語句・創作相談センターのような相談窓口は作れるのか?
十夜永ソフィア零
第1話 「なろう作者叩き」問題。資本主義の申し子が国民生活センターならば……
「なろう作者叩き」Youtuberが巻き起こしているアレコレについてのツイート(おそらくは「カクヨム作者叩き」もあるのだろう)を見て、少し法学脳を働かせて、表現の自由、プライバシー、名誉等の憲法上の概念と民事刑事の云々を考えてみた。
で、3分で達した結論。「作者叩き」の問題って、以前書いた「いじめ」の問題と同様に司法(≒裁判所)になじみにくい問題だということに。
裁判って、原告・被告に加え、裁判官と司法職員や専門家にも手間もかかるものなんですよね。
ならば、どうあるべきか。少し法学徒時代気分となって考えはじめてみた。
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資本主義が発達した国には、消費者問題が発生する。
い や 、資本主義が発達していない国の方こそ、いろいろと市民生活には問題があるのだが、それは消費者問題とはならない。
資本主義が発達すると、消費者の買い控えは資本にとっての大問題となるので、消費者を騙したりするような商法は、「問題」となる。
資本主義v.s.共産主義の一大バトルが繰り広げられた20世紀に、資本主義陣営の各国は、国民生活センターの類を生み出した。
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日本のセンターは「こくせん」なのね。
http://www.kokusen.go.jp/
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時は移り変わり、21世紀。資本主義ほぼ一択となった世界は、インターネットとスマートフォンの普及を通じ、「フラット化」した。
世界が「フラット化した」点はいくつもあるだろうが、創作との関係では、配信がフラット化している点が大きい。今なお、マスメディアには大きな影響力はあるものの、多くの個人も配信手段を手にしている。
そして、配信手段の「フラット化」、すなわち、誰もが容易に配信手段を得られたことは、フェイク、ネットリンチ(○○叩き)などの新たな問題を生み出している。
○○叩きという問題の根幹には、映像・画像・音楽などの手を借りつつ、自らの恣意的な言葉をバズらせよう(そして結果として何かの対価や自己満足)という意思がある。こうした意思を類型化して法的枠組みに落とし込むことはもちろん原理的には可能なのでしょうが、○○叩きの被害者一人がその悪意を立証することは容易ではないし、費用もかかる。そのため、アマチュアのなろう作者、カクヨム作者たちは○○叩きの格好の標的になりうる。困ったものだ。
ただ、一歩引いて考えると、かつてあった、悪徳A企業に一消費者が騙された、と構図は同じなんだよね。
違うのは、資本主義との関係。21世紀の資本家プラットホームであるIT大手(Youtube ならグーグル)のこうした問題への個別的な対応は鈍い。明らかに人種差別である、といったコンテンツは流石に排除されるようになっているけれども、○○叩きがどこまで許されるかは、微妙な問題である(IT業界的にはフィルタリングするにも工数がかかる)。
では、どうあるべきか。これを機会に少し考えてみようと思った次第。
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