ニナの誕生日 3
「このジャガイモのガレットは何なんだ。いったいどんな魔法を使ったらこんなにおいしいものが出来上がるんだ」
ナプキンで口元を拭ったあと、アレックスが感慨深げに言いながら椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰いだ。
細かく刻んだ玉ねぎとベーコンの入ったこのガレットは、チキンフリカッセと並んで人気のメニューだ。先日ブランモワ邸にこの3人が食事に来た時、誰かがジャガイモの料理をリクエストしていたから、きっとその人には刺さるだろうとは思っていたけれど。
「もう、毎日毎食これでいい。他は何もいらない」
「お前正気かよ。体悪くすんぞ」
「一生このクオリティのガレットを食べられるなら、早死にしたって構わないさ!」
「気持ちは分かる。だが俺なら、健康に生きて長くこのガレットを食べ続けられる方を選ぶかな」
そう言い放つキアンも、ガレットがお気に召したらしい。初めに取り分けられた分はあっという間に平らげてしまったようで、テーブルの真ん中に鎮座していた大皿からおかわりの一切れを自分の皿に載せようとしていた。
「それもそうか……って、おい! その大きめのヤツは私が狙っていたんだぞ!」
「残念だったな、早い者勝ちだ」
「貴様という男は……!」
アレックスは唸り声をあげて立ち上がり、その勢いで椅子がガタンと大きな音を立てて後ろへ倒れた。
私はその音にびっくりして思わず肩を上げ、すぐにリュカの方へ目を向けた。リュカが怖がっていないか思ったのだ。リュカは、我関せずといった様子でナッツのアイスクリームを口へと運んでいて、この騒がしい空間で平静を保っている姿が何となくこの場にはそぐわない気がした。
「私がジャガイモをどれだけ愛してやまないか、知らないとは言わせんぞ! ここは譲れよ!」
「俺だってジャガイモは好きだ」
「私ほどじゃないだろう!」
何度もこぶしを振りかざしながらジャガイモ愛をまくしたてるアレックスと、たかだかちょっと大きめのガレット一切れを取られまいと応戦するキアン。両者ともに頬は紅潮し、瞳も焦点が合っていないというか、ややうつろだ。
「ねえ、カルロ。もしかしてあの2人、酔ってる?」
私の質問に、炭酸水の入ったグラスを空けたカルロが苦笑いでうなずいた。
「フランメルの酒はどれも強いけど、口当たりが良くて飲みやすいからな。スイスイいけるからつい調子に乗っちまって、毎回ああいうことになるんだ」
フランメル王国には酒豪が多い。成人の18歳より前、15歳からアルコールが解禁され、お酒を飲むことに慣れているせいもあるのだろうけれど、酒に強いか弱いかは魔力の量で決まる、というのが一般的に知られている説だ。バルジーナ皇国もエジンファレス王国も魔力の高い人が多く、フランメル王国はその逆で魔力が少ない人が多くの割合を占めている。
夕食の時に紅茶を飲むのはエジンファレス、コーヒーを飲むのはバルジーナ、と学生時代に先生から教わった時は、ワインやシャンパン以外のものを食卓に並べる光景が想像できなくてあまり信じていなかったけれど、たったグラス2杯ほどの赤ワインでこれほど酔った姿を見て、あの教えは別に両国を揶揄したり特徴を大げさにしたものではなく、単なる事実だったんだと今になって納得した。
「おい、お前らいい加減にしろよ。いい大人が食いモンで言い合いするとか、見苦しすぎるだろ」
2人のあまりに子供っぽいやりとりに、見かねたカルロが口をはさんだ。
「黙っていろカルロ。これはこの場だけのことではない、今夜こそ積もり積もった恨みをコイツに思い知らせてやるのだよ」
「恨みだと? 俺はお前に恨まれるようなことは何もしていない」
あざ笑うかのように口の端を上げるキアン。いすの背もたれにどっかりと体重を預け、足を組み替えながら挑発的な態度を見せている。苛立ったアレックスが、さっきまで振り上げていたこぶしをそのままテーブルにたたきつけた。
「貴様はいつも、私が恋うた女性を横取りしていくじゃないか! それだけの所業を私が黙って許したとでも!?」
突然、衝撃的な通達を受けてぎょっとしたのは、私やカルロだけでなかったようだ。
「は!? アレックス、一体何のことを」
「フン、とぼけるか。まあそうだろう、耳に痛いだけではない、そんな黒歴史があることなど知られたくないだろうからね!」
「とぼけてるんじゃない、本当に身に覚えがないんだって」
今まで余裕ぶってアレックスを見上げていたキアンが、アレックス同様立ち上がり、慌てた様子でそう言った。その表情を見る限り、身に覚えがないというのは本当のことだと思う。魔力のわずかな揺らぎで人の心を見透かすアレックスなら、キアンの言い訳が真実かどうかなんてすぐに分かるだろうし、キアンの方も、アレックスに読まれると分かった上でそんな稚拙な口上を垂れるような無駄なことをするとは思えない。
まあ何にしてもそれは、2人がシラフの状態なら、という前提あってのことだけれど。
「思い出せないなら、一人ひとりの名前を言ってやろうか? いや待て挙げればキリがないから止しておく。とにかくだ、私はあの日、あの時から貴様にいつか復讐してやると心に誓っていたのだよ!」
「やってないものはやってない。これ以上は言いようがないし、お前の言い分に従って償いをする気もない。復讐するというなら受けて立つが、返り討ちに遭っても文句は言うなよ」
「戯言を……! おい、ニナ!」
酔っぱらいの会話には加わるな、巻き込まれても真に受けるな、というのが、これまで生きてきた中で自ら編み出した、平和な世を渡るための術だ。キアンがアレックスの好きな人を横取りしただとか、それが一度じゃなく何度もあったんだろうということは、きっと話半分に聞いた方がいいのは分かっている。ここは何か理由を付けて、リュカと一緒にちょっと席を外すというのが最善だとは思った。思ったのだけれど。
「は、はい!」
よく通る声で、アレックスにまっすぐ視線を返して応えてしまっていた。
「もしキアンから愛を囁かれたら、何をおいてもまず私に報告してくれたまえ。あらゆる手段、手練手管の限りをつくして君をキアンから横取りしてやる」
「は……いやいや、何言ってんの?」
さすがにうん分かったとは言えず、つい酔っぱらいのたわごとに対してまともに取り合った返事をしてしまった。
私はごまかすように咳ばらいをしてから軽く腰をあげ、手のひらをアレックスの方に向けて、“落ち着け”のポーズをしてみせた。
「あー……、ね、アレックス。ちょっと座ろうか」
「いやだ、座らない」
「俺は座るぞ。みんな落ち着かないだろうからな」
「キアンは黙ってて! そうだ、とりあえずお水か何かもらってくるから」
「私は本気だぞキアン! 貴様の次の恋はこのアレックス・ブライトが全力で――」
叩き潰す、という力強い言葉を、へにゃへにゃと力ない声で叫ぶ、というか、もうただ口から零した直後、アレックスは立ったままテーブルに思い切り突っ伏した。
「アレックス!」
突然のことに驚き、慌てて駆け寄る。動かしていいものかどうかも分からず、とにかく呼吸をしているかだけでも確認しようと、不自然にまっすぐ伸びたままピクリとも動かない背中に手を置いた。
「……生きてる?」
アイスクリームの器とスプーンを持ったまま、いつの間にかカルロの後ろに避難していたリュカが不穏なことを口走った。
「……うん、息はあるみたい」
「弱いくせに飲み過ぎだ、バカめ」
自分だって人のこと言えないくせに、そんな思いを込めてキアンを一睨みしてから、私の背後に控えていたカルロを振り返る。
「動かしても大丈夫かな」
「たぶん。まあまあいい音させてたけど、問題ねえだろ」
苦笑いしながら答えるカルロにつられて、私もつい口角をあげてしまった。アレックスのおでこは明日の朝には痛々しいことになっているだろうとかんたんに予想できるくらい、倒れた時の音は派手なものだったのだ。
「いい湿布薬を届けてもらうよう、ラスペードに伝えておくよ」
「すまん、助かる」
苦笑いにため息を加え、カルロがそう返す。カルロは倒れたアレックスをテーブルからはがすように抱え上げると、そのまま部屋のすみの方に運び、床に転がした。
「ちょっ、そんなとこに放置して大丈夫?」
「いいんだよ。酒に弱いって分かってて制御できねえ自分が悪いんだから」
「いやでも……」
「毎回毎回、手厚く介抱してもらえると勘違いされて困るのは俺の方だからな。たまには痛い目見てもらわねえと」
なぜかちょっと勝ち誇ったような表情でアレックスを見下ろしつつ、カルロはそう言った。
不愉快そうに眉を寄せた険しい表情を浮かべ、床で寝息を立てるアレックスと、椅子に座って腕と足を組んだまま、うつらうつら舟をこぎ始めたキアンを順に眺める。カルロも見た目とは裏腹にそれほどお酒に強くないそうだけれど、この2人のように酔っていないのは、最初の乾杯以降はシャンパンもワインも飲んでいなかったからだ。カルロが酒席でいつもどういう立ち回りをしているのかや、その苦労の絶えない様子を垣間見た気がして、いつもお疲れ様、そんな労いの言葉をかけそうになった。
「失礼しまーす。追加のご注文をうけたまわりに……うわっ、誰か死んでる!」
突然、部屋のドアが開いてそんな声が響いた。そちらの方に顔を向けると、セルヴーズらしき女性が、入口の所で口元に手を当てて立ち尽くしている。ノックもなしにドアを開けているし、酔っぱらいのなれの果てというものを見て驚いている様子からして、彼女はまだ新人なのだろう。
ふつう、個室に通した特別な客には、それなりに経験を積んだセルヴーズかギャルソンが給仕係としてつくはずだけれど、もしかしたら店が混んでいて人手が足りていないのかもしれない。
「ごめんなさい、心配しなくて大丈夫です。あの人は酔っぱらって寝てしまっただけですから」
まさか本気で死んでいると思ったわけじゃないだろう。でも面倒な展開になるのは避けた方がいいと思い、念のためにそうかんたんに説明すると、彼女は一歩部屋に足を踏み入れ、奥で大の字になっているアレックスを恐るおそる覗き込んだ。
「……ホントだ、息してる」
そう呟いてから小さく息を吐き出して、安堵の表情を浮かべる彼女。
と、その次の瞬間、彼女の視線がわずかに別の方へ向けられた。本当に一瞬のことだったけれど、その様子をはっきりこの目でとらえた私は、予感のようなものを覚えて小さく首を傾げた。それが良いものか悪いものかは分からない、でも彼女が向けた視線の先にいたキアンと何か関わりがあるような……
「あっ、じゃあ気付けの冷たいお水でも用意しましょうか?」
深く潜りかけた思考を引き戻され、不自然さをなるべく感じさせないように慌ててうなずく。ちょうど水をもらいに下に降りようと考えていたところだったから、その提案は渡りに船だと思ったのだ。
だけど。
「ニナ、離れて!」
リュカの声が響き、カルロに腕を引かれて、目の前で相対していた彼女との距離が広がる。
手には何も持っていないはずだった。トレイも、メニュー表も、水差しも。なのに彼女の手から放たれたのはバケツ一杯分はあろうかというくらいの量の水で、その水が一直線に向かった先は――
「キアン!」
椅子に座り、腕と足を組んだ姿勢でうたた寝をしていたキアンは私の呼びかけに反応は見せたものの、恐らく魔術で生成したであろうその水を、完全に無防備な状態で頭から受けてしまった。
あんなに騒がしがった室内が一転、静寂に包まれる。
いきなり全身をびしょ濡れにされたキアンは、体勢は変えずにゆっくりと顔だけを上げた。水滴のしたたり落ちる前髪の隙間からのぞかせた目は、はじめは怒りに満ちていたけれど、なぜかその表情は次第に硬いものへと変わってていった。
「やっほーキアン。元気にしてた?」
キアンに水を浴びせた張本人は悪びれる様子もなく、後ろに一つにまとめた黒く長い髪を揺らして首を傾げながら、可愛らしい仕草でキアンに向かって手を振っている。
「な、なんでここにいるんだ」
「やーだぁ、アンタを追っかけてはるばる来たって言うのに、開口一番そんな色気のない言葉を口にしないでくれる?」
彼女がドアを閉め、一歩奥へと進んだと同時に勢いよく立ち上がったキアンは、部屋の壁に背中をつける形で体を寄せた。
「追いかけてきた、って、一体なんの目的で」
「そんなの、あたしたちの仲なら言わなくても分かるでしょ?」
自分の口元に人差し指の先を当て、意味ありげに微笑む彼女。キアンは普段からは想像できないくらいに動揺していて、額に汗までにじませている。
ただ目の前に現れただけで――正確には水をぶっかけられてはいるけれど――キアンがここまで焦るなんて。一体彼女が何者なのか、付き合いの長いカルロなら心当たりがあるかと思ったけれど、斜め後ろからでも分かるくらいにカルロも困惑した表情を浮かべていて、恐らく何の情報も引き出せないだろうと思った。
「ああ、いきなり来て挨拶もしないなんて、失礼よねぇ。ごめんごめん」
みんなからの視線を一身に集めていることに気付いたのか、静まり返った空気を割くように、彼女が朗らかに声を上げた。後頭部に手を当て、お茶目に舌をぺろりと出している。
こちらの方へと向き直り、近づいてきた彼女を警戒して、カルロが私たちの前に立ちはだかった。
「やだな、何もしないわよ。ちょっと自己紹介するだけだから」
「……」
「ほら、どいて! あたし、その子と話したいの」
カルロが不安げにこちらを振り返った。傷つけるつもりはないにしろ、何の躊躇もなくキアンに向かって魔術を発動させたところを見た直後ということ、キアンがあれほど動揺して……どちらかというと怯えているようにも見えるけれど、とにかく手も足も出せずにあの場から動けない様子だということもあって、正直まっすぐ顔を合わせるのは怖い気持ちもある。でも、私をかばうカルロを退けるためにまた何かしらの魔術を使われて、今度はカルロが傷つくことにもなりかねない。
私は意を決し、無意識の内に握っていたリュカの手をそっと離して一歩前へ進み出た。
「あたし、アシュリンって言います」
「あ、えと……ニナ、です」
「ニナか、いい名前! よろしくね!」
そう言って微笑み、まっすぐ私に向かって手を差し出した彼女。私は何の疑いもなく、その手を握り返そうとした。
「おい待て、やめろ!」
「えっ」
キアンがそう叫んだけれど時はすでに遅く、私の手は彼女のそれによって包まれていた。
「だから何もしないってば。まあ、でも……」
深いグレーのような、不思議な色合いの瞳が私をとらえる。と同時に、何とも表現しがたい強い圧力のようなものを感じ、私は握られた手をとっさに引こうとした。
「こうやって不用意に握手に応じるのは良くないわね。もしあたしがあなたに悪意を抱いていて、このまま魔術を発動したりなんかしたら」
「……!」
「怖がらないで、キアンのオトモダチ相手にひどいことはしない。とにかく、会えて嬉しいわ、ニナ」
握った手を逃さず、更にもう片方の手を重ねて優しく微笑むアシュリン。その微笑みには友好的なものだけでない何かが乗せられていることを感じた私は、会えて嬉しい、という彼女の言葉を素直に受け取ることができず、ただ黙って小さく会釈を返すことしかできなかった。
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