作為のミュートロギア

楳々うら

第1話

どれ程の時をここに居たのだろう。


気付けば真っ白な世界に1人、重たい雲の下静かな雪が顔に落ちてくる。

しかしどうにも異様な感覚であった。

それは雪が冷たいものということを知っているから、今肌に触れている物が体温を奪っていかないことがあまりに不自然であったから。

しかし何故だろう、耳の側に小さな花、青々とした若葉。

少し体を動かすとそれらを感じ、少し顔を右に傾けてみると、自分の肩と黒い長い髪、そして雪原へ不自然に広がる緑、花々。

左も見るに、自分の身体からおおよそ10メートル範囲には春が来ている様だった。

さて、自分が何者なのか、何故ここにいるのか、いつからここに居たのか…全て音と共に雪に吸われてしまったかのよう、そしてそんな事どうでもいいではないかと言う様に香る花、頬を撫でる若草。

それでいて、なんの痛みもなくむしろ穏やかな気持ちで、頭は冴えている。

今の自分の状態が普通ではない事はハッキリ分かるしここから動いて何かしら行動しなければ、ということも分かっている…

でも、まるでここが自分の住みなれた、増してずっと暮らしていた自室のベッドの上の様に心地よく、動くのがとても面倒。


「…ま、いいか…っえ…!」


何となく白い息と共に出した声がやけに高く幼い事に驚く。

自分の今の姿はどうなっているのか…?少なくとも大人の姿ではないが、男なのか女なのかもよく分からない。

自分の気持ちとしてはどっちでもない、いやポジティブな意味でどっちでも良い。

それに幼い声に驚くということは中身は大人…?

考えれば考えるほど自分が頭の中で溶けて分からなくなる。

こうなったらもう考えることをやめるしかない、そう思いまたゆっくりと目を閉じる。


「あと5分…いや1時間くらい寝てから行くかぁ」

……

…………



「ここで間違いないのだな。」


「おう。」



所々緑が咲く、この山の麓に古屋がいくつかある。

人気は少なく山守が2、3人いる程度だ。

その中でも1番小さい倉庫のような小屋から2人の影が現れ、山頂の方を見上げて立ってある。

雪がチラついているのもお構いなしだ。


「おーい!お嬢ちゃん達!本当に行くのかい!この山は何年も雲に覆われて晴れる事はない、呪われた雪山だよ。悪い事は言わないから女の子2人でこんな山に登るのはおやめ。」


手前の古屋の窓から2人を見つけるなり、山守のお爺さんが手を振りながら大きな声で呼びかける。

その声に2人は振り返り、1人が手を振りかえし応える。


「おー!どうしても行かなきゃならないんだ!泊めてくれてありがと!必ず戻るからその時はまた泊めてくれよね!じゃなー!」


そう答え、そのまま振り返らずに山の中へ入っていく2人を見て山守はやれやれと首を振る。

先程この山守が言った通り、この山は数年前から分厚い雪雲に覆われ、山頂付近はここ数年は晴れた事がなく、深い雪に覆われている。

気温も摂氏0度を上回った事がない。

その為人は寄り付かず不気味な様相となっている。

幸い、古屋の辺りまでは緑も多く、人も登ってこれるが、その先は薄暗く木々もすっかり葉を付けなくなり、色もなくまるで命を寄せ付けないようにしているように思える。

立ち入った物の命を許さない、そんな風に思わせる正しく呪われた山であった。

その為山守はきっとあの2人は帰って来れないだろうと考えていた。

折角の美女2人の命が落ちてしまう事がとても残念でならず、はぁ、と肩を落としため息を吐いていると息子が街から帰って来たのか、奥の扉が開いた。


「親父ー!頼まれた酒買ってきた…ってどうしたんだよ?」


「おお、ありがとう。いやぁね、ワシの超タイプの美女2人の儚い命が散ってしまったんじゃ…」


「ふーんまた意味不明な事言ってんのかよ。ほれ、ここに置いておくけど、程々にしてくれな。」


ドサリと紙袋に入る大きな荷物を置いた。

その中に何やら一枚、紙が入っていた。


「うむ…ん?これは?」


それを手に取り読むと、指名手配書のようだった。

大まかな内容はこうだ。

『今回この書状を出したのは、二人の大罪人の情報を得るためである。』と始まり、その二人の名前と罪状が列挙されている。

罪名は窃盗、殺人、暴行に器物破損…他にも多数の犯罪を犯している大罪人達である。

山守は田舎の方に行けばよくあることではないかと思っていたが、その下に赤く書かれた言葉があった。

それに特に興味深い箇所がある。

『この者達は神の作りし国、神国ノヴァムンドゥ宗教国家が罪なき民に卑しい呪いを振りまいていると嘘の吹聴をし、呪いを解くと言って金銭を騙し取る』

こんな詐欺話、誰が信じるのかと山守は思ったがもし自分が言われたら意外と引っかかりそうだなと思い、用心しようと心に決めた。

男達は屈強で力強く残忍、一人は強力で凶悪な魔法使いであるとのこと。


「物騒じゃのぉ〜」


「本当な…ようやくこの辺りも神国のお陰で落ち着いて治安も良くなったってーのにその大国を転覆させようとか馬鹿としか言いようがないよな」


「そもそも2人で何ができるというんじゃ…」


「それがよ…噂ではこの2人めちゃくちゃな強さで神国の神剣士団に匹敵するとか…1人は教会ぶっ飛ばしちまったらしい」


「なんと…ワシちびっちゃいそうじゃ」


「おいおい、勘弁してくれよ親父…」


「ふむ…あの女の子たちも、無事に帰ってこれたとしてもこれでは心配が尽きないの。」


暫くして太陽が空の1番高いところを過ぎた頃、山守の言う2人は険しい坂を僅かに出っ張る岩肌を伝って登っていた。

山頂まではまだあり雪も多いが所々は解けて足の踏み場がある。

ひょいひょいと何ともなさそうに軽々と登る一方で、もう1人はすでに過呼吸になりそうな程に息が切れ、寒さで唇も青紫になっている。


「センカ!大丈夫か?まだたった時間しか経っていないぞ。」


「シンスお前が…はぁ…はぁ…おかしいんであって…はぁ…はぁ…」


センカは呼吸が乱れすぎて言葉になっていない。

そして寒いのかガタガタと震え指先はアカギレして血が滲んでいる。


「…仕方がない。」


シンスがそう言うとヒョイっと少し高い岩に登って遠くを見渡す。


「あと少し先に休めそうな洞窟がある。そこで休むとしよう。」


聞こえているのかいないのか、岩肌に張り付いて動かないセンカ野本へ、シンスは今日に雪を滑りながら寄る。


「大丈夫か?抱えてやろう。」


「エッ」


そういうとセンカの首元の服を引っ張るとまるで空の箱を持ち上げるが如く軽々しく片手で持ち上げ、山羊の様にタッタッと僅かな出っ張りに脚をかけて登って行った。


洞窟に入るとそこは意外にも奥行きがあり、少し奥まで行ってしまうと光が全く入らず、真っ暗闇が広がっている。

熊やコウモリがいないかシンスが大きめの石を思い切り投げて確かめる。

相当奥に届いたのか、岩が砕ける音が遠くで響き渡っている。

動物の声や息、羽ばたきひとつ聞こえない。既にここは命は一つも存在していないようだ。


「入って大丈夫だ。」


シンスがスッと入り口を避けると、センカはガタガタ震えながら待ってましたとばかりに走って中にはいる。

もはや寒さで足の感覚もなくヨロヨロとしていた。


「はぁ、はぁ…すぅぅ……っはーーー!つっかれた〜俺もう歩けねぇよ。」


岩の上に上半身をペタリと付け、座り込むセンカを横目にテキパキと拳大の石を集め、円を作っていくシンス。

中に途中で拾っておいた枯れた木を置く。


「センカ、用意ができた。」


「おお…」


重力を強く感じる体をゆっくりと動かし、腰にかかった袋を弄ると、ルビーの様な色をした手のひらサイズの石を取り出した。

それを円の真ん中の木の上に置き、手をかざす。

すると徐々に光だし、少し熱いくらいの熱が2人の皮膚に触れてくる。


「うぁ〜生き返るわぁ…んー?やっぱり木が湿ってんのか?火がつかねぇな」


「しかし、毎度思うがこの魔石というのは便利だな」


シンスの黄金の瞳に赤い光が揺れる。

魔石とは魔力を込める事でその石の属性を発揮する事ができる。

大抵は魔素が多い地域で自然発生した物が市場に出回り、この程度の物であれば安価で買えるがこの世界には『純魔石』というまさしく魔力そのものと言える魔石が存在し、火属性であれば溶かせない、燃やせない物はないと言われているが、そのの製法は判明しておらず、唯一存在している数個は神国即ちノヴァムンドゥ宗教国家が所有している。

この神国とはこの世界で最も大きく力のある国の一つで、同等の力を持つ国はもう一つアラビアーテという国がある。その国は常に力が拮抗し、互いを牽制しあっていた。


シンスの言葉に対し、魔石の熱に手をかざしながらただ黙るセンカ。

理由はシンスにはほんの少しも魔力がないからだ。

この世界では魔力が全てであり、魔力がなければ生きていくのも難しい。

特に神国は魔力は神から与えられた物であり、それを持たない、若しくは弱い者は卑しい存在と考えているのだ。


「シンス魔石出すたびにそれ言ってるぜ。認知症じゃねぇの?」


「いや…何度も言うが私は85年生きているが元々の寿命が他の人間より遥かに長い。その為成長も遅く若い時期が長い。決して年寄りでは無い。」


「わーかってるっつーの!それも何回も聞いたぜ」

わざとらしく耳をほじくるセンカ。

しかしそう言って茶化すのはシンスの為であった。


漸く無くなった手の感覚が戻ってきた。

ジンジンと指先に血が通うのがよく分かる。

それでも服の中の汗で冷えた身体はよりセンカの体温を奪い、体を縮めて肩を摩る。

そんなセンカを気にもせずシンスはその辺にある岩をあぐらをかいた足の前に何個か重ねる。

そして小指をピンと伸ばして振り下ろす。

ピタッと指が岩に付くと、そこからヒビが入り綺麗に真っ二つに割れた。


「ふむ…やはり小指だと一個が限界だ。」


悩ましそうに眉間に皺を寄せ、顎を摩る。


「いや普通の人は小指の方が折れるわ」


シンスはセンカのことを無視して続けた。


「魔力を失った代わりに人並み以上のパワーやスピードを得た私たちの祖先…しかし本来なら、魔力には『人の力』など到底及ばんのだ。」


シンスの民族は魔力を対価として龍より人間離れした身体能力を得たと言われている。センカは体の動きをぴたりと止め、シンスの方をじっと見つめる。


「…体の方はどうだ?」


「概ね良好。しかし恐らく持って10…いや5年程度だと思う。」


「それはちっと、時間が怪しいな…。『アレ』にはどんだけ近付いたかな…」


センカはぽりぽりと頭をかいて、不自然に大きなサングラスを外す。

すると、


「…うっ!!!」


突如とてつもない吐き気に襲われる。

目の前がグルグルと回り、平衡感覚が掴めずに床に倒れ込む。

センカの目に映るのは大量の魔力。

サングラスをしている事で少し見え辛くしていたが、不意に外してしまった為突然大量の魔力情報が飛び込んできて、脳も目もグルグルと回る。


「センカ!どうした!!」


センカの側に寄り、サングラスをかけ直し、身体に触れる。


「シン…近い…く…る」


「なに?一体……!」


その時シンス中の本能が大音量で警告を鳴らし始める。

物凄い何か、人か、獣か…しかし、この感じは恐らく、2人がこの山へ来た目的そのものであることは分かる。

洞窟の入り口辺りにその影が真っ白な世界にゆらりと映った。

その瞬間、魔石の光が急激に強まり、辺りをかつて無いほど赤く染め、センカとシンスの肌が焼けてしまうほど熱を放出したと思ったら、バギンッと大きな音を立てて破れてしまった。

殆ど一瞬の出来事であったが、サングラスをかけ直し少し目が慣れてきたセンカがその光景、魔石を見ていた。

魔石が大量の魔力を吸って、その量に耐えられなくなり割れてしまったのだ。


「は…最悪…」


そこそこ高い値段をしたこの魔石の純度は高く、魔力過多で割れることなどまずないはず。

いや、そんな事はあり得ないのだ。魔石が割れてしまう程の魔力を持つ者など、存在しない。

しかしまだ目が回って頭がボーッとしていたセンカはそんなあり得ない現象に驚くより、高かったのにな…と悲しさが先行していた。

そんなセンカを守る様に座るシンスは何時間も走っても汗ひとつかかないのに、この時ばかりは冷や汗が背中をつたるのを感じていた。


ヒタリヒタリとその影は近づいて来る。

一歩、その一歩がシンスの心臓を掴む力を強めている様なそんな恐怖を纏っていた。

逆光から抜けたその姿に、シンスはおろか意識が朦朧としていたセンカの目が覚めるほど、呆気なかった。

どこからどう見ても10歳にも満たない少女なのか少年なのかは定かでは無いが、そんなあどけない姿だったのだ。

首にグルグルと黒く長い髪巻きつけ、余ってしまった先の髪を引きずっているので、すぐには顔が見えない。


「あ、あの…」


声をかけたのは相手からだった。

その言葉の続きをシンスとセンカは息を呑んでじっと待つ。このとんでもない化け物は一体何を求めてここまでやってきたのかと。しかしその先の言葉は思いがけないものであった。


「あの…ここどこですか?迷子っぽくて、申し訳ないんですけど助けてくれませんか…?」


「「…は?」」


「え!?言葉が違う!?」


その化け物は焦って口を手で抑える。

シンスとセンカは顔を合わせ、何がどうなっているのかを理解する前にシンスが口を開いた。


「いや、あっているのだが…君は人間か?」


それに対し、化け物は何も答えず2人をジッと見つめる。

その沈黙が、何を伝えようとしているのか、2人はただ固唾を飲んだ。

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