ニナの誕生日 4

「12歳って、僕と変わらないくらいだよね? そんな頃から戦闘員として活躍してたなんて、キアンって本当にすごい人なんだね……!」


 リュカは瞳を輝かせてそう言いながら、魔術で温風を出して自分を乾かしているキアンを振り返った。キアンはチラッとリュカに目を向け、小さく何度かうなずいたけれど、リュカの賞賛に対して何か言葉を返すことはなく、あいまいに笑みを浮かべるのみだった。


「それで、それで!? 続きを聞きたい!」


 リュカがキラキラの笑顔を向けたのは、アシュリンだ。私たちが警戒しているのを知ってか知らずか、彼女は自分がキアンの従妹であること、コルピナ山脈を形成する山々の中で一番大きな双耳峰、ドゥイログ・ロス岳――通称ギザギザ山ふもとにあるココンという町で、キアンと幼少期を共に過ごしたことなんかを、面白いエピソードを交えながらいろいろと話し、空気を和ませてくれていた。

 中等学校に通いながらも、魔術兵団の一つである辺境部隊に戦闘員として入隊して……という、キアンの経歴に一番食いついたのは他でもないリュカで、こうしてテーブルに身を乗り出してアシュリンの話を懸命に聞いていた。


「ギザギザ山はその名前の通り、山のてっぺんがギザギザしててさ。そんでウサギの耳みたいに二つに分かれてるの。その耳と耳の間から、霧と一緒に真っ黒な塊になって魔獣が下りてくるわけよ」

「うん、うん」

「魔獣にもいろいろ種類があるけど、中でも大きなドラゴン型の魔獣は高火力で広範囲の攻撃魔法を空から見境なく撃ってくるんだよね」

「ドラゴン型……!」

「そいつが山を下りきる前に撃墜するのが、辺境部隊なんだ。何艘もの小型飛行艇が白い蒸気をまっすぐ後ろに伸ばして突撃するトコなんて、ホントにカッコいいんだよ」

「へえぇー」


 皇国軍の中で最も高位とされるのは第一魔術兵大隊だけれど、皇国最強と謳われるのは、ココンに駐屯する辺境部隊なのだそうだ。霧に紛れて町へと押し寄せる魔獣の群れを、最前線で食い止める皇国の勇者たち。キアンが入隊してからは、町民だけでなく隊員が命を落とすこともなくなり、バルジーナ皇国における魔獣の被害はキアンの在籍期間はずっとゼロだったらしい。

 リュカはアシュリンの話を聞きながら、見たこともない小型飛行艇とやらに乗って、これまた見たこともないドラゴン型魔獣とやらと戦うキアンを想像しているのか、ぼんやりと空を見つめてニヤニヤと不気味な笑みを浮かべた。


「あ、でも……どうしてその……ヒコウテイ、に魔術兵は乗るの? 地上からでも攻撃はできるし、空中戦になったとしても自分の魔力で飛べるはずなのに」


 その問いかけに、アシュリンは一瞬瞠目してから、いい質問! と嬉しそうに言い、パチンと音を立てて両手のひらを合わせた。


「魔獣は人間と違ってすごく……なんて言ったらいいのかな。とにかく攻撃が通らないのね」

「頑丈なの?」

「うーん、それとはまたちょっと違うんだけど、とりあえず今はそういうことにしとく。で、飛行型のドラゴンなんて、空気抵抗やら重力やらで威力の減衰した攻撃魔術じゃ倒すのに時間がかかっちゃう。町への侵入を防ぐにはできるだけ早く、できるだけ近い距離で攻撃しなくちゃいけなくて、そのためにはドラゴンと同じ高度で戦う必要があるの」

「そっか……。じゃ、自分で飛ばないのは」

「浮遊とか飛行魔術に使う魔力を攻撃魔術に回せたら、コスパがいいと思わない? 空中で思い通りに動くためには飛行艇の操縦技術をある程度習得しなきゃいけないけど、魔力を温存できるのはかなり大きなメリットなんだよ。あと単純に機体で魔獣からの攻撃を防御できたりして」

「さすが、バルジーナ皇国民は兵士でなくともその辺の事情にずいぶん明るいのだね」


 一連の騒ぎですっかり酔いの醒めたらしいアレックスが、口につけていた冷水のグラスを置きながら感心したように言った。額の痣が何とも痛々しく、見ていて可哀想だけれど、呂律が回らない様子もないし、目の焦点もちゃんと合っていて、頭の中身は何ともなかったらしい。


「そりゃあね、イトコが軍人でしたから! それにココンは辺境部隊の駐屯地だもん、そこに住んでればただの庶民もある程度の専門知識は自然とついちゃうんだよ」

「ふうん……?」


 意味ありげに相槌を打ち、アシュリンを見つめるアレックス。あの目の感じは多分、アシュリンの魔力の流れを読み取って、嘘をついていないか探ろうとしているんだろう。

 アシュリンの方は、アレックスから目を背けることなく、全く動じた様子も見せずにニコニコしている。ただ、彼女の瞳はやや挑戦的に細められ、ゆったりと頬杖をつくその動きは余裕を窺わせる雰囲気もあったりして、アレックスが疑いの目を向けていることに気付いていないわけではないように思えた。


「ふむ、一筋縄ではいかない美女とこうして向き合うのはなかなか乙なものだな。おいカルロ、我々の出会いにいま一度乾杯をしようじゃないか! シャンパンをここへ!」

「ふざけんな酔っぱらい。お前も頭から冷水をぶっかけられたいのかよ」


 カルロに一喝され、ぷいとそっぽを向くアレックス。そのまま席を立って勝手に注文をしに行かないところを見ると、これ以上飲めばまた卒倒するかもしれないことは自覚しているらしい。


「……何か面白いことでもあったのかい、ニナ」

「あ、ううん別に何も」


 足を組んで澄ました表情を浮かべ、まあとにかくすごく格好つけているけれど、カルロに怒られて素直に従っている姿や、そもそもそのおでこにできたたんこぶが間抜けすぎていろいろと台無しだと思ったことは、言わない方がいいだろう。私は首を横に振って答えてから、咳ばらいをしてアシュリンの方に視線を向けた。


「アシュリンは、今もココンに住んでいるの?」

「あー……ううん。中等学校を卒業してからずっと、ベイエンで働いてる」

「ベイエンって、皇都で就職したの? すごいね!」

「そんなすごいことでもないよ。役所に提出された書類の確認とか、それを各部署に振り分けしたりとか、そういう面倒な雑務をやってるだけで……」


 謙遜してはいるけれど、皇都ベイエンで仕事をしている人はみんな、皇帝もしくは執政官から任命、認可を受けていると聞いたことがある。たとえ役所の雑用係だとしても、そこで長く仕事ができているということは、皇国から認められた優秀な人物だという証でもあるのだ。


「つか、あたしのことはいいのよ。とにかくね、そんな最強部隊の中で、第一線で活躍できる最年少魔術兵なんて、もう地元のヒーローなわけ。叔父さんも叔母さんも……ああ、キアンのご両親ね、キアンのこと本当に自慢の息子! って鼻高々だったのに」

「皇帝に喧嘩を吹っ掛けたせいで、その栄誉をすべて失った、というわけだね」


 腕を組んで感慨深げに、少し悲し気なトーンで繋げるアレックス。おでこのせいで一挙手一投足がぜんぶ面白くなってしまうのは私だけではないようで、盛大に吹き出したカルロにアレックスが激しく突っかかっていた。

 騒ぐ2人を意に介することなく、アシュリンはため息をついてからキアンの方を振り返った。


「ホント、持論ぶち上げて執政官に目を付けられたのが運の尽き、って感じよねぇ」

「……何が言いたい」

「8年間何の問題もなくずっと活躍してたんだから、そのまま大人しく辺境部隊に骨うずめりゃ良かったのにって言ってんの」


 さっきと変わらない笑顔であるにもかかわらず、その言葉には怒りのような強い感情が乗っている。それまで自然と上がっていた自分の口もとが、温度を下げた空気に比例してわずかに角度を落とした。


「まんまと口車に乗せられて筆頭百人隊長なんていう手に余る役職に就くからこういう残念なことになるのよ。だいたいアンタはさ、」

「俺は口車に乗せられたつもりは毛頭ない」

「それってつまり、自分の意思で辺境部隊を抜けたってこと? だったらなおさらだわ」

「なおさらって、何が」

「今より偉くなって皇国軍をもっと強くするんだって息巻いてるアンタの姿見て、あたし思ったの。こいつバカなんだって」


 バカ、という言葉に反応し、キアンはアシュリンを強く睨みつけた。さっきまでの和やかな雰囲気は今や一触即発な状態になり、私はただ真一文字に口を引き結んだまま、二人を見比べることしかできなかった。

 静かな睨み合いが続いたのち、何か反論しようとしたのだろう、口を開きかけたキアン。このまま口論になるのではないかとハラハラしたけれど、キアンの方がすぐに顔を背け、憮然とした表情で自分の髪を乾かし始めた。


「ホント、気を付けなよ~。あの人いきなりワケ分かんない方向に爆走し始めるから」


 アシュリンは私の方に体を寄せ、コソコソと内緒話をするポーズを取りながらも、本人を含めた全員に聞こえるようにそう言った。


「……まあでも、ニナなら大丈夫かもね」

「えっ……」


 大丈夫って何が、そう問いかけようとした時、リュカが弱々しく、ねえ、と声を上げた。


「アシュリン、キアンは……何か悪いことをしたの?」

「へっ? なになに、どしたの急に」

「キアンが悪いことをしたから、アシュリンが捕まえに来たの?」


 まずい、そう思った。リュカには、キアンは仕事でフランメル王国にやってきたのだと私から説明していた。国外追放された国事犯で条件を満たさなければ死刑になることは知らないはずだし、キアンだけでなくカルロやアレックスにも、その事実はリュカの耳に入れないよう強めにお願いしている。

 アシュリンの方も何となく察していたのか、詳しい事情までは話さないでくれていたけれど、リュカなりに何か不穏なものを嗅ぎ取ったのだろう。さっきまでキアンの輝かしい経歴を聞いて煌めかせていた瞳は、すっかり不安で曇ってしまっていた。


「そうだよ~、キアンはお父さんとお母さん泣かせるような、わるーいヤツなの!」


 彼女はちょっと脅すような、どこかおどけたような声音で言いながら、悪どい笑みをリュカに向け、同時にテーブルの下で私の手に軽く触れた。うまく誤魔化さなくては、そう思ってリュカに声をかけようとした私を止めたのだ。


「悪いヤツって……どんな悪いことしたの?」

「めっちゃカッコいいヒーロー部隊をやめて、お父さんにもお母さんにも顔を見せないまま、国を出ちゃったんだよ。そのせいで両親に寂しい思いさせちゃってるの。みんなに心配かけやがってー! って懲らしめるために、あたしが親族を代表して水をぶっかけに来たんだ」


 そう言って、アシュリンが手のひらの上に雨みたいな雫をいくつも出したのを見て、リュカは強張らせていた頬を緩めた。


「帰ってあげられないのかな」

「使命を果たすまでは帰らないって、偉い人と約束したらしいよ。まあ、何をやるつもりかは知らないけど……とにかく、自分で決めたことをやり通すまでは、ここで頑張るんだって」


 アシュリンはそう言ってから、リュカの頭にポンと手を乗せた。


「リュカは、キアンの弟子なんだよね」

「うん」

「じゃあキアンのこと、支えてあげてね。早く故郷に帰れるように、応援してあげて」

「分かった!」


 リュカが元気よくうなずいたのを見て、アシュリンは頭に置いた手でくしゃくしゃとリュカの髪をかき混ぜると、椅子から腰を上げた。


「そろそろ行くね。ニナの誕生日会、いつまでも邪魔しちゃ悪いし」

「ああ、さっさと帰」

「私はいてくれて構わないよ。こういうのって人数が多い方が楽しいし」


 キアンがほっとしたように声を上げたところを遮って引き留める。さっき握手をしたときは恐怖心すら覚えていたというのに、もう少しアシュリンと話したい、なぜかそんな気持ちになっていた。


「今ナタークからアヤ・クルトが来てるんでしょ? 本場の大道芸ってやつを一度でいいから見たいと思ってたんだよね」


 明日からは見物料を取られるから、無料で公開している今夜の内に楽しみたいんだそうだ。あたし無類のタダ好きだから、と屈託のない笑顔を向けられ、私もつられて思わず笑いをこぼした。


「まあ、しばらくはフランメルに滞在予定だからさ。暇なときがあったらお茶にでも誘ってよ」


 アシュリンはそう言い、自身が宿泊しているという宿屋の名前と部屋番号を教えてくれた。


「仕事の休み、いつ取れるか分からないけど……近い内にもらえるよう、お願いしてみる」

「無理はしないで、あたしの方はいつでも大歓迎だから!」


 また今度、そう言って手を振ると、こちらにウインクとキスを投げてよこしてから、アシュリンは颯爽と部屋を出て行った。


「嵐みてえなヤツだったな」


 大きく一息ついてからカルロが呟き、アレックスもそれに賛同して深くうなずいた。


「動きが全く読めなかった。表に見えている部分とは裏腹に、魔力の方は全くの無表情で……おい、キアン」


 乾かし終えたジレに腕を通しながら、キアンがアレックスの方に振り返った。


「アシュリンは本当に君の従妹なのか?」

「本人がそう言っていただろ」

「私は君の口から改めて聞きたいのだよ。彼女は何も隠している様子はなかったが、それが却って不気味というか」

「正真正銘、本当に俺の従妹だ。俺の母親の兄の娘、歳は俺の4つ下でニナと同い年。これでいいか」

「……嘘ではないみたいだな」

「あいつに不信感を抱くのは勝手にしてくれて構わないから、俺を使ってあいつを探るのはやめろ」


 キアンは不愉快そうに眉を寄せてから、さっきまでアシュリンが座っていた席に腰を落ち着けた。


「ニナ、それから……リュカも。悪いことをしたな」


 一呼吸置いたあと突然謝られ、私とリュカは思わず顔を見合わせた。


「せっかくの食事だったのに、あいつが来て台無しにしてしまった。本当に、申し訳ないことをした」


 頭をさげるキアン。確かに初めはびっくりしたしちょっと怖かったりもしたけれど、彼女のお陰でキアンのことをいろいろと知れたのは良かったと思っていた。もっと話したいと思えるくらいに楽しい時間を過ごせたし、気になるところはあるとは言え、結果的には彼女に会えて良かったと私は感じているわけで、


「キアンが謝ることないよ」


 私が言葉にしようとしたことと一字一句違わず、リュカが目をパチパチと瞬かせてそう言った。


「僕、アシュリンからいろいろ話が聞けて楽しかったから。だから、謝らなくちゃいけない人はここにはいないよ」

「……」


 そこでカルロがアレックスに視線を送ったのは多分、お前は謝れという気持ちがあることをアレックスに示したかったのだろう。何かと迷惑を被っているらしいカルロの苦労がこの瞬間にも窺えたけれど、当の本人は感じ入ったような、悟りきったような表情を浮かべて目を閉じ、深く何度もうなずいている。

 呆れ顔で首を小さく横に振り、短く息を吐き出したカルロに、私は心の中で、いつもお疲れ様、と労った。


「俺の生い立ちなんて聞いて、何が楽しかったんだ」

「辺境部隊って強い魔術士が集まってるんでしょ? 最強の魔術兵団にキアンが入って活躍してたって、僕もうそれ聞いただけでワクワクしたんだから!」


 自分とそう変わらない年齢で入隊したこと、飛行艇を操縦して果敢に魔獣に立ち向かっていたこと、何度も町を危機から救ったこと。まるで自分の名誉であるかのように興奮気味にまくしたてるリュカに、キアンは都度、そうか、や、ああ、というたった一言をそっけなく返していく。その顔はリュカからの賞賛を受けて、満更でもなさそうどころか、むしろうれしく思っているようだった。


「僕、キアンみたいになりたい」


 アシュリンから聞かされたキアンの武勇に、自分がどれだけ感動したのかをひとしきり説明した後、リュカがぽつりと呟いた。


「何言ってるんだ。お前なら俺以上にいい魔術士になれるだろうから、志はもっと高く持った方がいい」

「そうじゃなくてさ。キアンみたいに、悪いやつから大事な人を守りたいんだ」


 リュカの眼差しはいつになく真剣で、出てくる言葉は破綻しておらず、理路整然としている。きっとこれはリュカの決心で、その場の思い付きや、英雄譚を聞いて盛り上がった瞬間的な情熱なんかではないんだと思った。


「キアン。僕、フランメル王国を出る。いつかバルジーナ皇国に行って、魔術兵団に入るんだ」


 だからこの宣言も、遠くない未来で現実になるんだと、そう確信した。






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