第290話 母

 慌ただしく、文字通りてんやわんやな状況は外も中も同じだった。

 戦の準備のための準備は取り消され、それはなぜか、一体どうするのかとそこかしこから声が飛んでくる。


 そんな中、私とコウ殿下は一直線に進んでいる。

 コウ殿下が足取りに迷いなく進むから。

 話しかけられても「あとで」とあしらう。


 コウ殿下は父、というのか、兄というのか。

 亡くなった兄の体に入った父と戦ったという。

 何も言わないが、その戦いの場へ向かうのだろう。

 今の事態は身内が巻き起こしたもの。

 そして身内二人が亡くなって、なんなら自分が殺したようなもの。


 無言で早足で歩くコウ殿下の心情は計り知れない。



「なんなのだ、この魔法は!」



 突如として怒声が響いた。

 誰に当てるでもない行き場のない怒声は、一際大きく聳え立つ真四角の結界に向けられているようだった。

 それに向かって、さらにスピードを上げて近寄っていく。



「すまない、開けてくれ」

「コウ殿下! ご無事でしたか!」

「お下がりください殿下。得体の知れない魔法です。どうぞ安全な場所へ」

「ヒスイ」



 周囲の人たちの声を無視して、私を呼ぶ。

 何人、何十人もの視線が、コウ殿下が見つめる私に集まる。

 尻込みしそう。

 だが、見覚えのある結界と、身に覚えのある魔力。

 結界に触れながら今にも泣きそうな顔をしているコウ殿下が、後に引かせてくれない。



「頼む」



 何を、なんて聞かなくてもわかった。

 この魔力をどうにかしてくれということ。

 この大衆の中……いや、それはさっきもそうか。

 この中に泣いてしまいそうになるほどの何かがある。

 それをこの場で、と。



「わかりました」



 少し思案したが、断るつもりはなかった。

 人払いはしなくていいのだろうかと思ったが、そんなことはもう今更なのだろう。


 武器を出す。

 周囲がどよめく。

 人によっては武器を構え、魔力を練ろうとする人も。

 コウ殿下の手元だけを見つめて気にしないようにした。

 横に並び、鈴を打ちつける。



「おお!」

「なんということだ……」



 一瞬にして霧散した結界。

 中には仰臥位あおむけで眠る一人の女性。

 驚愕の声は、魔法が消えたからか、女性がいたからか。


 誰よりも早く動き出したコウ殿下。

 女性の上半身を抱き上げる。

 じっと顔を見つめる。

 なんとなく女性に既視感と違和感があって、自然と足が向かった。



「……どう思う?」



 唐突に投げられた疑問。

 果たして何についてか。

 聞き返さず、わかることだけを言ってみる。



「呼吸はしてますが、眠り……とは違うかな。気絶? 外傷はないので一時的なものでしょうか。もしかしたら心因性のもの。そして……」

「そして?」

「……似てますね」

「……母だ」



 おや。

 『親』じゃなくて「おや」。



「事情があって、な」

「そうなんですね」



 ここでは話せないのだろう。

 戦関連を知っている私たちは落ち着いて理解できても、他の方たちはそうではないかもしれない。

 話せない、というだけでわかることもある。


 『コウ殿下のお母さんは、生き還った』。

 そもそも、私はお母さんが亡くなっていたことを知らなかったのだけど。



「運ぶ。道を開けてくれ」



 お母さんを丁重に横抱きにして、有無を言わさない声色で周囲に伝う。

 驚嘆と、得体のしれない畏怖。

 この国の人ならこの人王妃が亡くなっていることは知っているだろう。

 その人がなぜここにいるのか。

 亡くなったはずの人を、なぜそんなに普通に扱えるのか。

 二人に向けられる視線の濃さは、開けられる距離と比例する。


 無言で進むコウ殿下に、ただただついて行く。

 何度目かのこの状況。

 思うことはその都度違うけど。


 一つの部屋についた。

 私は入ったことのない部屋。

 両開きの扉。一つずつに絵画が飾られている。

 遠慮なしに扉が開けられて、少し迷って入った。

 なんだかいい匂いのする、ベージュ基調のお洒落な部屋。

 けれど生活感はない。

 お城という時点で生活感はなさそうなものだけど。


 コウ殿下はベッドにお母さんを寝かせた。



「人間は思い込みで死ねるそうです」



 扉付近からなんとなく動く気がせず、なんとなく思ったことを言ってみる。



「お母さんがいらした場所。天井が何階分も開いていました。上から落ちてきたにしては怪我がないというのが不思議ですが、そこは置いておきます。ただ、落ちてきたとしたら、「死んでしまう」と強く思ったのかもしれません。もしくは落ちるショックで「既に死んでいた」と思い出した可能性も」

「……それだけで?」

「はい。実際に死んでしまう場合もあります。お母さんが亡くなっていないのは、それに至るほど強くは思わなかった。どれだけかはわからないですけど……長い長い眠りに入ってしまったのかもしれません」



 私の世界では『植物状態』という。

 この世界にその言葉があるのかはわからないけど、言うのははばかられた。

 確証はないし、私にはその判断を下せるだけの立場にいないから。



「……陛下が言っていたのだが」

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