使者ご乱心

 基本的に厨房へ立ち入りできるのは、使用人とこの邸の主人であるギヨーム様のみだ。ギヨーム様は、ご客人がよほど仲の良い方であってもこんな場所に出入りすることを許可なさるとは思えないし、バランド子爵のご様子からしても迷われたようには見えない。つまり、主人の許していない場所に勝手に入ったバランド子爵の方が礼を失した行為をしていると言えるのだけれど、それでも爵位持ち且つこの邸の主人が認めたご客人がお相手ならば、立場の低い私が退かなければならない。


「ご無礼をお許しください。すぐに退出いたしますので」


 なるべく目を合わせないようにしながら口早にそう言い、磨き終えた銀食器をカトラリーケースにしまおうと手を伸ばした時。


「いや、いいんです」


 バランド子爵が、そっと私の手を握ってその動きを制した。


「こちらこそ仕事を邪魔したようで申し訳ない。あなたがあまりに悲しそうな表情をしていたものですから、つい声を掛けてしまいました」

「……」


 視線を落としたまま、口をぎゅっと真一文字に引き結ぶ。ご客人の前に姿を見せるなということはすなわち、口を利くのも許されないということだ。ハウスメイドの中でもいちばん下っ端の私が、ここで返事をしていい道理はない。


「物静かな方ですね。お名前をお伺いしても?」

「……下級メイドはお客様とは関わるなと主より命じられております。どうかご容赦下さい」


 小さな、ほとんど囁いているかのような声でそう伝え、握られたままの手をじっと見下ろした。


「大丈夫。私と話したことで処罰を与えないよう、ブランモワ伯爵には取りなしておきます」

「……」

「ほら、顔を上げて」


 指先であごを持ち上げられ、強制的に目を合わせられる。

 バランド子爵は、痩せて顔色があまり良くないところを除けば、マノンの言っていた通りとても端正な顔立ちをしていた。まるで教師みたいに短めに切り揃えられたダークブラウンの髪は清潔さを感じられるし、それと同じ色合いの瞳はとても優し気だ。第一印象としては真面目で誠実そうな人、という感じだろうか。


「人を探しているんです」


 小さく息をついてから、バランド子爵がそう切り出した。


「ただ、ここに来たばかりの私だけの力ではなかなか捜索がはかどらなくて……。君にも協力して頂けると、大変助かるのですが」


 疲れ切ったように微笑むその表情を見れば、男女問わず憐れみの感情を抱くだろうし、手助けしてあげたいという気持ちも湧くだろうと思った。もし本当に協力者がいないのなら、たとえ微力でも一助になりたいと考えたかもしれない。


「……申し訳ありません、私ではお役に立てないかと」


 小さな声でそう返すと、想定していた返答ではなかったのか、バランド子爵は少し面食らった表情をした。


「なぜ、役に立てないと?」

「私はこの土地の者ではございません。王都よりずっと北にある寂れた小さな町からここに流れ着いて、まだそれほど経っていないよそ者です。情報を提供してくれるツテもありませんし、手助けしてくれそうな友人もおりませんから」


 バランド子爵には何か別の思惑があるように感じた私は、当たり障りのない理由を並べて反応をうかがうことにした。

 私の同情を引くつもりで、自分の力だけでは捜索できない、なんて言ったんだろうけれど、”貴族嫌い”のギヨーム様が子爵をこの邸に滞在することをお許しになっているところから考えれば、すでにギヨーム様が何かしらの助力をしていらっしゃるのは間違いない。ブランモワ伯爵という強力な後ろ盾があるなら、しがない下級メイドの個人的な協力なんて不要だろうし、人手がほしいのだとしても、私に直せつ交渉するのではなく雇用主であるギヨーム様を通すのが筋だろう。

 正規のルートを通さないのは後ろめたい背景があるから、というのがよくある理由だったりするけれど、人探しの協力を使用人たちにもお願いすることが良からぬ事情に繋がるとは思えない。つまり、バランド子爵は人探しとは関係のないことで私に近づこうとしているのではないか、そう思ったのだ。


「しかし……それでも私よりはここについてはご存じでしょう? それにタダとは言わない、協力して下さるなら給金を支払う準備もあるんです」

「私はブランモワ家に雇われた身です。給金が発生するなら、私の判断で了承するわけには参りません。まずは旦那様にご相談ください」


 これ以上このやり取りをするのは不毛だし、私自身も何かボロを出してしまいかねない。とりあえずここから辞去するため、握られていた手を引き、視線を下に落としかけた時だった。


「目を逸らさないで」


 先ほどの柔らかな口調とは全く違う、厳しい声色での制止に、私は思わず体を固くした。


「な、何を」

「いいから。そのままじっとして、私の目を見るんだ」


 バランド子爵の瞳に、自分の姿が映っているのが見える。それくらいに近い距離で見つめられながら、私は額にじわりと嫌な汗が浮かぶのを感じた。見目の良い男性とここまで顔を近づけて向き合っているせいで緊張している、というわけではない。一昨日、アレックスの実験台になりながら話したことを思い出したのだ。


「君が魔力を見ることができないのは、魔力なしだからいうだけじゃない。サークシャート孔がないことも原因だ」

「サーク……え、何?」

「サークシャート孔。本来は瞳にあるはずの魔力孔で、魔力の動きや量を感じることができる。サークシャート孔を通して相手の魔力を操作することも可能で、さっきそれとなく確認したが、君にはそもそもその器官が備わっていないらしい」

「それってつまり、私にはサークシャート孔を使った魔術は効かないってこと?」

「その通り。君の瞳を意味もなくじっと見つめる輩に出会ったら、注意したまえ。そいつは心操作系の呪術を掛けようとしているに違いないからね」


 あごに添えられていた指先は、私が顔を動かさないようにと乱暴な仕草で掴み直され、握られたままだった手は痛みを感じるくらいに力を込められている。

 さっきバランド子爵からの申し出を断った時に見せていた、少し狼狽した表情はそういうことだったのか、と頭の片すみで納得した。

 優し気な雰囲気をまとって近づき、少しの痛ましさを演出しつつも不自然さを感じさせない内容の頼み事をすることで、私の心を弛緩させて呪術を掛けようとしたのだろう。でも私には効果はあらわれず、理路整然と切り返されたものだから、焦ってこんな乱暴な手段に出ているのだ。


「怖がらなくていいんだ。何も悪いようにはしない、ただ私の言うことを聞いてくれればそれで全て丸く収まるんだから」


 バランド子爵の声は震えている。手の甲とあごに感じる彼の温度は、この季節では有り得ないくらいに低い。額には汗が滲んでいるだろうし、噛みしめた唇は白く変色してかさつき、首や肩には不自然に力が入ってこわばっていることだろう。バランド子爵がかなりの緊張状態にある様子は、見えずとも見えた気がした。


「怖がっているのは、あなたの方ではございませんか」


 目を逸らすことなく、今度ははっきりした声でそう問いかけると、私に呪術を掛けようと微動だにしなかったバランド子爵の瞳がわずかに揺らいだ。


「私を操り人形にできないまま解放すれば、あなたがブランモワ家の所有物である使用人に不当な手段を使ったことはすぐにバレて、ここには居られなくなるでしょうね」

「何だと……!」

「ご安心なさいませ、悪いようにはいたしません。何も仰らずにこの手をお放し下さり、そして今後は”こういった類”の関わりを誰とも持たないことをお約束下されば、私の口は固く閉ざされます」


 かなり危険な立ち回りだということは、充分すぎるくらいに分かっている。でもこの人が企んでいる、恐らく悪事と断定していいだろうことのために、他の人たちが利用されるのは絶対に阻止しなければいけないと思った。


「たかが使用人の戯言など、主人が信じるとでも?」

「旦那様のひととなりをご存じなら、そのご質問に対する答えはお分かりでしょう」


 ギヨーム様が貴族同士の交流などはほぼ持たず、市井に下りては農夫たちと一緒に土を耕し、収穫物の仕分けをしたり商店への荷物の運び入れを手伝ったりするような変わり者だということは、ブランモワ伯爵の名を知っている人間には周知の事実だ。

 貴族のしがらみやらを意に介さず、自分ではなく領民の側につくことがバランド子爵にも想像できたのか、ぐっと押し黙り、魔術をかけるためではなくただ抱いた敵愾心を示威するために、私を強く睨みつけた。


「ブランモワ卿を信じているようだが、どうだろうね。さっき君は、下級メイドは客人と関わってはいけないと命じられていると言っていたじゃないか。破れば罰を与えられるんだろう? やはり彼も我々と同じ」

「同じではございません。小間使いのような下級メイドはまだマナーの教育が行き届いておらず、知らず知らずの内に礼を失した行動をしてしまうことがあります。それによってご客人から理不尽な扱いを受けないよう、旦那様は私たちを守って下さっているのです。そして私どもも処罰を恐れているのではなく、ブランモワ家の家名を傷つけたくないという自らの心に従ってその決まりを守っているのですよ」

「……」


 自分と同じなんてバカも休み休み言えという言葉を飲み込み、それでもその心情だけでも見せつけて気を晴らしてやろうと、嫌な笑みを口元に乗せる。

 バランド子爵はそんな私の挑発的な態度を意に介する余裕はないらしく、こんなはずじゃ、とか、やり方は合っているのに、とかブツブツと呟きながらも、縋るように私の瞳を必死に見つめて呪術を掛けようとしていた。

 相手はただのメイドだと高を括り、もしもの時のためのプランBも用意していない計画性のなさ、思い通りの展開にならなかったということだけで動揺し、なおかつその心情を隠すことさえできずに未熟な姿を晒すこの人は、本当に人探しのために1年をかけて各地を飛び回ってきたのだろうか。他人から情報を引き出すことの難しさ、自分の不利にならないように立ち回ることの重要さを欠片も知らない、ぬるま湯から出たばかりの世間知らずのお坊ちゃん、という風にしか、私にはどうしても見えなかった。


「人探しの邪魔をするつもりは毛頭ございません。ブランモワ家と、ブランモワ伯領民の安寧を阻害することがなければ、私は何も話しませんから」

「そんな口先だけの約束、信じられるか」

「信じられなくとも、取引に応じるほかないのでは?」

「……っ、やり方なら他にもある! お前を消せばいいだけのことだ!」


 私の言葉が決定打になったようで、バランド子爵はようやく私のあごを掴んでいた手を離し、少し距離を取るように半歩下がった。

 私を消すと言っているし、魔術による物質攻撃をするつもりなんだろうけれど、そんなのは――


「全部お見通しだっつーの!」


 まだ握られたままだった手をこちらから掴み返すと、私は自由になった頭部を勢いよく後ろに引き、体勢も心の準備も整っていなかったバランド子爵が前のめりになったところへ思い切り頭突きを繰り出してやった。


「……っ!?」


 小娘の攻撃力なんてたかが知れているとは言え、不意打ちというのは大の男をも撃破する威力を持っているらしい。

 バランド子爵はそのまま白目を剥いて、ばったりと仰向けに倒れこんだ。







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