光が煌めき爆発音も鳴り響いているので、魔法スキルも同時併用して戦っているのだろう。

 

(でも……す、凄い)

 

 上空では魔法弾が入り乱れる中を二人が驚くべき速度で縦横無尽に飛び回り、雄叫びを上げながら斬撃が叩き込まれている。斬撃もただ打ち込まれるのではなく、いくつもフェイントがかけられ、魔法弾がウェポンスキル発動の駆け引きに使われている。今までに見たことがない想像を超えた戦いだ。

 

 ウチの知る限りの冒険者とは、剣士なら剣を、斧使いなら斧を、魔術士は魔法をひたすら磨き、その道の極致を目指す者達ばかりだった。

 

 それは当然だ。近接職と魔法職ではスキルも装備もまるで別物だし、同じ近接職でも短剣使いと両手斧使いとでは立ち位置や戦術が大きく変わってくる。そんな性質の異なる分野に手を出していれば全てが中途半端になるのは明白。野球とサッカーを同時にやっていけるプロがいないのと同じような理屈だ。天摩家随一の実力を持つ執事長・黒崎もやはり1つの武器ばかりを使い続け、達人と呼べる領域に入った。

 

 でも今、上空で行われている戦闘は、近接武器と魔法という全く違う分野が見事に融合している。武器の間合いに誘導するために魔法を使い、あるいは連続攻撃の手段として流れるように魔法が撃ち込まれている。初めて見る戦術だけど、これこそが武の極致といえるかもしれない。

 

(どうやってこんな戦い方を学んだのだろう)

 

 これほどの戦術は、冒険者学校のカリキュラムをこなしているだけで身に付くようなものではない。天性というわけでもないだろう。勘だけであのような駆け引きは行えない。戦術の完成度が高すぎる。きっと膨大な戦闘知識を得た上で、途方もない鍛錬と戦闘経験を積んでいるはずだ。なら一体どこで……


 つい高度な戦闘に見惚れてしまったけど、元はと言えば成海クンの誤解から殺し合いが始まっていることを思い出す。ボクッ子は話を聞いてみても決して悪い子に見えなかったし、ボクッ子の方だって成海クンを大きく誤解している。なんとかこの戦いを止めないといけないけど、この氷のせいで身動きができないし声も届かないのでどうしようもない。

 

(というか、早く……トイレに行かないとウチは……)

 

 そんな孤独な葛藤をしている間にも、戦局は目まぐるしく変わっていく。

 

 切断されていたボクッ子の右腕はいつの間にか元通りになっており、その右手を使って連続で魔法弾を撃ち込みながら、大きな鎌を持った左手で空中に巨大な魔法陣を描くという器用なことをやってのけている。魔法陣が完成に近づくにつれ急速に周囲の魔力密度が高くなっていくのが分かる。大悪魔が使った魔法陣の魔力を遥かに超える規模だ。まさかあんなものをここで放つつもりだろうか。

 

 だけど魔法陣完成前に成海クンの接近が成功し、ボクッ子の頭にある大きな角を掴んで聖堂の壁に叩き付けてしまった。それにより魔法陣は霧散する。

 

「すり潰れろぉぉ!!」

「い゛ぃでっ! い゛でででで!」


 壁に頭を押さえつけたまま成海クンが勢いよく壁を駆けていく。大根おろしのようにすり潰そうとしているようだけどボクッ子の頭は驚くほど頑丈で、逆に壁や石柱の方が粉砕されていく。石頭にも程があるでしょ!

 

 数十mほど壁を破壊しながら進んだところで身をよじり、やっとのことで逃れたボクッ子。頭に付いた砂埃を払いながら怒りをみなぎらせる。

 

「ハァハァ……《エアリアル》に《オーバードライブ》……おまけにそのムカつく立ち回り……どこの糞プレイヤーかと思ったらお前! 『災悪さいあく』じゃないかっ! ダンエクでの狼藉に加えてボクの晶ちゃんにも手を出しやがって! ぶっ殺してやるからなっ!」

 

 もう容赦なんてしないと言うと《オーラ》を開放し、大きなうねりを作り出す。《オーラ》には物理的な効果はないはずなのに周囲の瓦礫は吹き飛ばされ、球状にバチバチとほとばしっている。


 それにしても。あれほどの攻撃を受けたというのにぴんぴんとしているとは、もしかして身体全体がミスリルでできているのだろうか。あとウチに手を出したとは何のことなの。


「ハァ……お前もこっちに来てたとはな……俺も、丁度ぶっ殺したかったところだ」

 

 ふらつきながらゆっくりと曲剣を構える。先ほどの戦いを見た限りでは成海クンのほうが押していたと思っていたけど、息は上がり、まさに疲労困憊といった様子。あの爆発的な立ち回りの代償として相応の体力を持っていかれたのだろうか。それに……なんというか……あれっ!?

 

(や、痩せている!? それも別人のように!)

 

 ふっくらとしていた四肢はスラリとしており、トレードマークというべき見事な太鼓腹はどこにも見当たらない。顔もシャープになって何だか別人のようになっているけど、気だるげな目つきと面影は今もはっきりと残っている。ど、ど、ど……どいうことなのっ!

 

「う……うぅ……」

 

 氷の中で一人驚愕しながら打ち震えていると、すぐ近くで倒れていた新入り執事が目を覚ます。しばし夢うつつの状態だったものの、周囲が荒れて激変していることに気づくと即座にナイフを構えてキョロキョロしだす。

 

 そういえば、聖堂の大部分は瓦礫の山になっているにもかかわらず、ウチと新入り執事がいる周辺だけ無傷なのは、あの激闘の中でもちゃんと避けていてくれたからだろうか。

 

 新入り執事が殺されたと勘違いしていた成海クンは、驚きのあまり目を見開き、口をぽかんと開けている。そんな呆けた表情で――

 

「げふぁっ!」

 

 ――ボクッ子に殴り飛ばされていた。

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