第8話 曖昧な現実

「話がそれたな」



 そうだった。

 和やかな空気のまま、ふと何だったかと。

 殿下が学校に通うという話は聞いたが、そこまでだ。

 つまり何も話が進んでいない。



「学校に行くんでしたよね」

「そうだ。あと十日ほど経てば始まる」



 聞く話によると。

 殿下の通う学校は城のすぐ近く、王立・フォリウム学院。

 各地にある基礎学校を卒業した十三~十八歳の男女が通うところで、フローレンタムでは唯一の基本学校。

 年齢的には中高一貫校と言ったところだろう。

 前半三年は科がわかれておらず、武術・魔術・普通科の内容を全般的に学ぶ。

 後半三年から科がわかれる。

 文理選択みたい。


 ちなみに卒業すると就職か、さらに学ぶための応用学校かに別れるらしい。

 寮制をとっているようだが、選択は自由なようで、殿下は。



「護衛を付けずに自由に過ごせる唯一のタイミングなんだ」



 と寮に入っているとのこと。

 となると私の世話も難しくなるだろう。



「ここで提案なのだが」

「提案?」

「一緒に通うか?」




 まさかの提案だった。

 城の中でもこそこそしているのに、いきなり学校に通って大多数の人の中に混ざろうとは……。

 うーん、学校も興味はあるけど……。


 コンコン、コン


 あ。



「アオイだよー」

「今開けます」



 今度こそアオイさんだった。後ろにはロタエさんも一緒にいる。



「こんばんは。調子はどうですか?」

「変わりないです。今殿下もいらしてます」



 ロタエさんは会う度に体調を気遣ってくれる。

 もちろん他の三人も色々と気にして声をかけてくれている。



「あれ? 殿下、お疲れ様です」

「おう。お前たちもお疲れ」

「もしかして学校の話ですか?」

「ああ」



 アオイさんも知ってたのか。



「ヒスイちゃんの返答は?」

「まだです。迷ってます」

「じゃあ食事が来るまでその迷ってることを聞こうか」



 アオイさんが私の隣に、ロタエさんが殿下の隣に座る。

 全員が一息ついたところで、私の話す番となった。



「学校は、正直興味はあります」

「うんうん」

「けど、なんと言いますか……んー、怖い、ですかね」

「ほうほう。怖いんだ。何が怖いのかは、わかる?」



 アオイさんが相づちを打ちながら、話を進めてくれる。

 急かすわけでもなく、優しい口調で、早くない話し方で、落ち着いて話すように言われているような…………感じがする。



「…………人が、ですかね」

「人? よく知らない学生たちってことかな?」

「というよりは、私は皆さんとカミルさん以外の人はあまりよく知らないですし、もっと言えばこの世界のことも知りません。そんな中にいきなり入る勇気は……ちょっと、ないです」

「そっかそっか」



 最近の読書はすごく楽しい。だから学校に通うのはきっと楽しいだろうと確信はある。

 けれど、学校に通うということはそれだけではないはずだ。

 生徒や教師との交流、この世界の常識、おそらくは魔法の使用も。

 戦や騎士団があるから、武器の使用ももしかしたらあるかもしれない。

 殿下とは学年が違うかもしれないし、そうなると一人きりになる可能性が高い。

 さすがに一人は、心細い。



「じゃあ先に色々なことを学んでからにしようか」

「そうですね。……え?」

「ん?」



 学んでから?



「私たちが一時、ヒスイさんの教師となります。学力やその他の知識をお教えします。学校に通うかどうかはその後でもよろしいのでは?」

「そうそう。教えるの上手いんだよ、僕たち。魔法に関しては特にね」



 ロタエさんとアオイさんが交互に言ってくれて、教師をかって出てくれた。

 この二人に教えてもらえるのはすごく嬉しい。

 けど……。



「とても嬉しいですけど、お仕事も忙しいですよね?」

「これも仕事の一環ってことにしてもらうから大丈夫だよ」

「俺の代役だな」



 殿下もこの案に賛成のようだ。

 仕事として割り切ってくれるなら、私も割り切ってお願いできる、かもしれない。



「僕が魔法と国学かな」

「私が魔法と基礎学ですね」

「俺は?」

「え、殿下は寮ですよね?」



 問えば。

 既視感のある、にやりとした笑顔を向けてきて。



「学校にも個室の自習室がある。興味はあるんだろ?」



 つまり学校に来いと。

 学校に来ていいよってことなんですね。

 思わず目を見開いてしまう。



「じゃあ殿下に基礎学をお願いしましょうか。復習も兼ねて」

「おう。数学も文学もなんでも来い」

「では私は魔法と武術にしましょう」

「え。ロタエさん、格闘技とかやってるんですか?」

「魔術師団に限らず、城に仕えている人間は皆、最低限のことはできますよ」



 魔術師って離れたところから魔法を使う人たちだけだと思ってたけど、この国では違うのかな。

 遠いところにいられるとは限らないとかそういうことかな。



「詳しいことは後日決めよう。そろそろ食事が来る時間かな」



 コンコンコン


 あ、来た。



「失礼いたします。お食事をお持ちしました」

「今開けます」



 ソファーから立ち上がって、扉に向かおうとして、立ち止まる。

 振り向いて殿下とアオイさんとロタエさんをまっすぐ見る。



「あの……。ご指導、ご鞭撻、よろしくお願いします」



 と言えば、みんな笑ってくれた。

 私がこの世界にいることは、主観的でも客観的でも、決して恵まれていることではないと思う。

 けれど部屋で話しているとき、この世界で目を覚ました時のことや人間であるかどうかなどは忘れていた。

 ……現実逃避かもしれないけれど。

 それでも、楽しいと感じることを見つけて、楽しみだと思えている自分がいることは確かだった。

 人間かどうかが大切ではないことはないけども、今わかることはほとんどないのだし。

 たとえ「ヒスイは人間ではない」とまた言われたとしても、私はそれを受け入れられないだろう。

 だって、私自身は、自分を『人間』だと思っているのだから。

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